─他人の掌の上で踊らされるくらいなら、死んだ方がマシだ─
昔そんなことを言っていたはずの彼は、再会した私に気づかずこう言った。
─踊りませんか?─
今宵一夜、すべての憂鬱を忘れるために。
(踊りませんか?)
今年も私はたった一人、夜の海に祈る。海の向こうに戦いに行ったきり帰って来なかったあなたが、いつか私のもとに帰って来ることを。もちろん、そんなこと誰にも言わない。人前では、私は日常にかまけてあなたの事なんて忘れたふりをする。
この祈りは、ふたりだけのもの。あなた以外に届くことのないように。
─終戦忌─
(夜の海)
僕は生まれたときから広島とは縁もゆかりもない人生を送ってきた。それでも、毎年この日になると、どこからか鐘の音が聞こえてくる。他の誰にも聞こえないようだが、僕の耳にははっきりと聞こえる。美しい瞳を持つ妻は、そんな僕を見て、
「あなたには平和を紡ぐ才能が備わっているのね」と言う。
理論的には、僕は生まれつき目が不自由だから、それを補うために他の人より聴力が発達し、他の人には聞こえない音が僕にだけ聞こえてくる、ただそれだけのことなのだろうが、毎年妻が言う言葉に悪い気はしないのだった。
僕は今年、最近家に戻ってきた娘に連れられて初めて広島へ向かった。本当は妻も一緒に来たかったのだが、彼女は今高齢者施設で寝たきりの状態だから、今回は土産話をたくさん持って帰ることで許して貰おう。広島から帰ったら娘とともに一番に彼女に会いに行き、「君の瞳の色が今でも一番好きだよ」と伝わるまで何度でも伝えよう。そして、──今では彼女が意味のある言葉を発することはないけれど──世界の平和と幸せを、ともに祈ろう。
─広島原爆忌─
(鐘の音)
愛猫を亡くしてしばらく経った頃、神様が舞い降りてきて、こう言った。
「お前に神の使いを送ろう」
玄関を開けると、一匹の子猫が座っていた。先代猫とは柄も顔つきも何もかも違っていたが、それでも何処と無くヤツに似ている気がした。
やっぱり猫は神の使いだったらしい。
(神様が舞い降りてきて、こう言った)
都会を捨てて、森の中で暮らし始めて随分と長い月日が経った。その間、私と同じく糸に導かれてここを訪れる人が何人もいた。中には私と同じように、そのまま住み始める人もいたが、その人も先日、別の糸に導かれてここを去った。
別れの挨拶に来たその人に、私は小さなハサミをあげた。いつか、自分の手で運命を決めるときに、必要になるかもしれないから。
私はこれからも、ここで暮らし続けるだろう。ずっと昔、都会で一緒に暮らした彼のその後が気にならないでは無いけれど。それでも、私はここにいて、時折糸に導かれてやって来る人に、私がここに来た時のことを、面白おかしく語るのだ。
──絶望した人たちの、最後の砦となるために。糸は、絶望した人の前に現れるのだから。
(誰かのためになるならば)