→白昼夢
真夏の太陽が中天に昇ったので、貴方の真っ黒な影は、貴方の足元を切り取りました。
堕ちたら最後、現実世界とさようならです。
テーマ; 真昼の夢
→短編・これで、おしまい。
ランチタイムのフィミリーレストランに、一組の男女が来店した。二人は親しげな様子で席に着き、タブレットで注文を済ませる間も、和気あいあいと話し続けていた。
「ここのファミレスの店内、新婚旅行で行ったダイナーに似てるなぁ」と感想をもらす男性に、「あっ、気がついてくれた? 私もそう思ってたから、あなたと一緒に来てみたかったのよ」と女性が答える。
二人の会話は止まることなく弾んだ。二人で訪れた旅行先の話や、馴染みの隠れ家レストランの話から、家にあった巨大な本棚を埋め尽くしていた本の話に至るまで、話題は尽きない。
「ワインを飲みながら二人で読書に没頭するのって、最高よね」
「あの静けさは堪らんよな」
「今は何を読んでるの?」
「某有名SF小説。ようやく新章に突入」
「それは何より」
まるで秘密を共有するように二人が顔を合わせて微笑んだちょうどその時、「こっち! こっちに来て!」と二人のテーブルの横を就学前と思しき幼児が母親の手を引っ張って通り過ぎていった。
男性の視線が泳いだ。
女性は表情を変えなかった。凍りついたようにも見えるほほ笑みが、さらに男性の背中を丸くした。
「ごめん……」
「私たちが選択したことよ」
「うん」
「今までも、これからのことも、後悔はなし。そうでしょ?」
「うん」
会話は息切れしたキャッチボールのように勢いを失っていた。それまで二人の空元気のような活力で成り立っていた陽気さは、周囲の賑やかさの中に埋もれていった。
食後に運ばれてきたコーヒーを女性は一気に飲みきった。
「あなたはゆっくりしてて。私、お昼休み終わっちゃう。行くね」
伝票に手を伸ばした女性よりも先に、男性がそれを自分のそばに寄せた。
「これで最後だ。俺に払わせてくれよ」
女性は空振りとなった自分の手を見つめた。昔は何度も重ね合った手が、重なることはもうない。
気を取り直すように顔を上げ、女性は立ち上がった。
「じゃあ、ご馳走になろうかな。ありがとう」
「君との結婚生活、俺はとても幸せだったよ」
「私もよ」
男性は女性に左手を伸ばした。
「握手しよう」
「変な感じ」と言いながらも女性も手を差し出す。
二人は左手で握手を交わす。二人だけの句点のようにお互いの薬指に指輪の跡が残っている。
「一区切りって気がしないか」
「小説と同じね。ここから新生活の始まり。書類は出しておくわね。」
「あぁ……、うん、ありがとう。任せて悪いな」
「気にしないで。私の仕事場、役所なんだから」
握手の手が解かれる。
二人が会うことはもうない。
テーマ; 二人だけの。(句点)
→挨拶
冬の寒気団を冬将軍とはいうが、夏の高気圧には名前がない。
しかし、熱帯夜や夏祭りの郷愁が、夏の存在感を高め、冷たい冬将軍よりも懐古的な親しさを抱かせる。
だから、こんなふうに呼びかけちゃうんだな。
よぉ、1年ぶりだな、夏。
テーマ; 夏
→短編・真実(しんじつ)は隠された。
〇〇県にある△山は、麓の村落で信仰の対象とされており、古くから入山を禁止されていた。
解禁されたのは近年になってからであるが、その事情は、時代に後押しされて仕方なくといった具合であった。
今でも、村落の古老らは、山が開かれたことに眉を顰める者も多いという。
つい先日、この△山に遭難者が出たと新聞で報じられた。神谷真実(30)の消息は未だに不明だ。
谷間で彼女のリュックやトレッキングポールが発見されたが、それ以上の痕跡は何もなく、彼女が滑落した可能性も乏しい、と新聞は伝えている。
警察の事情聴取に応じる村人たちは、「神隠しだろう」と判で押したように語るばかりで、捜索は手詰まりを感じているとのことだ。
テーマ; 隠された真実(まみ)
→夏の音。
熱を凝縮したような夏の、
ほんのささやかな風が、
リン、レン、リンと音が運んできた。
硬質で透明な音色。
蒼空に、
硝子結晶の五線譜。
リン、レン、リン。
小さな風鈴が、
どこかで鳴っている。
テーマ; 風鈴の音