好きな人が出来たら
日の当たる場所を
2人、手を繋いで
歩けるように努めたい、勤めよう
何かの歌の歌詞であったね
何かの職業を、差別してる訳でも否定してる訳でもないけど
太陽を浴びて、誰に気にせず2人仲良く手を繋げる相手。
きっとそれは健やかで逞しく何もり
尊いものかも知れない。
最近、浜田麻里さんのブルーレボリューションをよく聴く
デビューして時を重ねてるのに
伸びやかな高音、ドラマチックな歌唱力
むしろ若い時より惹き込まれる
妹さんの素晴らしいコーラス
自分には決して真似も何も出来ないけど
こんな素晴らしい唄を
スマホ一つで、いつでも聴くことが出来る
感激出来る事に感謝しかない。
幸せだ!と感じ浮かれて態度を表した瞬間に
愛に裏切られたり、騙された事に直面したり。
きっと思いは、後から思い出したり懐かしんだり
した方が良いのかも。
幸せな時は、その幸せに感謝し噛み締めよう
人減らしと言う言葉がまだあった時代
祖母の家は子沢山の8人兄妹だった
家の収入源は米作りしているので典型的な貧乏農家
冬場は東京に出稼ぎを強いられたり
兎に角、大変な時代。
今では考えられないが
隣の家や裕福な家に米や
味噌など借りる貰うのが当たり前で
祖母もよく貰い借りに行ってたらしい。
ある日小さい子を連れて行った日
そこの主人に言われたそうだ
「口減らしを、したら?」(子供を減らす的な)
多分、何度も家を尋ねる人達が主人は迷惑に感じ
つい口に出たのだと思う。
一緒に付いて行った小さい子供は私の叔父で
その時の事を鮮明に覚えていて
お盆に皆んなが集まった時に
何度も話していて酷い事を言う大人だと思いながら
聞いていた。
最近、叔母と
その実家の周りの話が出て来て
その裕福な家は現ロサンジェルスエンジェルスの
菊池雄星だった。
雄星のおじいちゃん宅がが近いとは聞いて居たけど
まさか笑
当時の時代背景を思うと
食べれない、稼げない、その生活から抜け出せない
貧乏だけが不幸な象徴でした。
陽はまた昇る(浜田省吾さん)
荒野にひとり君は立ってる
行く道は幾つもある
だけど たどりつくべき場所は
きっとただひとつだけ
どの道を歩いて行こうと
君は君の その人生を受け入れて楽しむ他ない
最後には笑えるように
毎日現れる出る、日の出
曇りで見えない日もあれば、
自分の眼が涙で曇ってしまって
素直に見えない日もあるだろう。
自分が置かれた状況や居る立場を
受け止めて今日も1日を終わるだけ。
皆の元にも来る、日の出は笑顔かな。