「ディヴァイン・フューリー/使者」 ヨンフがみつけた生きる意味のはなし。(二次創作です)
契約している選手から「イタリアで神父になるから契約を切ってほしい」と言われて「はい」とうなずけるマネージャーがどこにいるだろうか。自分は「あの、もういちど行ってくれませんか?」だった。ここが喫茶店じゃなかったらテーブルを挟んで座る男にすがりついていたかもしれない。
ハン・ミグァンはぱしぱしと目を瞬かせて「あのぉ、契約をこのタイミングで切るというのは違約金が……」とそっとスポンサーのことを話す。ヨンフの悲劇的な人生と、類まれなる強さに目をつけた企業がこぞって彼のスポンサーとして手を挙げ、ミグァンは金に頓着しないヨンフのために利益と彼の保護のためにスポンサー契約を結ばせたのだった。
それを大会を蹴っ飛ばすわ、契約を切りたいだわ、散々なものである。後始末をする身にもなってほしい。
ヨンフは不思議そうな顔をしていた。
「だからあなたに頼んでるんですが」
だから。だからと言ったのか、この男は。
ぎりぎりと持っているマグカップを握り締めたい衝動に駆られながらもミグァンはヨンフを見つめ返した。
親を早くに亡くし、育ててくれた祖母も学生時代に失い、生きる道を求めて軍人をめざし、そして格闘技への道を進められた青年。彼の人生はまだまだこれからで、一生を遊んで暮らしても足りないくらいのフィトマネーが彼を待っているはずなのだ。(そしてヨンフはその金を周りに勧められるトレーニングや食事などの体への投資にしか使わないので経済は全くまわらない。)なのに、彼はそれらを捨てるという。人が喉から手が出そうなほどに羨ましいと思うあの高級マンションも、車もバイクもトレーニング用機器も手放して大嫌いだった神様のための存在である神父になると言う。
一度チャンピオンになると決めたら突き進むまで突き進んだヨンフほど頑固な男が一体なぜ。
「それで、違約金はいくらなんですか?」
あ、ああ。ヨンフの中では膨大な貯金から違約金を払うこともこれから得られる金を失うこともどうでもいいようでミグァンが提示した金額を見て頷き、小切手にその金額を書いてミグァンに渡した。
ミグァンが嘘をついているとか、そういうことは全く考えていない素振りだった。もちろんミグァンは無名だった頃からのヨンフのマネージャーであるというプライドから嘘をつくなんてことはしないが。それでも、その仕草ひとつひとつに感極まりそうになった。
ヨンフにこれからどうするんですか? と聞いたら空港へ行くと言った。まさか、この契約を切るためだけにソウルに留まっていたのだろうか。
「ま、まさかもうイタリアへ!?」
「いえ。お世話になっていた神父さんを送るんです」
お世話になっていたシンプさん。言葉の意味が分からず首を傾げた自分にヨンフはすいすいとスマホをタップする。そして「この方です」と優しそうな神父さんと恥ずかしそうに横に立つヨンフというツーショットを見させてもらった。
「イタリアへ行くか決めあぐねていたら、チェ神父……友だちが、写真を撮ったらと言ってくれたんです」
それがこの写真らしい。ヨンフは続けざまに「この写真を見ていたら、この人を守るのは自分しかいないんじゃないなと思って」と言う。
確かにヨンフと比べれば小さくて笑顔が明るくて優しそうな人だけれど。だからといって神父を守るって、と冗談を言うことはできなかった。
「……今度こそ、守りたいんです。大切な人を」
ヨンフのその時の表情はなかなか表現がしにくい。大切な人を慈しむような、後悔がまざるような、そんな不可思議な顔をしていた。
自分は「機会があったらぜひ会わせてくださいね」と言うしかなかった。
ヨンフと別れたあと、神父 守ると検索をかけてみる。出てくるのはいのちを守るだとか、掟を守るという話に加えて性加害についてのページもヒットした。ヨンフが言いたいことはこれではないだろう、とすぐにブラウザを落とした。
保護者をなくしたあとの彼は、人に言われるがまま、やりたいことではなく生きていくために道を選んできたと思う。それが初めてやりたいことを見つけた。初めて、自分の意思で進む道を決めた。それが嬉しいことであり、別れることが寂しくもあり。ミグァンは複雑な気持ちだった。
それでも、雲ひとつないこの青空はヨンフの旅立ちを祝福してくれていると思った。
いつか、自分もイタリアへ行きたい。そして、ヨンフとあの老神父と一緒にジェラートでも食べたい。そう願うくらいは許されるだろう。
学食で今人気なのはこの大きなカップケーキだ。ふわふわのクリームに、キラキラしたなにか……飾り。添えられたクッキーは花のデザインをしている。インスタ映えというのはこういうものを言うのだろう。今はインスタよりもTiktokだっけ。わからない。
ひとつ注文したあと、自分ひとりで食べ切れるか心配になった。周りを見ると、友達とシェアしていたりする。聞こえてくる言葉は「カロリー」「ダイエット」「食べきれない」などなどだった。
「……」
ダイエットとか知らない、と大きく口を開けて食べ始める。自分の見た目が太っているのは知っている。太ましい、なんて言葉では言い表せないほどに。
学食に来たスポーツ学科の男子たちが自分を見てなにか笑っていた。馬鹿にされることは悲しいことに慣れていた。と、その時、シェアして食べていたはずの女の子たちの視線がギンと鋭くなった。
つん、と周りの女の子たちにテレパスとアイコンタクトが送られていき彼らを針のむしろにしていった。
そうか。ああやって戦ってくれる人がいるのか。わたしはカップケーキにまたかぶりついた。おいしい。
昔、流れ星に願いごとをした。
おれも女の子を好きになれるようにしてください。そうじゃないと、みんなにバカにされます。
流れ星はおれの願いを叶えてくれなかった。おれは今も人を好きになれないままで、誰かのコイバナを聞くことはあっても自分の話をすることはない。まあ、告白をされることもないのだが。恋人がほしいと言ったことはない。
恋人がいないと、童貞を捨てないと大人になれないと思うことはなくなった。今はそれでいいと思っている。自分がアロマンティックであセクであると認めたら、ちょっとだけ息がしやすくなっていた。
あの子としゃべっちゃダメだからね! このルールを破った人は仲間はずれね!
それはいじめのターゲットをお前に変えるから覚悟しろよという宣告だった。自分以外の決めたルールに従うのはとても苦痛だったけれど、親曰く学校の言うことには従えというから我慢していた。でもクラスメートによるルールはどうなのだろう?
自分は親に聞いてみた。クラスメートのルールの話を。親は「そんなのやっちゃダメ」と言った。自分は彼女のためを思って、「いじめをなくすため」彼女のことを殴って引きずってボロボロにした。校庭で女の子が泣き叫びながら土埃にまみれて引きずられているのを見て先生たちは飛び出してきた。周りのクラスメートたちはみんな泣いていたからビックリした。
自分は学校に呼び出されたので「ルール」の話をした。彼女は嘘をつきそうになるから「でもあの時みんなに言ったでしょ」と繰り返して聞いてみたら彼女は泣きそうになりながら「ごめんなさい」と言った。学校のルールに反しているから謝るのは当然だったが、自分もなぜか謝らされた。学校のルールは「仲直りしましょう」だったから従うことにした。
クラスでいじめはなくなり自分は学校のルールできちんと生きられるようになった。
今日の心模様
彼はその日、機嫌が悪かった。あなたはその原因が分からずおろおろと彼の周りを見つめた。彼のことを見ると余計に心が萎縮することが分かっていた。