恋人同士が婚姻を結んだ時、
結婚式で祝福される時、
「おめでとう、お幸せにね」
と定石の言葉をかけられる。
確かに、幸せになれたら良いだろう。
「幸せのカタチ」
それは、人それぞれだ。男が好きな男もいれば、女が好きな女もいる。
その多性に関する感情は様々。
決して、決めつけられた上での、
「これが正解、これが幸せになれる」
というものは無い。
何に幸せを感じるかも、また様々。家、金、名声、その他。もしそれで幸せと感じているのなら、
「良かったですね、良い人生をおくれているのですね」
と言いたい。
私は、死ぬ間際になって、
「色々あったけど、俺なりに後悔無しだ」
と思えたら幸せなのかもしれない。
−幸せに−
いつもの生活といつもの職場の風景。
皆、黙々淡々と時間をこなしている。
(あの人とあの人が良い感じ)
(上司に恋心を抱いている)
(あのグループとあのグループは仲が悪い)
等など。
結構皆、内に持っているものがあるものだ。
まぁ、職場の流れ優先ですからね。
(稀に、空気読めない奇想天外な人種もいるが)
一緒に仕事をすることになった同僚や先輩、たまに良い感じで会話が進んだり褒められたりすると、
(あっ、この人もしかして)
と、大いなる勘違いをしてしまう時がある。
(何も変なこと考えていませんよ)
と自分に言い聴かせ、俺はその場をやり過ごすのでした。
-何気ないふり-
幸せのカタチ、それって人それぞれ。
お金があれば・・・
彼氏や彼女がいれば・・・
家を買えたなら・・・
でもね、想定外のことが起きるのが人生。一時幸せだと感じても、番狂わせがくる。
自分がいざ亡くなる時、ベッドの上で、
「ああ、私の人生悔いはないな」
と感じられたら、幸せなのだと思う。
−ハッピーエンド−
ふと顔を向けると、彼が笑顔で俺の方に視線を向けていた。
仕事の先輩だ。彼には悪気は無いんだけども、俺は何か恥ずかしくなって、照れ笑いしながら視線をずらし業務に集中した。
「面と向かって話す時は相手の目を見て話せよ」
とか言うけど、それはそれで何か妙な気持ちになる。
そういう経験ある人もいるんじゃないのかな?
あまりに真剣な眼差しで話したり、その視線が、
「もしかして俺に気があるんじゃね?」
とか。まぁ・・・大いなる勘違いが殆ど何だけどもw
でも、目を見て真剣に話を聴いてくれると、相手は安心するよね、多少なりとも。
人間もやはり動物の一種、目と目のやり取りに何かしら感情を抱くのは、遺伝子に刻まれたものなのだなと。
目は口程にものを言う・・・正にそれかな。
でもやはり、どんな人でも、優しい目で見つめられると、それだけで癒やしになるんじゃないかな。親しい人や仕事仲間、家族、恋人・・・様々だげと。
−見つめられると−
「こころ」・・・それはどこからくるのだろうか。
生きていく為の「情」なら、他の動物も持っている。
種族問わず、お母さんは必死で我が子を育てようとするし愛情を惜しまない。ただ、人となると少し?ややこしい。
タイタニックの映画の主題歌でも、「My Heart Will〜◯◯」という歌が大流行した。人だけじゃないかもだけど、人は愛する相手に対して自己犠牲をはらえる、数少ない生き物なのだなと。
俺も、「この人の為なら、大変だって構わない。頑張れるし、一生思っていられる」と思った・・・20数年経った今でもそう感じている。
「こころ」「思い」があるからこそ、人は生きていけるんじゃないのかな?たとえ、自分の今の境遇が悪かったとしても。
ただ・・・それを周りが汲み取ってくれるとはかぎらない。グチ聴き相手がいると、少しは気が紛れるかな?お茶飲みや散歩とかね。
自分の「こころ」は、自分で大事にして欲しい。考えることや、相手に対して気持ちに疲れたなら、それは、貴方の休息の時期かもしれないのだから。
−My Heart−