空を見ると心が晴れる

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2/26/2024, 2:59:56 PM

テーマ 『君は今』


私には、遠方に親戚がいる。
5個上の兄と、7個上の姉、他にも沢山。
小学生の頃、親戚宅に泊まった。
兄をいじめるのはとても楽しかった
記憶がいまだに残っている。
私の姉が『怖い話して〜』と、兄にせがんだ。
そして、兄は、『夜中にお風呂に入ってたら、、、お湯の中から長い髪の毛が、、』と、怖い話を話し始めた。
当初、小学生だった私は真に受け、『これからお風呂入るのに涙』と、心の中で思いながら聞いていた。
しかし、兄の期待とは裏腹に、従姉妹は、『それ、兄の髪の毛じゃん!爆笑それか、おばさんの髪の毛じゃん!爆笑』と、ずっと笑ってた。さすが私の従姉妹。さっきまで感じていた恐怖が一気に無くなった。
そこから、兄は、この状況を変えるため、
他の怖い話を話し始めた。
当然、従姉妹がまた笑ってつっこんだ。
このやりとりが本当に楽しかった。
三回ほどこのやりとりをしたところ、兄は、
『この子達嫌だ〜涙 怖い〜』と、笑いながら逃げてしまった。私達は、兄の背中を見ながら、涙を流して笑っていた。この頃から十数年経ったいま、私は大学二年生になった。
更に、これからは就活も始まり、研究室も始まる。
いまでは、勉強やリサーチ、人間関係などで疲れ、
あの頃のような楽しさをあまり感じられなくなっている。兄に会ったのはこの小学生の頃で最後であった。
あの頃のことを考えると、
また、兄に会いたい。従姉妹と共にからかいたい。
そして、思いっきり笑いたい。と、思うようになった。
連絡先も知らないため、会う方法もない。

あなたはいま、何をしてますか?
名前ももう覚えてない兄に、また会いたい。

2/25/2024, 4:46:03 PM

テーマ 『物憂げな空』

突然だが、私は、飲食店でバイトしている。
仕事内容は膨大で、いつも人手不足なブラックバイトだ。しかし、私はそんな環境で二年も働いている。
バイトを始めた当初は、怒られてばかりであった。
『邪魔だからどいて』、『はぁ〜』などを言われることが日常であった。今現在は、キッチンとホールを一人で回せるようになり、15時から17時までや、21時から22時は一人で仕事している。慣れる前は、体がついていかない状況が辛かったが、二年経った今は、一人で仕事することの方が辛く感じる。そのため、私は4月いっぱいでこのバイトを辞めることにした。あと、二ヶ月で辞めるといっても、その二ヶ月間が長く感じる。早く辞めたいと、早く解放されたいと思いながら、『明日は、朝からバイトか。』と、物憂げな空を見てぼそっと呟いた。

2/24/2024, 11:33:45 AM

今回のテーマは『小さな命』である。
これから話す内容は残酷な話になる。

私の成人式のために、母親と祖母が私をマネキンとして着付けの練習をしていた。
一通り終わったため、振袖をかけ、椅子で優雅にくつろいでた。しかし、私の平穏は簡単に崩れ落ちたのだ。何故なら、カメムシが一匹私の振袖にくっついていたからだ。カブトムシの匂いがすると察知した私は、急いでこの匂いはどこからきているのか突き止めることにした。その結果、奴は私の振袖に止まっていた。このことを早急に祖母に報告した。これが奴にとって悪夢の始まりであった。祖母は奴を見つけた瞬間、『こいつぁ、生まれたばかりの奴だな』といい、ティッシュで包み、潰したのだ。私は驚き、『何故そんなことをしたんだ』と聞いた。祖母は、『そうしないと、戻ってきちゃうからだ』と言った。なんて残酷なんだろうと思った。せめて、苦しまずに逝ってますように。来世ではこの小さな命が幸せになれるようにと、祈った。そして、私はまた椅子に座り、優雅にくつろいでいた。そこでまた、奴の匂いがした。その匂いを辿ると、奴もさっきの奴と同様に、私の振袖に止まっていた。私はテンパって、また祖母を呼んだ。祖母は、『こいつぁ、さっきの奴の双子だな。この綺麗な色は生まれたばかりの色だしな。』と言いながらまたもやティッシュに包み、、。私はまた、心の中で祈った。『どうか、この双子が来世では幸せに過ごせますように』と。私に祖母を止める勇気はなかった。何故なら、虫が苦手だからだ。命を何だと思ってるんだと、思われるかもしれない。どうか許してほしい。
他人にしか頼ることができない私を。
立ち上がることができない私を。
小さな命すら守れない私を。
このことで、私自身が悪魔の存在であることを
再確認した。

この小さな命に祝福を、、
来世では、この小さな命に幸せを、、

私にはこれくらいしかできない。申し訳ない。

2/24/2024, 7:18:56 AM

今回のテーマは『i love you』だ。
私が『愛してる』と伝えたい相手は、母親だ。
全人類のほとんどがお世話になっている母親。
私の場合、幼少期の頃は、母親のことが世界一嫌いだった。何故なら、『あれをしなさい』『これをしなさい』『また風邪引いたのか迷惑をかけるな』『お前には無理』『今日はどこ行ったのか』『何をしたのか』など、めんどくさいことばかりしてくるからだ。このように、昔は、母親に対して悪いところしか見ていなかった。
しかし、数年して、考えが変わった。それは、高校三年生の頃だ。高校三年生といえば、大学受験が思い浮かぶのではないか。そうだ、私は大学受験がきっかけで考えが変わったのだ。いくら勉強しても結果が出ない模試を見て何回も心が折れ、泣いた。それでも頑張って高校3年の夏まで頑張った。しかし、その時期になっても結果は変わることはなかった。勿論、塾の講師にも『諦めよう』と言われ、高校の先生にも『一般は諦めてAOに変えよう』と言われた。これほど悲しいことはなかった。更に、父親にも『お前には無理だ。諦めろ』と追い討ちをかけられた。私はその時期から鬱になり始めた。わかっていたのだ。無理だということは。そのため、AO受験を受けることにした。あまりにも辛すぎて逃げたのだ。ここでかなり危険なレベルの鬱病になっていたため、AO受験が落ちたら死のうと考えてた。しかし、その考えを止めてくれたのが母親だ。あれほど諦めろと言われてた中で、母親だけが諦めずに応援してくれた。『お前ならできる。受けるだけ受けてみろ』と。模試が前回と変わってなくても『一緒に英語をやろう。一緒に』と、私だけ戦地に送らず、母親までも共にきてくれた。文章では伝わらないが、これほど心が救われたことはなかった。心が折れる音がし、周りからも諦めろと言われ、それでも頑張っても伸びることがない日々。死んだ方が楽だと思うあの地獄の日々を照らしてくれたのが母親だ。いま、私は大学に合格し、現在大学二年生だ。ここまで生きて来れたのも母親のおかげだ。だからこそ伝えたい。
あの頃、私を支えてくれてありがとう。
生きる希望を捨てないでよかった。
最後まで諦めず、そばにいてくれたあなたにだからこそ言いたい。『愛してます』