私は、恋をした。
けどその恋は叶わなかった。
これを失恋というのだろう。
けれど、胸の内はさほど悲しくなかったことを
覚えている。本気で恋をしていなかったわけではない。ただ、この人に私の他にもっといい人がいるのだろうと、そう思った。
恋をする以上に、自分が好きになった人が
幸せであることが一番大切なことだなと私は思う。
だって、自分のエゴのために好きな
相手と付き合って結婚するのは、
ほんとに、幸せなのだろうかと思ってしまう。
やはり、恋をして、付き合って、結婚して、
生涯のパートナーになる。
そんな、好きな人が幸せになれない人生を
与えてしまうのは、気が引けてしまう。
正直
この世界は、正直にいうと
何故か、煙たがられたりする。
それに、正直者はなぜか損をする。
なぜか?
伝えられた本人にとって都合が悪いから?
聴きたくなかったから?
損をするから?
正しいと思っていたことが間違っているから?
様々な理由があるだろう。
今の世の中は、正も誤も関係ないのだろ。
だって、政治家の息子が軽犯罪をしたところで
お金で解決して、何事もなかったかのように
なる。
だか、一般人はそうは行かなかい。
お金の問題もそうだが、
情報源とのコネがなければ、事件は明るみに出る。
今の世の中を生きていくことは、
果たして、楽しいのだろうか?と思うほど。
というより、そもそも、楽しい人生とはなんだろうかなど、いらぬところまで考えてしまうほどだ。
話は脱線してしまったが、
結論はこうだ。
自分の正しさを人に押し付けないこと。
正直者は、正解を求めるからこそ空回りをする。
正解を求めてもいい、伝えたいことを伝えてもいい
ただ、人によって正しさはちがう。
人だからこそ、正確なことを言葉にできるのに
それが原因で、望まない方向に行くのも、人の本質なのだろう。
親ぎレールを敷きすぎると
子どもは、答えを他人へ委ねることが
クセになり、なにも考えられない人になる。
やがて、自分のやりたいことでさえも
誰かの承認を求めるようになってしまう。
まるで、糸で操られないと
動けない、無垢な人形のように。
そのことに、親は気づかない。というか
気付けないし、悪いとは思ってない。
むしろ、いいこととさえ思っている。
ただ、自分の思い通りの人形を
作っているとはいざしらず....
終わりなき旅
それは、人生そのものである。
人はこの世に生を受けたその時から
終わりなき旅を始めている。
何故か?それは、
完全な死を迎えることはできないからである。
え?いや死んだら終わりでしょ?
確かに、亡くなってしまったら肉体としての生命は
なくなってしまうが、
生きていた証そのものが消えることはない。
成し遂げたことややってきたこと
そのすべてが無に帰るわけではないのだから
亡くなったあとも、功績や成し遂げたことは 残り続ける。そして、後世へと見えない想いや出来事
作品は受けづがれていく。
そこに、本人の意志がなくても
本人が吹き込んだ魂そのもとと言われても遜色ないものが、旅を続けるのである。
だから、私も思う。
すこしでも、多く何かを成し遂げて
自分の魂が、いい旅路をできるよう
頑張っていきたい。
ごめんね。
いつも、ささえてもらってばかりでごめん。
迷惑ばかりかけてごめん。
気が使えなくてごめん。
口下手でごめん。
タイミング悪くてごめん。
申し訳ない気持ちは、よくわかるし
自分もついつい使ってしまう言葉をだけれど
100回の『ごめん』より
1回の『ありがとう』の言葉のほうが
お互い、気持ちがいいと思う。
だって、
わたしもあなたに迷惑ばかりかけてしまって
助けてもらってばかりだから
本当に『ありがとう』