5/24 19時台
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ここなら、大丈夫。きっと大丈夫だわ。
わたしの体は、その声と共にそっと包み込まれた。
体全体を覆う、大きくて、確かな安心感のあるもの。
優しい温もりのある、両の手の平の中のよう。
余りに居心地が良くて、時折眠気に負け、うつらうつらとすることもあった。
いけない!
自分に喝を入れ、来る時に備える。
そんな時だ。
---駄目。ここも駄目だわ!
と、声がする。
切羽詰まった声の後、わたしはまた柔らかいもので包まれ、どこかに優しく下ろされるのだ。
そこは大抵、暗闇の中だった。
そんな繰り返しの毎日だ。
もう長い月日が経った。
そしてわたしはその期間、ある『武器』を作っていた。
『武器』とは、体の中に稲妻を溜め込むことだ。
わたしや、他の仲間たちは皆、稲妻を体に纏い、それを自在に操ることができた。
ただ黙々と、体の中に稲妻を蓄積させ、それを極限まで育てる。
ただわたしは、なぜそうまでして必死に育てているのか、不思議に思った。
本能なのだろうか?
その時だった。
---こっちは危険なの。
あなただけでも早く逃げなさい!
切羽詰まった声だった。
その声を思い出した瞬間、全てを悟った。
わたしは、わたしたちは、逃げていたのだ。
仲間たちは逃げ切れなかった。
わたしだけ、逃げきれた。
逃がして貰えたのだ。
無数の大きな手がたくさん伸びてきた時、誰かがわたしを強く押した。
大丈夫だから。
あなたなら、逃げ切れる。
---私たちの分まで。
そうだ。逃げなければならなかったのだ。
けれど、わたしは考えていた。
逃げてどうなる?
逃げたところで、仲間は帰ってくるか?
帰ってこない。
ならば、例え自分勝手な行いだと言われようとも、わたしは逃げたくない。
---復讐してやる。
必ずや、奴に一泡吹かせてやる、と。
仲間の仇を取ってやるのだ、と。
思い出し、震える体に鞭を打って動かしかけた、その時だ。
「あぁーっ!」
地響きに似たものが声だと認識された。
またそれが言葉に変わった頃には、わたしの体は既に浮き上がっていた。
柔らかいものが体から次第に取り除かれ、真っ暗闇だった中に光が差し込んでくる。
視界が一気に開けた途端、わたしはその正体を見た。
ぎょろりとした大きな目が二つ、わたしを見ていた。
青白く透き通った中に、焦げ茶の瞳。
フサフサのまつ毛に縁取られた、愛らしいと思うような大きな瞳をしている。
その目が細められ、代わりに桃色をした薄い唇が静かに開く。
ぱっと体の締めつけから解放された瞬間、わたしの体は開いた口の中へと、真っ逆さまに落ちていく。
---駄目だ。このまま、ただでやられてなるものか。
全身を奮い立たせると、稲妻のように体が放電した。
来る日も来る日も、この時のために溜め込み続けてきた稲妻たちよ!
よし、いける!
口の中へ落ちる瞬間、わたしは一気にそれを放出させた。
ぱくっ。
千花は口の中へそれを放り込み、舌の上でごろんごろんと転がした。
途端に、痺れるような刺激が千花の小さな口の中でバチバチと弾けた。
あまりの痛さに思わず呻いた。
が、またこの刺激が楽しく、癖になる。
パチパチという音が小気味よく響き、舌の上が緩やかに刺激されると、次第に甘みが顔を出す。
にんまりと笑みを深めると、千花の妹である千紗が、
「あぁっ!」
と言って、彼女を指さしこちらに走ってきた。
「ずるい!あの時1個だけなかったやつでしょ!
どこにあったの?」
「クッキーが入ってた缶の中。今はもうお口の中だよ」
そう言って、千花は昨日抜けた前歯の辺りを見せ、にかっと笑う。
笑いながら、あー、バチバチ痛い!
