「あ、B組だ。」
教室から見える1階渡り廊下。
不意に見つけたあなたは友達と楽しそうに笑っていた。
いつもマスクを付けていて、外したときの姿に落ちてしまった日。その日から、見つけると少し嬉しくなる。
滅多に話さない、月に1度しか話せない、それでも遠くから見れるだけで嬉しい。
この想いは届かなくとも私の心で咲いている。
「届かぬ想い」
ずっと君を待っている。
遠くにいる、ここからじゃ見えないあの街の君を。
雨でも雪でも強風でも。
「莉夏、」そう呼ばれたのはもう4年前。
(また来るね。会いに行くね。)そう言われたから街も家も変えず、君がわかるように待ち続けたのに、、
なのに何で、、自分のせいで
快晴の下、届いたのは一通の知らせ。
東京から新潟へ帰る日に、君は友達に(あの子のところへ帰る)そう言って新幹線に乗った。
どうして、君じゃなきゃいけなかったの。不幸な事に彼が乗っていた号車でテロが起きた。小さな子供を庇って別の街へ逝ってしまった君。
本当、昔から変わらないよね。そういうところ。
自分を犠牲にしてでも他の人の笑顔を守る。
君が帰ってきたら思いを伝えるつもりだったんだよ、
莉夏。
いつの間にか、莉夏を思い出してくれる暖かな存在になっていた快晴の下で僕は告げた
「大好きだよ。」
【快晴の下、君を待つ】
言葉にできないときは
最高に気持ちが高ぶっているとき。
最高に気持ちが落ち込んでいるとき。
どんなときでも前に進み続ける
いつか言葉にできるまで
桜落としの雨に、風。
咲き誇った桜が散るのも春爛漫
彼女は滅多に謝らない。
謝らないと言っても自分が間違ったときは必ず謝る
僕が何を言いたいかと言うと、彼女は謝るよりも感謝を伝えるほうが多いということだ。
人に迷惑や手間をかけてしまったり行為の邪魔をしてしまったら謝るのが常識と言われている。
でも彼女の考え方はちょっと違って、
「人には謝ることも大事だけど、何事もミスは必ずするものだし、謝ってばかりだと相手も疲れるしうんざりしちゃうと思うの。でも人って感謝の気持ちを伝えられると、嬉しくなるでしょう。例えば私の部活のバスケではボールが飛んでいっちゃって他のメンバーが練習しようとしてるところを遮っちゃうことはよくあるんだけども、そこで、メンバーがボールを拾ってくれたりしたときには、(邪魔してごめんなさい!)の気持ちより(取ってくれてありがとう)のほうが言われて(ああ、良い事したんだな。)って気持ちになりやすいと思うんだ。」
と言う。
僕は彼女の意見もありだと思う。
人には人の意見があるし、僕はその人が思った意見をその人自身に尊重してほしいと思う。
だから彼女の考えもこれからも、ずっと続いてほしい。そうすればいつか人々の考え方もいつしか変わってくるのではないか。僕はそう期待して、彼女を教室の端から見つめている。
「これからも、ずっと、、変わるまで」