私の両親は私を捨てた。
孤児院の前におくるみに包まれた私が置いてあったらしい。
その孤児院も酷い所だった。
孤児院ではご飯もロクに与えられず、お風呂にも入れない。
服も着古したボロボロの服。
いや服と言えるものではないただの布だ。
皆、皮膚病に掛かり、かゆいかゆいと言いながら掻きむしる。
だから、肌はズタズタ、そこから膿が滲み出ている。
その肌に職員の振るう鞭が当たる。
とても痛々しい。
夜は布団と言えない布を一枚渡されるが薄く穴が空いているから冷気が入ってくる。
だから皆で固まって暖を取り合った。
他の子供の体温を感じながらまた明日になれば鞭で打たれ働かされるのだと考えると悲しくて涙が出た。
誰か私達を見つけ出してくれないだろうか。
私達を助け出してくれないだろうか。
ここではない何処かに連れて行って…
そんな現実味の無い事を考えながら眠りについた。
貴方に託された花はとても繊細で脆く可愛らしい花だった。
その花を私はとても大切に育てた。
いろんなことに気を配り、いろんなとこに連れて行くと花はぐんぐん伸び綺麗に育っていった。
ある日その花を貰いたいと言う者が現れた。
悲しかったがとても誇らしくも思った。
そして花をその者に託した。
結婚式ではその花が私にお礼を言ってくれた。
とても嬉しくて、思わず泣いてしまった。
涙を溢しながら震える声で
「おめでとう」
と言った。
「お母さんが子供の頃は」
それが母の常套句だった。
私が何か母のしてほしくない事をすると必ず言ってくる。
だがそれは無いだろうと思う事がしばしばあった。
なぜならだれしも子供の頃に一度はやらかすのに
母は一度もやらかした事がないような口振りであの常套句を言う。
だが母になって分かった。
母は子供が同じ事でまた躓かないようにする為に言っていたのだ。
今気付いた所で母はもう居ないのだ。
反抗と共に家を出てから帰らずじまいで母が死んだと聞くまで実家には帰らなかった。
後悔したって遅かった。
晴れの日相合い傘を好きな人とするとカップルになれると言う噂がある。
でもやるには絶対に晴れの日でなければならないし、好きな人とどうやって相合い傘をするのだろうか。
そんな疑問でいっぱいだった。
なぜなら私も好きな人がいてどうしても告白を成功させたかった。
だから半信半疑ではあるが、やってみる価値はあると小学生の私は思った。
だからこそ普通ならそこまで気にしないが今の私には頼みの綱がそれしかなかったのだ。
成功させた子達にに聞きに行った。
だが皆だんまりと貝のように口を閉じて教えてくれなかった。
結局わからずじまいで終わり、当時の私が面倒くさがりだった為普通に告白して振られた。
引っかかる点が一つある。
成功した子は皆あんなに好きだと言っていたのに、自分から別れを告げていた事だ。
1年前、交通事故で友人が死んだ。
死んだ友人が皆見えているようだった。
だがその日から皆に無視されるようになってしまった。
でも理由は分かっていた。
その日は僕が運転していたのだ。
だから死んだ友人が僕の所為だと言ったのだろう。
まあ仕方ないのだ。
だって運転していた僕だけが生きのこってしまったのだから。