『1000年先も』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「1000年先も」
1000年先の来光
どんな未来かは誰にも想像できないね
でも
また巡りあえたなら
今度は手をつなげたらいいね
どんなに科学が進歩しても
相手を想う気持ちは
やっぱり人間同士だよね
ショコラ
「1000年先も」
遠い遠い過去から未来へ。
全ての道筋は数珠のように繋がって。
もう幾度目かも分からない暗闇で、
ただ1つ視える光に導かれて。
輪廻の輪をくぐり抜けた先へ。
1000年先も、また会おう。
1000年も自分がずっと生き続けていたら__。
なんてこと考えても。
周りの人が死んでいって、
知ってる物もなくなって。
きっと辛くて自ら死ぬだろう。
「私なら、」「僕なら、」「俺なら、」
『絶対死なない。』
なんて軽いこと言えたもんじゃない。
本当は味わうはずじゃなかった辛さが待ってる。
だから、1000年先もなんて考えるのは意味が無い。
こんなことを言ってる自分もくだらないけど。
#『1000年先も』
No.33
「当然みたいな顔して生きてるけど、もしかしたら明日死ぬかもしれない。それなのに、ずっと一緒にいようだなんてよく言えるよね」
ちょっと意地悪言ったら、ぴくりと片方の眉を上げて。
「きみといれば、1秒だって1000年だって、ぼくにとっては『ずっと』だよ」
腹の立つほど余裕の笑み。
「1000年なんてそんな先、人類みんないないかも。そんなのつまんない」
むっとしながら繰り出したのがだいぶ稚拙な反論だったから、ちょっと楽しげですらあるそれはまったく崩れない。
「だったらきみとふたりきり、源氏物語でも読み耽ろう。1000年前の恋の物語を1000年先で読むなんて、ロマンティックこの上ない」
そうやってますます愉快そうに、ころころ声を立てるものだから、こっちもついつい笑ってしまう。どうしてここで源氏物語が出てくるのか謎だけど、そんな突飛さも可笑しくて。
ああ、このひととならきっと1000年先でも大丈夫。そんな気がした。
当たり前だけれど、昔より科学技術が上がった今。
世界中の人と、板1枚あれば繋がれる今。
では、10年後はどうなってるのか。
100年先はどんな風に発展しているのだろう。
1000年先、どんな世界になっているだろうか。
色んなことを日々学び成長していくけれど、未来はどうなんだろう。
歴史上にどんな生活だったのか。残るでしょうか。
未来の子供が、「この年はSNSが発達し始めた時期なんだ。」って今の我々のように学び成長していくだろうか。
それとも発達しすぎて、AIが主軸となっているだろうか。
誠、想像が膨らむ。
1000年後、どんな世界に、日本になっているのか、楽しみで仕方がない。
1000年先も私は生きている。
何回だって。呼吸してやる。
この星が1000年先も生きてるならば。
幾らでも。
1000年先も生きている。
お題 : 1000年先も #41
1000年先も
1000年先も残るもの
1000年先も残したいもの
「源氏物語」が1000年先も読まれるなど
紫式部は思ってもいなかったにちがいない
10円玉に描かれている「平等院鳳凰堂」
1000年とは言わずとも
永く残ることを願ったにちがいない
古塚やピラミッドに描かれた壁画は…?
