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健全な状態。
健全な状態とは、幸せだけに満たされてることなどでは無い。
人は幸せだけを纏ながら生きれるほど頑丈では無いし、不幸だけを背負いながら生きれるほど発達していない。
しばしば人は自虐的な一面を持つ。過去の経験から、自分は裁かれなければならない存在だと、許されたいと無意識のうちに思ってしまうのだ。ある例を挙げる。
学校のある数学の授業で、数学に自信のあったAは発言をした。だが、その内容は答えと違っていた。間違ってしまったのだ。
何十人もの人達が集まるこの場で、間違えてしまったことに対して、もともと数学に自信があったのも相まってAは酷く落ち込んだ。
この落ち込みこそが重要である。落ち込んでしまったということは、自分が裁きを受けなければいけない対象だと思うことでもある。落ち込みは、間違えてしまったことに対して、自分自身を裁こうと思うエネルギー源である。
裁くと言うと、物騒に聞こえるかもしれないが、つまりは自分を机に向かわせるということだ。落ち込みをエネルギー源に、二度と失敗しないよう自分自身で自分を机に向かわせるのだ。
この裁きは無意識のうちに起こっている。経験から無意識のうちに形成された自分への裁きを必ず所持している。

つまり、健全な状態とは自分自身がきめた幸福の量と、裁く量とが「ちょうどいい」時のことを指す。

幸福の量が多すぎるとその重さに耐えきれず、逆に幸福であることから逃れようとするし、裁く量が多いと、自分自身を痛めつけるだけになってしまう。
大事なのはその量の配分であって、健全という観点からみれば、幸福や裁き、それ自体に意味があるものでは無い。





1/25/2023, 2:59:10 PM