雪だるまの恋人
この冬最後の冬晴れの日。
「今日でお別れだね」と言うと、君は戸惑いと言葉にならないいくつかの感情(あえて言い表すなら強い恐怖)を浮かべて以降、むっつりと仏頂面になった。
でも僕は知っている。
笑って見送るため泣くのを我慢しているんだってコト。
不器用な君は、巡る季節の中で何度別れを経験しても、最後の日はどんな顔をしたらいいか分からないって顔をする。
夕暮れ時だった。
渡り鳥の翼のようにすてきな弧をえがく君の尾が、僕の視界より高いところにある。
「あんたはさ」
うん。
「すっかり溶けて、また雪だるまとして生まれるまでのあいだ、記憶はあるの?」
「なんとなく」
え、と切れ長の目がまん丸の形になる。かわいい。
「春の桜も、夏の海も、紅葉のお山も、記憶はあるよ」
「ど、」
どういうこと。
言ったきり、ぴしりと固まって考え込み始めた君を微笑ましく見つめる。ちなみに今回の僕の目玉の役割を果たしてくれた木の実はとっくのとうに地面に落っこちていたけれど、視界に支障はなかった。
「壁に目あり障子に耳あり雪だるまの目はどこにでもあり」
「意味分かんないんだけど」
「雪だるまは遍在する」
「説明する気がないのは分かった」
「説明のしようがないんだよ。頭の中のページを捲ると、南の島の神秘の蝶が舞う一夜もあれば、暖かな暖炉の部屋の記憶もある。誰も顧みないゴミ捨て場の情景だって」
最後はともかく、美しい場所に君とともに行けたらいいな。
こぼす気のなかった本音を漏らすと、君は大きな瞳を揺らして、それきりしんと静かに僕に寄り添った。
日が落ちて、暗い夜空に星が瞬く。
僕らは星座を眺めながら、目配せによるたくさんのサインや無言の言葉を交わした。
この世で最も愛情深い沈黙だった。
猛烈に眠い。虚脱感が全身を包んでいる。
もう意識が途切れようかという頃、君はおもむろに口を開いた。
「次にあんたがどこで目覚めようと、それがたとえここからうんと離れた──海にぽっかり浮かんだ無人島だろうが、あんたがいるなら必ず行くよ」
それは楽しみだ。
なんせ君は賢く、健脚だ。
毎冬どこに現れようと、必ず僕を見つけ出す。
ちなみに今回は佐藤さん家の軒先だった。
「もうじき春が来るよ。ノア」
その言葉を最後に、僕の魂は淡雪のように水溜りから立ちのぼる。
そうして、風に舞ってあっという間に掻き消えた。
「ニャァ」
おやすみ。
優しい声が聞こえた気がした。
別れは辛いけど寂しくはない。
さて。次に会う時、君の尾は三本に増えているかな。
深夜スーパーの人魚姫(解凍待ち)
新年一発目の出勤日。
休憩時間。同僚から今年の抱負は? と聞かれた。
「寝坊しないことです」と答えた。
「げっ」
すっからかんの惣菜売り場。弁当さえない。
潔くあきらめてこういう時の救世主・鍋焼きうどん。
明太子も欲しい。卵はうちにあったな。
ついでに大してめでたくもないが半額シールのおはぎ。
あと明日のためにメロンパン。そうそう。牛乳もいる。
照明に照らされて不気味な光を放つエナジードリンク。
目についたラベルの発泡酒をつかんだ。
無人レジのおしゃべり。
「あれ」
あくびをかみ殺して目を擦る。アイシャドウのラメ。指の背が、鱗のように銀にきらめく。
すぐさまティッシュで拭おうとして、やめておいた。
捨てどきの分からないくたびれたエコバッグを手にさげる。
ずしりと重い。
ここが海ならちっとも上手く泳げている気がしない。
物語未満の人生。
年始から残業三昧だ。劇的とは程遠い。
陽気な店内ソングを置き去りに、帰途につく。
外は恐ろしく寒かった。
これじゃ海なんかじゃない。冷凍庫だ。
冷凍庫の奥底で静かに果てる魚の干物に思いを馳せた。
「化石はいやだなぁ」
朝になったらニュース番組で流れるのだ。
××県◯◯市で氷漬けの遺体が発見されましたって? 嫌過ぎる。
ならば内側から身体を温めればよいと家に着くまでのあいだ、おはぎをつまみに、発泡酒を二本あけた。
いい気分だったのでひとしきり電柱とダンスする。
王子様が迎えに来る気配は一向にない。
なんなら酔っ払って公園のベンチで凍死する確率のが高そうだ。
翌朝。幸いニュース番組に取り上げられることはなかったが、猛烈な二日酔いで新年早々寝坊した。
自分でもどうかしてると思う。