私たちは今 何を残したいのだろう
そして何が残るのだろう
私たちの思いとは異なってしまうかもしれない
それでも願う
私たちの残したものが
『幸せ』となることを
哲学者とかって1000年以上先の人間たちから理解されようとしてるのすごい栄誉だよね自分の思想をこんなに深く考えてもらえるの
推しカプのためのお題かと思ってびびり散らかした。
【1000年先も】※フラアサ
1500年前ぐらいだろうか。そのふたりは同じ時期に、海峡を隔てて産まれた。
一方は肥沃な土地、また一方は貧相な土地に産まれた関係で、成長の速度に差はあったものの、染め、染められ、奪い、奪われを繰り返しているうちにどうやら身長まで同じになってしまったようだ。
何もかも変わった。
~~ここになんか入れる~~
「どう思う?これからもふたりやっていけると思う?」
「どうだろうな。でもとりあえず一緒にいてやるよ」
【未完】
【1000年先も】
「たとえ、これから、千年先も一緒にいたとして、僕は君のことを分かったなんて言えないと思う」
そう言った彼の瞳は、深い色を浮かべていた。
千年経っても、僕らは分かり合えない。
それならば、内包する千年の孤独ごと、僕は彼を抱き締める事にした。
何年たったら1人前になれるか
何年たったら自由になれるか
何年たったら素直になれるかそんなことばっか考えて考えてキリがない。もう未来を考えたくない。今をどうするかでやっていきたい。
1000年先も
ぼくはドンタコスを食べていたい
1000年先も
その先も
今日は節分
恵方巻きを食べて
けんちん汁飲んで
豆を撒いて
歳の数だけ食べる
この風習いつまで続くのかな
1世紀先の100年後も?
1000年後までも?
もうその頃には
鬼はいないやろ
1000年前は、十二単を着ていた。
1000年後のいま、私たちは洋服を着ている。
身に纏うものは変わったけれど、変わらないことは
物語を作り、文章を書き、世界を作ること。
宇宙の片隅で「奴」が産声を上げた。
遠い未来にて侵略者と呼ばれた「奴」を早いうちに倒すのかそれとも和解するのか……
「奴」との戦いはここから1000年先も、いやずっと遠い未来にかかわる話だ。
戦いに行く若き彼らにとっては1000年先なんて気の遠い話だが宇宙から見たら1000年なんてあっという間なんかもしれない。
1000年先にもあってほしいものリスト
・音楽――― 1000年先も音楽が人生を豊かにしてくれる世界
であってほしい
・平和――― 1000年先は世界中の人が平和に、安心して幸せ
な日々を過ごしてほしい
・愛 ――― 1000年先も人々が愛し愛され、たっぷりの愛情
で満たされた世界であってほしい
1000年先を生きている人々が、幸せでありますように。
#1000年先も
続くのは
愛の言葉か
憎しみか
1000年先も
…鶴の気分か?!
お題☆1000年先も
1年先も
10年先も
100年先も
1000年先も
誰かに覚えていてほしい
忘れられたくない
だから君は
この事件を起こしたんだよね
誰かの記憶に残りたくて
お題『1000年先も』
1000年先も
人類がしぶとく文明を続けているのなら
今のこの時代はどんなふうに伝わるだろう
記録が残り続けたならいいな
自分たちの手で消し去る可能性大かも
でももしかしたら
1000年後に生きる誰かたちは
もっともっと賢くて
幸せな時代を築けていたなら
いいよね
「世界は平和だ」なんて言いきれない。
今だって戦争はあるし、大地震で被災した人もいる。
犯罪を犯す人もいるし、未だ逮捕されない人もいる。
僕らは平和を謳っているだけで
平和を求め行動しているのはほんの一部だ。
大して努力もしないやつが行動するやつを踏み潰す。
正義を押し付け人を傷つけていることを無視する。
きっと1000年先も僕らはこんなだと思う。
そもそも。人によって違う平和を求めようとしてる。
それ自体がきっと間違ってる。
平和の定義も主張しないくせに平和になろうとする。
曖昧なまま平和を求めたって残るのは
謎の正義感を振りかざす正義厨だけだ。
人によって正義も悪も違うのに、
全く同じ平和を求めるなんて不可能に近い。
大人達が馬鹿な言い争いをする姿を
子供がみて、そこから何を学ぶのだろう。
結局、大人になっても子供じみた考えは治らない。
子供のまま大人になっていく。
1000年後もきっとこんなだ。
正義厨が人を傷つけ、子供じみた大人が社会をつくる。
こんな世界で平和になろうとするなんて無駄なんだよ。
『1000年先も』