健全な状態。
健全な状態とは、幸せだけに満たされてることなどでは無い。
人は幸せだけを纏ながら生きれるほど頑丈では無いし、不幸だけを背負いながら生きれるほど発達していない。
しばしば人は自虐的な一面を持つ。過去の経験から、自分は裁かれなければならない存在だと、許されたいと無意識のうちに思ってしまうのだ。ある例を挙げる。
学校のある数学の授業で、数学に自信のあったAは発言をした。だが、その内容は答えと違っていた。間違ってしまったのだ。
何十人もの人達が集まるこの場で、間違えてしまったことに対して、もともと数学に自信があったのも相まってAは酷く落ち込んだ。
この落ち込みこそが重要である。落ち込んでしまったということは、自分が裁きを受けなければいけない対象だと思うことでもある。落ち込みは、間違えてしまったことに対して、自分自身を裁こうと思うエネルギー源である。
裁くと言うと、物騒に聞こえるかもしれないが、つまりは自分を机に向かわせるということだ。落ち込みをエネルギー源に、二度と失敗しないよう自分自身で自分を机に向かわせるのだ。
この裁きは無意識のうちに起こっている。経験から無意識のうちに形成された自分への裁きを必ず所持している。
つまり、健全な状態とは自分自身がきめた幸福の量と、裁く量とが「ちょうどいい」時のことを指す。
幸福の量が多すぎるとその重さに耐えきれず、逆に幸福であることから逃れようとするし、裁く量が多いと、自分自身を痛めつけるだけになってしまう。
大事なのはその量の配分であって、健全という観点からみれば、幸福や裁き、それ自体に意味があるものでは無い。
逆光
お日様の光を
背中にめいいっぱい浴びて
あ、僕の友達
お気に入りのボンボンの帽子の丸っこいのが
くっきり見える
手を横に伸ばしたら
そいつも横に伸ばした
バンザイしたら
そいつもバンザイした
雨の日には出会えない
雪の日も、曇りの日にも
お日様が出ている日だけの
僕の友達
こんな夢を見た
その家は5人家族でした。
お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんと、妹と、僕。
お兄ちゃんが産まれたとき、お父さんとお母さんは
「産まれてきてくれてありがとう」
とお兄ちゃんのほっぺにキスをしました。
僕が産まれたとき、お父さんとお母さんは
「幸せになってね」
と僕をぎゅっと抱きしめました。
妹が産まれた時、お父さんとお母さんは
「かわいい」
と笑いながらその小さな手を自分達の指に絡めました。
僕は大きくなっていきました 。
大きくなるにつれて、お父さんは、いなくなりました。
2年前の今日、お兄ちゃんが、ふっとどこかへいなくなりました。
1年前の今日、お母さんは、仕事から戻ってきませんでした。
3ヶ月前の今日、妹が、あの交差点で救急車に運ばれていくのを見ました。
僕は何も知りませんでした。
僕は独りきりになりました。
今日、僕は、僕を殺そうと思います。
タイムマシーン
あなたの顔は見えていないけど
確かにそこにいる
あなたの声は聴こえないけど
雪と一緒に小さな声が降ってくる
あなたの息遣い
あなたの匂い
あなたの鼓動
分かる 感じるよ
ねじれの位置で
特別な夜
駆け出した夜の淵に
君の白い手だけがぼんやり見える
僕をどこに連れて行く気だい
手招きしたって僕はそっちに行きはしないよ
もうすぐ朝が来る
五月蝿いほど眩しい光引き連れて
夜の淵は隅に追いやられる
帰っておいで
もうすぐ朝が来る
君の嫌いな朝が来る
帰っておいで
愛しい君よ
僕はそっちに行けやしないよ
帰っておいで
帰っておいで
帰って
おいで