My Heart
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心の形は、どんなものだろう
よくハートの形で表現されているけれど、私は器の形をしているのではないかと考える時がある
人それぞれの器があり、そこに各々の感情が注がれているイメージ
壊れにくいプラスチックのコップ
透き通って綺麗な硝子のワイングラス
どっしりとした陶器の湯呑み
細かな意匠が施された金属のスープ皿
一人ひとり、大きさも材料も用途もデザインも違う器
でも、その器はずっと同じでは無くて、年齢や経験によって、柔軟に形を変える
幼少の時は粘土のお皿、思春期にはガラスの花瓶、老年には陶器の植木鉢、
一時期は氷のサラダボウルになるかもしれないし、パズルでできた小物入れになるかも
注がれるものも、きっとそれぞれ
いろんなかたちのビーズに、いろんな香りの花、ふかふかの土に植った壮観な松、
色とりどりな野菜に、いろんなデザインのヘアピン
心の解釈も、感情の受け止め方も、人それぞれだろうから、
器の形も注がれるものも、きっと様々あるだろう
今の私の心は、どんな形をしていて、何が注がれているだろうか
愛を注いで
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今は、私に私の愛を注いでいる
以前は、友達や家族、たまたま会った人、画面の向こうの他人にまで、自分の愛を配っていた
ちょっとした事で幸せを感じられるから、それのお裾分けに
でも気が付いたら、自分の分まで渡してしまっていた
自分の分がない、すっからかん
挙げ句の果てに、自分そのものを削ってまで渡す始末
もはや、あげることが癖になってしまっていて、心のどこかでダメだ嫌だと思っていても、渡してしまう
渡したこと自体に対しては、後悔はない
それで少しでも助けになったり、喜んでもらえていたと思うから
とうとう限界が来て、目の前が真っ暗になった
希望がなに一つ見えなくて、自分がすっからかんで、胸の奥がひどく冷たかった
何が何だかわからなくなって、自分をひどく傷つけたくなって、言葉で散々自分をなぶった
なんとか立ち直って、今はボロボロになった自分をゆっくり直しながら、のんびり過ごしている
まだ、ついついあげてしまうこともあるけれど、先ずは自分の分、それから溢れた分を渡すことを学んだから、少しはマシになっているはず
だから、先ずは私に私の愛を注ぐ
すっからかんな心が満たされるまで
満たされて溢れた分を、貴方にお裾分けしよう
心と心
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なんとなく、
胸の肋骨の真ん中にある胸骨の奥に、空間があるイメージがある
本来なら心臓やら肺やらなんやら大切な臓器が詰まっていて、隙間なんてないだろうに
気づいたら、なんだかよくわからないスペースがある感覚があった
そこは、ポカポカあったかい時もあれば、ひんやり冷たい時もあり、ドロドロしたものが溜まっている時もあれば、逆にすっからかんな時もある
一番厄介なのはドロドロしたものが溜まっている感じがする時
とにかくむしゃくしゃするし、ドロドロしたものがへばりついているような気持ち悪い感覚がある
もういっそのこと、胸をかち割ってドロドロを掻き出したくなる
これはなんなのだろうか
これこそ心の正体?
溜まる感覚があるということは、私にとって心は器の形をしているとでもいうのだろうか
肉体的な心と精神的な心
心臓とこれをこんな感じに例えてみる
場所的にも重なっているし、きっとこれが心なのかも
部屋の片隅で
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部屋の片隅で、今日は何を書こうかと思い悩む
発想を彼方此方に飛ばして、浮かんだイメージをつなぎ合わせる
部屋の片隅で埃をかぶっている、ラケット
部屋の片隅で存在感がある、テレビ
部屋の片隅で使われる時を待っている、ヨガマット
どれも色々な、思い出と想いと願望があって
どれを選んでも色々と書けそうだけど
今回は、何を書こうかと思い悩むことを書こう
部屋の片隅で
逆さま
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実は、パラレルワールドをこっそり信じている
きっかけは確か、友達に誘われて初めてみた恋愛映画
主人公たちのいる世界線は、悲惨な運命を辿った
でも、それをなんとか別の世界線の自分達に伝え、別の世界線の主人公たちはハッピーエンドになる
そんな話だったような気がする
以前母から、一番最初の子は流れてしまったのだけれど、もう一度私を選んでくれて貴方として産まれてきてくれたのかもね、なんて話を聞いたことがある
私は末っ子だけれど、もしそうだとして
もしその時生まれていたら、私は逆に長子で、今とは全く違う人生があったのかも、なんて考えたことがある
ありえない話だけれど、もしかしたらそんなことがあったのかも、と考えるだけでちょっとワクワクする
この考えは、選択に迷ったり、選んだことを後悔しそうな時に使ったりする
AとBがあって、Aを選んだけれど後々Bの方が良かったのかも...なんてごちゃごちゃ悩んでしまう時には、
今私がいる世界線ではAを選んだ
もしかしたらBを選んでいた世界線もあるかもしれないけど、今、私がいるのはAを選んだ世界線で、
Bを選ぶのは、この世界線の私の答えではない
なんて考える
私の場合は、これで腑に落ちることが多い
考えるだけはタダだから
なんでも自由に考える
きっとどこかの世界線には、今の私とは逆さまな私がいる世界線もあるかもなんて
馬鹿らしいだろうか