後悔している。ほんとうのことを言うとひとを傷つけてしまうと、気づくまでに時間がかかりすぎたこと。
反省している。嘘をつかず素直な気持ちを話すことは、いついかなるときも美徳だと信じていたこと。
嘘をつくのがうまいひとは、いつもほんとうのことの中にすこしだけ嘘を混ぜているのだ、そう言われているからきっとそうなんだろう。
だから私は正直者です。嘘をつくのもうまいです。
ねじれていないと生きていてはいけない。
正直でいられる人が馬鹿を見なければいい、それしか願っていないのに、それが難しい。
(正直)
紫陽花が似合うあなたはいつでも冷たい雨に打たれている。濡れそぼった髪が額にはりつくのをどこか気だるげにかき上げる、その仕草がうつくしいと思う。
頬を伝う雨にどれだけの涙が隠れているのか、わたしたちが知ることはけして許されない。あなたはいつも曇り硝子の向こうにいる、雨はあなたの本当を洗い流す。足元には群青色の海がたまる、波は穏やかできれいだ、けれどいつもすこしだけ濁っている。
降りつづける雨がせめて暖かければいいのにと願う、けれど横殴りの雨が降る嵐の中で磨かれ続けた正しさが、その正しさがけして報われないことが、わたしちの胸を穿つ雨だれとなる。
あなたが六月に生まれると決めたのは誰だろう。
あなたには雨が似合う、哀しくてやりきれない。
(梅雨)
「すみません」が口癖になっている人。
全部「ありがとう」に変えてみましょう。
ちょっと幸せになれます。
(「ごめんね」)
小麦色の肌がよく似合うね、なんて言われてるあの子の肌が本当はひどく白いことを、いったい何人が知っているのだろう。
季節外れの真夏日がささやかれるたびにあの子を思いだす。あの子はいつもきれいだ、けれど半袖と素肌の境目にくっきりと引かれた線、あれだけはどうにも残酷で好きになれないよ。
太陽はいつもあの子にだけ厳しすぎる、あなたがそんなに頑張る必要はないんだよと、誰が言ってもあの子は困ったように微笑むだけだ。あなたには届かないから美しいんだ、そんなフレーズが頭を過る。
今年の夏はあの子に優しくしてくれるかな。
だったらいい、と切に願う。
あなたには太陽より月が似合う、それでも日の当たる所にしかいられないんだろう。
(半袖)
死後の世界には三途の川があると聞いていたけれど、あの話は嘘だったのだと今しがた思い知った。
視界いっぱいに霧のかかった原野が広がっていて、青々とした叢からはなぜか線香のにおいがする。その中央に、土をかるく慣らしただけの凸凹の一本道が通り、一面の緑を左右に分断していた。
行けども行けども道におれ以外の人影は見あたらず、いよいよ不安になってきたところ、道がYの字の形に分岐するのが見えた。
分岐点にはまるで山道のように、行き先を示す立て札が立っている。
片方には「天国」、もう片方には「地獄」と書かれていた。
記憶をさかのぼる。
車に轢かれそうな子どもを助けようとして、咄嗟に動いてしまったところまでは覚えている、だかそのあとがぷっつり途切れている。だから、たぶんおれはあの子どもの代わりに死んでしまったのだろう。
天国と地獄。どちらに行きたいかといわれたら天国に決まっている。だが、いざ自分で決めろと言われると、天国に進むのは些か躊躇ってしまう。
なにしろ、おれはさんざん悪事をはたらいて生きてきた。地獄に堕ちるのが当たり前の人間で、それは誰がか裁いてくれるものだとばかり思っていた。
死に際子どもひとりを救った程度で天国に行けるほどこの世は甘かっただろうか。
この期に及んでちゃっかり天国を選ぼうものなら、更に酷い罰が待っているのではないか。
だがもしも本当に天国に行けるならば、みずから地獄に向かうのは馬鹿らしすぎるではないか。
こうして分岐路で立ち止まっている時間そのものが、おれの生きざまへ下された罰ではないだろうか。
「時間切れだね。てめえの罪を自覚しているようだ。そうさ、おまえは地獄行きだよ」
婆が嘲笑う声がどこかから聞こえる。婆、川の橋渡しをやっているんじゃなかったのか。
「廃業することにしたのさ。わしもいいかげん身体にガタが来ておるし、死後の世界も人手不足だからねえ」
成程、そういう事か。じゃがそれなりに後悔しているおまえに第三の選択肢をやろう、と婆が言う。
「どうだい、三途の川の橋渡しをやらんかね。体力だけは有り余っておるんじゃろう、若いの」
(天国と地獄)