花畑といえば、昨年、栃木県足利市の
「あしかがフラワーパーク」に行った。
そこは日本屈指の藤の花の名所で、満開時には
優しい紫色の花が無数に咲く。
昼間も圧巻なのだが、夜のライトアップはまた格別で
光に照らされた藤の花そのものが輝いているような
この世のものとは思えないくらい
幻想的な風景が存在していた。
また、「花畑」とはいっても、花々の隙間に雑草が
ひょっこり生えている、なんて光景は
実際のところ日常茶飯事である。
しかし、あしかがフラワーパークは違った。
藤の花だけでなく、同時に見頃を迎える躑躅や
それらのアクセントとなる他の花まで
美の追究を一切怠っていなかった。
管理されている方々の努力が素人目にもはっきり認識できるのである。
当然、雑草も生えていない。
私はあれ以上の完成された「花畑」を見たことがない。
もし気になったのなら一度訪れてみることをお薦めする。
藤の花の見頃は5月だ。
「空が泣く」なんて感じてしまう時があるのは何故だろうか。
普段はただ「雨が降る」としか思わないのに。
それは主観的な事情の積み重ねに他ならないと思う。
自身に悲しいこと、苦しいことが起きた時に
雨が降れば、「空が泣く」と表現したくなる。
しかし、同じ「雨が降る」という事象であっても
望み尽くして待ち焦がれた雨であった場合には
「恵みの雨」なんて言葉が出てくる。
要は自分の思い込みひとつで良いものにも
悪いものにも見えてくるのである。
ほら、そこに嫌いなものが落ちているよ。
それを好きなものに変えることはできないだろうか。
君からのLINEが来た。
返事をせねば。返さねばならない。
返さねば社会人として失礼だ。
しかし、どんな文言で返したものか。
私はウィットに富んだ今風の返事ができない。
無理に若々しく、親しみやすく見栄を張れば
空回りして自滅する。
自滅して恥ずかしい思いをした経験は数え切れない。
では、気取らずにありのままの自分で
返事をしてはどうだろうか。
いや、それもあまりお勧めできないのだ。
上記の今までの文章を見てほしい。
LINEの返事としては堅すぎる。
そうして何度も書いては消しながら、
10分くらいかけてようやく自分の納得の返信ができあがる。
これが、人間関係において長らく日陰者として
生きてきた人間のLINEにおける四苦八苦である。
人間はその命が燃え尽きるまで生きようとする。
その先に「幸せ」があると信じて。
燃え尽きるその時に「ああ、良い人生だったな」と
心の底から思えるように。
だが、その燃え尽きる瞬間はいつ訪れるかはわからない。
10年後かもしれない、20年後かもしれない。
ちゃんと平均寿命くらいまで生きるかもしれないし、
100歳を祝ってもらえるくらいかもしれないし、
考えたくはないが…明日かもしれない。
ならば今一度、振り返ってみよう。
貴方の人生、命が燃え尽きた時にちゃんと誇らしく
胸を張って「良い人生だった」と言えますか?
私はまだその終着点に向かうための旅路を探し続けています。
夜明け前は普段ならば夢の中にいる頃合なので、体感する機会はそんなに訪れない。
しかしその稀さが、運良く出くわした時の神秘さに拍車をかけているように思う。
初めは真っ黒だった空が、まだ地平線に隠れているはずの太陽の光を受けて、徐々に白を混じらせていく。
あの独特な色の変化はいつ見ても美しい。