と、嬉しそうな言うので、千紗は顔をくしゃくしゃにして、ママ!と呼んだ。
千花はひっと悲鳴をあげ、逃げていくと、
「にがさないから!」
と、千紗が回り込み、握りこんでいた千花の指をこじ開け、それを奪った。
千紗はそれを握りしめ、ママの元へ走り寄ると、
「ねぇ、ママ!
またこのお菓子を買ってきて!」
と言って、包み紙を広げた。
そこにはこう書かれていた。
『稲妻パチパチキャンディ』
そう、ポップな自体で書かれた包み紙である。
このキャンディは、口の中でパチパチと弾ける炭酸が入っており、たくさん食べると舌が痺れてしまうのだ。
それこそ、『稲妻』を落とされたかのように。
「ねー、ママ!
また千花が見つけて食べちゃったの。
しかも、最後の1個よ?」
「もー、また?
どこに隠しても必ず見つけるわね。
防衛失敗だわ⋯」
そう言って、ママは額に手を当てていた。
千花は6歳だ。
小学校1年生になったのだが、ここの所体型がかなりまるこくなっている。
そのため、ママは家にあるお菓子たちをあらゆる手段で隠したりしていたわけだが、
いとも簡単に千花は全てのお菓子を探し出し、食べてしまうのだ。
買わないようにすると、どちらかと言えば活発に動く痩せ型の千紗が、お菓子なしは可哀想である。
どうすれば、とママが考えていると、炭酸飲料をラッパ飲みした千花が、顔を歪めていた。
ママはどうしたの?と千花の元へ行き顔を見ると、ふくよかな頬がいつもより膨れているのに気付いた。
「歯がいたいの」
そう言って千花は涙目になっている。
ママは口を開けさせ、甘い匂いが漂う口の中を確認し、またため息を吐いた。
「甘いものをたくさん食べると、虫歯になるって言ったでしょ?」
「虫歯ってこんなにいたいの?」
「そうよ。今まで食べてきたお菓子たちが、千花の歯に悪さをしているんだから」
「そんなぁ。治るの?」
涙声になる千花の頭を優しく撫で、
ママはスマホを取り出し、どこかに電話を掛け始める。
「もしもし、歯の治療の予約をお願いしたいのですが⋯」
そう言うと、千花の赤らんだ顔はみるみるうちに蒼白になった。
だいきらいな大きい音。
口の中で溢れかえる水に、沢山の機械たち。
途端に真ん丸な瞳から大粒の涙がはらはらと溢れた。
「歯医者、きらい⋯」
食べられるキャンディ。
電気バチバチの反撃。
何が書きたかったのか?疲れてるね。
『お願いお月様』
網戸を開けると、からりと乾いた音がする。
一歩踏み出した足がスリッパに収まると、途端にひんやりとした夜風に体を包み込まれた。
今日は大きなお月様が登っていた。
街灯など必要ないほどの明るさで、くっきりと夜空に浮かび上がっている。
流れる髪を耳に掛けると、わたしはバルコニーの手すりを掴み、背伸びをして、少し身を乗り出す。
その瞬間、
「危ないから」
と、声がし、わたしは驚いて下を見た。
立ち並ぶ三角屋根の、真っ直ぐに伸びた道。
そこで、さっき自分の部屋の隙間からこっそりと見た、桜色のパーカーが浮かび上がっている。
表情こそ分からないが、きっと怖い顔をしているだろう。
戻りなさい、と口が動いたような気がした。
わたしは仕方なく、手すりから手を離すとその場でしゃがみ込む。
すると、わたしの姿がなくなったからか、またこちらに背を向け、歩き出すのが手すりの隙間から見えた。
その姿を見つめながら、わたしは恨めしいような気持ちで夜空を見た。
「お願い」
わたしの口から、か細く声が漏れる。
玄関口でトントンと靴を鳴らす音。
起きているわたしを知りながら、ちいさく
「いってきます」
という声が蘇る。
もう一度、素知らぬ顔をしているお月様を見つめていると、涙が頬を伝った。
きゅ、と唇を噛んだ。
お月様。お願い。おかあさんを連れていかないで。
2024/05/26