あなたのもとへ
遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日を
この街で迎えたい
外苑の桜は咲き乱れ
その頃になるといつでも
新幹線のホームに舞った
見えない花吹雪を思い出す
まるで七五三のような
ぎこちないスーツ姿も
今ではわりと似合うんだ
ネクタイも上手く選べる
同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
「元気かどうか心配です」と
手紙をくれるみんなに
遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
この街で見つけたい
大事なのは
変わってくこと
変わらずにいること
どんなに高いタワーからも
見えない僕のふるさと
失くしちゃ駄目なこと
胸に抱きしめていて
遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
その街で見つけなさい
あなたのもとへ…
「遠く遠く」 作詞 槇原敬之
この曲を聴くと今母さんは君たちのことを思うよ。と、母は独り言を呟く。
もう、何年も前は、この曲を聴くと義妹の話が思い出されていた。
「お母さんたら、兄ちゃんがお父さんと喧嘩して家出した時、兄ちゃんに電話でご飯の炊き方を聞かれて受話器を置いて泣き出しちゃって大変だった」って話だ、その時は、ちょっとジンとしたけど笑い話になってたけど、今ならはっきり言って滂沱の涙だ。ましてやこの曲とセットだと涙止まらなくなる。
母は、独り言のように、「元気かどうか心配です」と「上手くやれているのか心配です」と「いつでも帰ってくればいい」と真夜中の電話に口走りそうになり、ぐっと堪えて「しっかりしなさい」と発破をかけ、送金しそうになるのを鬼の気持ちで留まって、米や食べ物をせめて段ボールに詰めて送る、あなたのもとへ。もしかしたら迷惑かも知れんねぇ(笑)だって自分も何十年も前にそうされて「一人で食べきらん程送らないで」とか電話した記憶が蘇る(笑)そういう時は何時も「誰かにあげなさい」って言われたけれど、田舎の婆ちゃんがつけた漬物やら煮付けた佃煮やら自家製の野菜「誰にあげろって言うのよ」って言いそうになってやめたことを思い出す。今ならハッキリと分かるねぇ、送る方の気持ち送らずにいられない気持ち。そして、一人暮らしを始めた息子に「飯の炊き方教えてくれ」と電話で言われて泣き出した義母の気持ち…親孝行したい時分には親はなし。
この気持ちを届けたい
あなたのもとへ
令和7年1月15日
心幸
今夜は遅くなりました、おやすみなさい🌠
そっと
そっと受話器をおく片想いの相手にか、相手を気遣ってますのアピールに営業のやること。
そっとおやすみは、相手はいないひとりぼっちのさびしんぼうのひとり芝居独り言ぬいぐるみに「そっとおやすみ」
そっと寄り添うは、寄り添ってますと伝えたい相手にみんなにそんなあざとさアリアリの時に使う言葉、そっと優しくありたいなんかと同じ
本当に、そっと寄り添う人は黙って寄り添い寄り添ったことを相手にみんなに気づかせない、優しい人も同じで「…ありたい」なんて偽善な自己アピールの言葉は使わない。
そっとは、そっと部屋を出る、そっと消える、そっと別れる、そっと嘘をつく、そっと裏切る、、そんな風に使う言葉だ。
さよならはそっと。
令和7年1月14日
心幸
まだ見ぬ景色
人生に何度か全身麻酔をしたことがある。
出産、病気、事故、いつもストンと真っ暗な闇に落ちる気がするそして、どこか遠くで人の話す声と物音がする、微かな声と音がする方に意識が向き、やがてそちらの方に白い影が動いているのが見える、声がより一層ハッキリと聞こえて、執刀医と看護師の会話が分かる。そして目覚める。朧気な臨死体験のようなもので、あの落ちた暗闇の向こうにまだ見ぬその景色があるように思えてならない。事故の時はよりそれが強かった、落ちた闇の中で何度もジャンプしているような気がして黒い闇の奥の方に向かって心地よい風が吹いているようだったのだけど、なぜだかその風に向かって泳いでいるように進み、何度も時計の音のような信号の音のようなものが聞こえたり、白い光の向こうに人影が動いて、重なり合う声がひとつひとつにハッキリと聞こえたり、またグレーの影がかかるように届かなくなったりを繰り返しながら、やかて目覚める。