→短編・これで、おしまい。
ランチタイムのフィミリーレストランに、一組の男女が来店した。二人は親しげな様子で席に着き、タブレットで注文を済ませる間も、和気あいあいと話し続けていた。
「ここのファミレスの店内、新婚旅行で行ったダイナーに似てるなぁ」と感想をもらす男性に、「あっ、気がついてくれた? 私もそう思ってたから、あなたと一緒に来てみたかったのよ」と女性が答える。
二人の会話は止まることなく弾んだ。二人で訪れた旅行先の話や、馴染みの隠れ家レストランの話から、家にあった巨大な本棚を埋め尽くしていた本の話に至るまで、話題は尽きない。
「ワインを飲みながら二人で読書に没頭するのって、最高よね」
「あの静けさは堪らんよな」
「今は何を読んでるの?」
「某有名SF小説。ようやく新章に突入」
「それは何より」
まるで秘密を共有するように二人が顔を合わせて微笑んだちょうどその時、「こっち! こっちに来て!」と二人のテーブルの横を就学前と思しき幼児が母親の手を引っ張って通り過ぎていった。
男性の視線が泳いだ。
女性は表情を変えなかった。凍りついたようにも見えるほほ笑みが、さらに男性の背中を丸くした。
「ごめん……」
「私たちが選択したことよ」
「うん」
「今までも、これからのことも、後悔はなし。そうでしょ?」
「うん」
会話は息切れしたキャッチボールのように勢いを失っていた。それまで二人の空元気のような活力で成り立っていた陽気さは、周囲の賑やかさの中に埋もれていった。
食後に運ばれてきたコーヒーを女性は一気に飲みきった。
「あなたはゆっくりしてて。私、お昼休み終わっちゃう。行くね」
伝票に手を伸ばした女性よりも先に、男性がそれを自分のそばに寄せた。
「これで最後だ。俺に払わせてくれよ」
女性は空振りとなった自分の手を見つめた。昔は何度も重ね合った手が、重なることはもうない。
気を取り直すように顔を上げ、女性は立ち上がった。
「じゃあ、ご馳走になろうかな。ありがとう」
「君との結婚生活、俺はとても幸せだったよ」
「私もよ」
男性は女性に左手を伸ばした。
「握手しよう」
「変な感じ」と言いながらも女性も手を差し出す。
二人は左手で握手を交わす。二人だけの句点のようにお互いの薬指に指輪の跡が残っている。
「一区切りって気がしないか」
「小説と同じね。ここから新生活の始まり。書類は出しておくわね。」
「あぁ……、うん、ありがとう。任せて悪いな」
「気にしないで。私の仕事場、役所なんだから」
握手の手が解かれる。
二人が会うことはもうない。
テーマ; 二人だけの。(句点)
7/16/2025, 5:51:00 AM