『愛があればなんでも出来る?』
私の答えはYESだ。
だか、誰しもができることでは無い。
というより、大体の人は出来ると考えるだけで
実行しないのがほとんどだ。
愛の形は人それぞれ。
アメーバのように様々な形になる。
解読不能な難解である。
でも、だからこそ人は人を愛し
お互いの愛を育むことをするのだろう。
愛とはそういうものだ、正解はない。
だから、自分と相性のいい人がいたら
それは、奇跡的な出会いなのである。
だって愛は、70億通り以上、
存在しているのだから。
『後悔』
この2文字の行動についてどう考えるかが
大切なのだと私は思う。
よく言われていることだが、
『失敗から学ぶ』ためには、
後悔をしているだけではなく、反省し
理解することが必要となるが。
後悔をしたくないだけならば、
自分、自信を信じるそして疑わない
それだけの事。
あの、白い綿毛のように
ふわふわと浮いてどこまでも飛んでいきたい。
どんなしがらみからも解き放たれて、
なにも考えず、世界を見て回りたい。
風に身を任せて、どこまでも、どこまでも。
出来ないとわかっていても。
時々考えてしまう、今日この頃。
失われた時間。
この言葉は、あまり好きじゃない。
理由は、無駄な時間なんてものはないからだ。
暇な時間も
あたふたしている時間も
モタモタしていた時間も
どんな時間であれ、その人の大切な人生の時間だ。
とは言っても、人によって時間の価値観は違う。
だから、こうした言葉が生まれたのだろう。
だから、あえてこの言葉を使うとしたら
仕事だけをしている自分に言い聞かせてあげたい。
『世界はもっと広いぞ、そんな狭い世界にいては
時間が失われていく一方だと。』
僕は、今も子どものままなのだろう?
わがままは言うし。
面倒なことからは逃げるし。
嫌なものは嫌だし。
気分で物事を判断してしまうし。
身体だけ大きくなって、精神的には
まだまだ、未熟だ。
でも、実のところを考えてみると
子どもと大人のさなんて
経験をどれだけ積んでいるかの違い
なんだと私は考える。
当たり前の挨拶も普段からできていなければ
20歳を超えたってできないだろう。
ただ、経験した事がなく、自分のわがままを通して
〖挨拶をしない〗という選択肢をとっているに過ぎない。
語りだしたらキリがないが、
どうせ子どもままなら元気のいい子どもで
ありたいものだ。体も心も