きっとあっち側から帰って来たのだろうと思う、暗闇の向こうは何か気持ちが良く無重力のように体がポンポンボーンと浮くような気がするが、声のする光に吸い込まれると、とたんに体は重くなり、聞こえていた時計音のような信号機の音のようなものが自分の体に着けられた機械の音だと気づく、体がやたら重くて、そして痛いそして自分は事故に遭い運ばれたのだと気づく・・・これが生きているってことか?手術室からの執刀医の声も麻酔が効き過ぎて覚めるのに時間がかかり医者看護師達がバタついていたことも覚えている、その会話の内容もだ、それを真っ暗な心地よい無重力の中で浮かびながら聞いていた、あの闇の向こうに広がる銀河のような黄泉の世界があるのだろうか?なんて考えながらリアルな痛みを実感していた、痛みそれこそが生きる生きているということだと実感した日の話。戻って来たのだから逝く時は、きっとその逆なのだろう、闇の中に吸い込まれるように落ちて行くと痛みは薄れやがて感じなくなる体は軽くなり深い深い闇の中にフワフワと吸い込まれて行く、微かに動く人影も見えなくなるが、声は何時までもやまびこのように響く、その声に揺り起こされ痛みに目覚めるか、声に包まれて闇の深みに吸い込まれて行くのか?その闇の向こうにまだ見ぬ景色を何時の日にか見るのか…小さな臨死体験。
臨死の床、声だけは最後まで届き、また揺り戻されるのも声であることを忘れてはいけないと思った経験。
自分を棚にあげて裁く人ってのは幽霊よりも厄介でヤバイ人である、自分もしっかりSNSサイトでそのサイトの規約破りの無関係な投稿、迷惑投稿かましておいて人を指差してこんな場所で投稿する奴はと投稿する、分かってますか?あなたの死の淵の闇に、この声届いてますか?あなたのやってることもあなたが馬鹿にしている行為ですよ。あなたも、こんな場所で投稿する稀な人ですお気の毒(笑)気づけないのもっとお気の毒、多分気分は無重力な暗闇の私たちがまだ見ぬの景色の世界にイッチャッテルのね、それでも現世で彷徨ってらっしゃるってことは地縛霊みたいなものなのかしら、お可哀想に。
ご愁傷さま。 「まだ見ぬ景色」
本日は、地震で眠れぬ夜をお過ごしの皆様、南海トラフ御懸念の皆様、お気をつけてお休みください。
昨日と同じ静かな朝が訪れます様に。
令和7年1月13日
心幸
あの夢の続きを
● 親子関係が人間関係の原点である。
● 幼年時代の楽しみと悲しみ満足感失望感、安心感と憎しみ、親から受けた愛が人間関係の原点になる。
それらは、共にあった長さではなく深さに比例する。
● 親から愛されなかったと思っている人は、愛に餓え、他人から愛を求める。
● 幼年時代の憎しみは生涯の負債である。
「子育て四訓」
・乳児はしっかり肌を離すな。
・幼児は肌を離せ、手を離すな。
・少年は手を離せ、目を離すな。
・青年は目を離せ、心を離すな。
「アメリカインディアンの教え」
今から、30云年前ステップファミリーになり3歳の子の母になった私は意気込んでいた、その頃の私のバイブルが、この「アメリカインディアンの教え」であった。随分あちこちに頭やら体ごとやらぶち当たり、それが自ら選んだ命題、あるいは夢として、少女時代の青臭い夢は玉手箱に仕舞って心の何処か片隅に置いて来た、あれから幾年、青年も過ぎたあの頃3歳でどこか淋しげな男の子も良き伴侶に恵まれ人の親となり、家業も継いで1人前にやってくれている、任務完了です、あなた、現世では写真でしかお会いしたことがありませんが、私はあなたに胸を張って会う日を心に誓って我武者羅に走りました。ついでに我が腹も痛め家族は増えそして1人づつ巣立ち、親も逝きました、本当に本当に任務完了ですね、いつも私の励みになっていただいて有り難う御座います。もう、そちらに呼ばれて、あなたに会い積もる話をしても良き頃なのですが、出来ればもう少しあの夢の続きを見ていたいものです。今度は少し歩調を緩めて背中合わせだった相棒とも向かい合わせて、同じ歩調で同じ方向向いて道に咲く野花なんか眺めながら、やっと二人で二人きりで歩きたいですね、いいかな?叶えてくださいますか?あなたに会うまでのこの時間が、あの夢の続き。
朝の空を見上げて
今日という1日が
笑顔でいられるように
