煮え切らない態度にしびれをきらして、力を込めて、あの人の背中を押す。
あの人の身体はゆっくりと地下の深淵に消えていった。
辺りには、人の悲鳴のような音が響き渡っていた。
(力を込めて)
そういえば昔、
「私は星の一つ一つについては研究し尽くしたが、それらの集合体である星座については全くの無知である。研究職を辞してからは、星座について学びたい。」
みたいなことを言った学者がいたな。
新卒で入った会社を辞めた日、帰りの電車の中でふと思った。
(星座)
─他人の掌の上で踊らされるくらいなら、死んだ方がマシだ─
昔そんなことを言っていたはずの彼は、再会した私に気づかずこう言った。
─踊りませんか?─
今宵一夜、すべての憂鬱を忘れるために。
(踊りませんか?)
今年も私はたった一人、夜の海に祈る。海の向こうに戦いに行ったきり帰って来なかったあなたが、いつか私のもとに帰って来ることを。もちろん、そんなこと誰にも言わない。人前では、私は日常にかまけてあなたの事なんて忘れたふりをする。
この祈りは、ふたりだけのもの。あなた以外に届くことのないように。
─終戦忌─
(夜の海)
僕は生まれたときから広島とは縁もゆかりもない人生を送ってきた。それでも、毎年この日になると、どこからか鐘の音が聞こえてくる。他の誰にも聞こえないようだが、僕の耳にははっきりと聞こえる。美しい瞳を持つ妻は、そんな僕を見て、
「あなたには平和を紡ぐ才能が備わっているのね」と言う。
理論的には、僕は生まれつき目が不自由だから、それを補うために他の人より聴力が発達し、他の人には聞こえない音が僕にだけ聞こえてくる、ただそれだけのことなのだろうが、毎年妻が言う言葉に悪い気はしないのだった。
僕は今年、最近家に戻ってきた娘に連れられて初めて広島へ向かった。本当は妻も一緒に来たかったのだが、彼女は今高齢者施設で寝たきりの状態だから、今回は土産話をたくさん持って帰ることで許して貰おう。広島から帰ったら娘とともに一番に彼女に会いに行き、「君の瞳の色が今でも一番好きだよ」と伝わるまで何度でも伝えよう。そして、──今では彼女が意味のある言葉を発することはないけれど──世界の平和と幸せを、ともに祈ろう。
─広島原爆忌─
(鐘の音)