お金・・・大事でしょ、やっぱり。
親の介護、子供の教育、食い物の調達、家賃や光熱費、税金関係。・・・偽善やごたくを並べても、やはり金は必要だ。
金より大切なもの・・・それは、それは底辺でもがいた者にしから解らない。死ぬ気で生きている人間だからこそ、金や様々の、価値は解ると思うんだ。
月夜の晩、ふっと足元を見る。
「こんな夜なのに、影がある。月が俺を照らしてくれている・・・」
太陽もそうだけど、月夜もありがたい。何せ、電灯もいらず体外晴れて、洗濯も外干し出来るからだ。
北日本や雪国の方々にとってはあまり実感無いかな?
でも、俺ら沖縄地方の人間にとっては死活問題・・・そんなに生き易い土地じゃねぇんだよ、と。
石垣や宮古島食い物にしている企業や輩も増えたしな。
冬場も割と温かいから、市内の公園で野宿しても凍死することはまずありえない。ただ気をつけたいのは、油断して寝て、窃盗に会ったりゲイ君にヤラれること。
もう30年近く(もっとか)続いてるんじゃね?
沖縄はゲイ密度が高いんですよ。外人ゲイも多いし。何故か。基地関係もある?それで、病んでしまう人もいる。
心砕かれても、でも、月夜の散歩は清々しい。
絆・・・親子の絆、兄弟の絆、師弟の絆、親友との絆・・・。様々だ。
血縁関係の絆って、最高だと言う人もいるけど、そんなことはない。
虐待、ネグレクト、親って何だろう。パチやアル狂い。
施設暮らしの子供達は親子との絆は?
心と心との繋がり。それが本当の絆だと思う。
近くの、小学校の同級生の昔からやっているパン屋かある。地元に帰って来てから、懐かしくてたまに買いに行くのだが・・・。朝から、ママ友や家族連れ等がいて、何か気まずい。(一般の方々ってこんな感じ何だよな)って、自身を蔑む。
でも、たまには俺みたいな人種でも、パンと温かいクリームスープ飲んでも良いよね?
と感じつつ、エアコンの無い部屋で眠る・・・。
今はもう泡沫みたいな記憶。
俺が漢を本気で好きになったのは約20年前。その前から、20歳過ぎて地元のゲイバー通っていたりはしていたけど、コトが終わっても虚しい一方だった・・・。
(みんなやっぱ外見求めたりばっか、あと外見ばかりの奴ら。マウントとる奴らばっか。結局酒絡み)
そんな中、名古屋に事務所がある派遣会社に入り、三重のいなべ郡(今は市だったっけ?)、桑名の隣?、の自動車部品工場に出向。勤務は週替り2交代制で、1日約10時間ほど。キツかったけど、年配の先輩方や同僚が気遣いしてくれたので、割と楽しかった。
そこで、歳1個上の同郷沖縄の先輩と出会った。歳が近かったからかな?会社の寮は同じ部屋に。俺は、自分がゲイだとは世間にバレずにと生きていた。でも・・・その先輩が、俺の真髄というか、生きる上で最も忘れられない人になった。
職場工場内で、つまらない事で俺のせいで言い争った事がある。俺は・・・その晩、アサヒのドライを持って謝りに(今思えばチープ)。でも、彼は何事も無かったかの様に「良いよ、大丈夫、気にするなって」の様な返事。(大人の漢ってこんなんなんだ?)と、感激というか、その先輩に家族?感を覚えた。
結局そこの工場も2ヶ月位で終了。他の名古屋のある食品会社の工場に行くことになる。
でも、今でも忘れられないのは、その先輩が酔ってかな?「一緒に寝ようぜ」と言って、俺をハグして押し倒してそのままお互い爆睡してしまったこと。先輩は俺に気心を許してくれていたのだなと。
様々な経緯を経て今がある俺だけど・・・ありがとう先輩。この先もずっと忘れません。