そっとお願いした
時には雨も降って
涙も溢れるけど
思い通りにならない日は
明日 頑張ろう
ずっと見てる夢は
私がもう一人いて
やりたいこと 好きなように
自由にできる夢
人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだのか どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに
365日… あの夢の続きを
「365日 紙飛行機」
歌詞 秋元康
この詩を、あの秋元康が書いているなんて、商売上手の秋元康のもうひとつの顔。60過ぎてこんな昭和の女子高生が大学ノートに走り書きするような詩を書けるなんて、才能だよね(笑)残念ながら素人の詩を読んで笑うことはあっても、打ちひしがれたことは未だ嘗て一度もない、それがプロと素人の違いだ。
あの日、玉手箱に入れて仕舞い込んだ、もうひとつの夢は、仕舞って良かったのかなとこの秋元康の詩なんて読むと、打ちひしがれながら思うわけだけど・・・もしも願いが叶うなら心の隅に置き忘れた玉手箱あけて、白髪のババアになっても、あの夢の続きを、紙飛行機を追ってみたいな、なんてことも思ったりする今日この頃では、あります。
すべては、あの日見た夢の続きを叶えさせてくれた、私に出会ってくれた大切な人たちのおかげです。
有り難う、そして、またあの夢の続きを見れる年頃になりました、それも有り難う。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
なにわのことも 夢のまた夢
さる
「あの夢の続きを」
令和7年1月12日
心幸
あたたかいね
特別なスープをあなたにあげる
あったかいんだからぁ♪
瞳の奥にあるわたしの大きな野望
ワクワクのリズムをあなたにあげる
あったかいんだからぁ♪
いつまでもこのワクワクさせていたいね
寒い日が、あたたかいねの意味を教えてくれる
寒い夜は、あたたかいねの意味を知るように
あたたかい大地に深く深く根を伸ばせ
先輩上司社長に頭撫でられた
あったかいんだからぁ♪
お返しはキラキラキラハピネスぎゃんがわスマイルで、これでもかって凹むくらいこてんぱんにやられる時があるから、キラキラキラハピネスぎゃんがわスマイルで泣ける。
また会おうねって繋いだ手と手が
あったかいんだからぁ♪
いつまでもこのまま楽しませて
お風呂上がりのアイス最初の一口…
あたたかい部屋で食べる冬のアイスはたまらなく美味しい。
「あったかいんだからぁ」
作詞 クマムシ
何年か前こんな歌はやったね…(笑)
それにちょっとつけたしてみた、合いの手の心。これはねぇ、もう心がなければ掴み取れない訳さ、例えば昨日の未来の鍵を今日という昨日の未来で考えてみても、それを物事目に見えることだけで図ってたら見えない訳よ、「大切なものは目に見えない」んだろぉ?(笑)「あたたかいね」も同じだろうね、単に「あたたかいね」だったらまだ早いし春は、今夜は最高に寒いし、コタツに二人でいることなんて「あたたかいね」の平凡な発想だけど、冬の木立冬の街角、冬の寒さをしっかり知っていると「あたたかいね」の意味は深くなるねぇ、言葉って面白い、出来れば後の言葉を使える人になっておくれ、表面だけの見てくれだけの物質だけに恵まれることよりも、心の豊かさを。
自分のことを「冷たい人間だ」なんて言う人は案外あたたかいね、人をがっかりさせたくなくて、傷つけたくなくて自分が悪者役を被るタイプ。「俺を信じるな」「あたしを信じない方がいいわ」なんて言う人には嘘がなくて、「俺を信じろ」「あたしを信じて」なんて言う人は嘘をついても、決まりを破っても自分の事は棚にあげて平然と人に人差し指を差して裁く時は大声になる、多数でなきゃ声もだせない「優しくありたい」とか「あたたかくありたい」なんて容易く言う人も実際人の見た目ばっかりを気にする、損得勘定の冷めた、あざとい人間だってのは、長年人相手の仕事をしていて身についた、人の本質を見抜く技。
小さな小さな紅葉色の手を両掌で包んで「あたたかいね」と言ってくれた人を忘れないでいてね。
寒い夜だから「あたたかいね」が染みるねぇ。
どうぞ染みていておくれ。この染みるが分かればさもしい寂しい心にあかりが灯るよ。
「あたたかいね」
令和7年1月11日
心幸