『1年後』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
高校生になる自分
就職する自分
どんな未来があるか楽しみだ
1年後は
今より沢山、心から笑顔が増えますように。
自分の人生を楽しめますように。
生きてて良かったと思えるように。
【1年後】
1年後この場所で会おう
私はそう言って貴方から離れた
1年後、もう会うことはないだろう
解っている、あれはその場しのぎの言葉
解っている、けど、その奇跡を祈った
戻れるなら、やり直したい
戻れるならば、本当の気持ちを伝えたい
ともに生きてほしいと
だが、朽ちていく私を見られたくなかった
私をさらけ出す勇気がなかった
しかし口に出した言葉は戻らない
ならば奇跡を現実にするしかない
病を越えて1年後、貴方との約束を果たしに行く
たとえどんな姿になっても貴方に会いに行く
だから1年後、この場所に会いに来て
だから、私を忘れないで…
「1年後」
それは「終わりの始まり」の言葉
その言葉ひとつで
どんなエンディングにもできる
いっそ現実でも
はやくエピローグに向かえるのなら良いのに
1年後
先のことはわからない
明日事故にあって死ぬかもしれない
必ず1年後に自分が存在しているとは限らない
だから今を大切に
後悔しない日々を送っているつもり
嫌な事とか辛い事とかあるけれど
しょうがないよね
人間だから
辛くてしんどいのは自分だけって思わないように
生きてるよ
それがいいのか悪いのか
楽なのか何なのかは
自分にしかわからないから
誰かと分かち合おうとか思わず
気ままに時が過ぎていくだけ
1年後
自分と闘い続ける自分でありたい。
いい女になりたい。
曙みたいな肌で、薔薇のように瑞々しい唇、髪の一本一本から花の匂いがするような女になりたい。体のラインがダビデ並に美しい女になりたい。いやヴィーナスだ。ヴィーナス。
上等な着物を我のものにできるぐらい品のある女になりたい。心も体も磨いて魔性の女になる。
心に余裕を持ちたい。心の浮き沈みが激しすぎて疲れるなんてもう嫌。私は自分を誇りたい。どこに出しても恥ずかしくない自分になりたい。
誰か一人だけでいいから私の内面も外見も丸ごと愛してほしい。
1年後じゃ難しいね。けど私が生涯をかけてやりたいと思ったことってこれだったわ。
『1年後』
何をしているかは分からない。
それでも、
1年後、自分がどう有れるのか。
願わくば、
この未来に
ほんの少しの祝福を。
1年後私は華のJKです。痩せます。痩せてみせます。
タイムカプセルを友と埋める。箱なんて用意出来なかったから、直で埋める。なんて計画性のないと嘆いてくれ。衝動的な犯行なんだ。
そんな深くまで掘れないのだから、もう1年後に開封するつもりだ。目印に大きい石と一年草の花を植えよう。
「さらば~友よ~旅立の時~」
別れの挨拶代わりの鼻歌を済ませる。
「おいおい、そう、怨めしい顔するなよ」
また、殺したくなってしまう前に、友の顔に土をかけていく。次会う時は白骨になっていることを願いながら。
【1年後】
1年後はどうなってる?
幸せを掴めてる?勉強頑張ってる?みんなと楽しくやってる?
もしかすると1年後は とは会えないかもしれないだから今この時間大事にするべきだよ
1年後の未来は正直分からないけれど
一つのターニングポイントを迎える予定です
いわゆる就活です
まだ早い!とも言われますが年々就活の時期が早まって
来ているという事実もあったりするのです
何故なのやら…
もう少し制作活動に没頭したり
楽しく大学生活を過ごしたいのも山々ですがね
心残りの無いように過ごしたいものです
「1年後」
今日という日は
二度とやって来ない
明日になっても
明後日になっても
来年になっても
毎日はびっくりするほど
流れていく
流されていく
1年後には何が起こるか
願わくば
幸せよ待機していておくれ
『子供の頃は』
「婆ちゃん、遊びに来たよ」
「百合子かい?
相変わらず騒がしい子だねぇ」
私は親に連れられて、久しぶりに婆ちゃんの家に遊び来た。
縁側で気持ちよさそうに日向ぼっこしていた婆ちゃんは、一瞬だけ私に顔を向けた後、すぐに別の方を向く。
久しぶりに孫が遊びに来たいうのに、冷たい態度をとる婆ちゃん……
私は知ってる。
婆ちゃんは、私が来た事をとても嬉しく思っている事を。
婆ちゃんは、とても自分に正直で、本当に興味が無ければ振り向きもしない。
だから挨拶を返す、というのはそれだけで親愛の表現なのだ。
その証拠に婆ちゃんの『しっぽ』は、嬉しそうにゆっくりと左右に揺れている。
そう、婆ちゃんは人間ではない。
長生きして猫又となり、言葉が話せるようになった猫、それが婆ちゃん。
ただ、人間の言葉が話せるようになっただけで、他の所は何も変わりは無い。
昔話の様に尻尾が二つに別れてている訳でも、不思議な力が使えるわけでもない。
ただ人間の言葉を話すことが出来る、不思議な猫なのだ。
そして、『婆ちゃん』と言っても別に血のつながりがあるわけじゃない。
私はちゃんと人間の婆ちゃんがいる(こっちは『ババ』と呼んでいる)
私のお父さんが生まれる前、ジジとババがこの家に引っ越して来た時に、当たり前のように居たらしい。
最初は言葉を話せることに驚いたらしいけど、『おもしろそう』だから一緒に住むことにしたそうだ
……ジジとババは心臓に毛でも生えてんのか?
それはともかく、私はジジとババの家に遊びに来るたびに、こうして婆ちゃんとお話しているのだ。
「婆ちゃんも相変わらず、物ぐさだよね。
孫が遊びに来たんだから、もう少し歓迎してくれても良くない?
具体的にはお小遣いちょうだい」
「生意気言うようになったね、百合子。
子供の頃はあんなに可愛かったのに、どうしてこんなに擦れちまったのかね」
「婆ちゃん、それは違う。
私は今でも可愛いよ」
「……本当になんでこんな子になったんだろうね。
母親の教育が悪いのだろうかね。
ちょっと言っておかないと……」
「婆ちゃん、それ悪い姑ムーブだからやめな。
まあ、どうせ面倒臭くなって、言わないんだろうけどね」
婆ちゃんはバツが悪そうに、顔を洗い始める。
図星だったらしい。
「子供の頃と言えば……
婆ちゃんの子供の頃ってどんな感じだったの?」
「そうさね……
あたしの子供の頃は、そりゃもう可愛い可愛いと言われて、あっちこっちに引っ張りだこだったよ。
江戸一番の美猫と言われたもんさ」
「えー、婆ちゃんいくつなのさ。
江戸ってかなり昔の話だよ。
えっと……」
私はスマホを取り出し、東京の歴史をパパっと調べる。
「1868年に東京に改名だから……
うそ、最低でも150年生きてるの!?」
「もうそんなに経ったのかい?
15年くらいの話だと思うんだけど……」
「婆ちゃん、それ私が生まれた年だよ」
「そうだったかの」
にゃおと、婆ちゃんはおかしそうに笑う。
婆ちゃんにとって、時間の長さはあまり気にならないみたいだ。
まあずっと寝てるしね。
婆ちゃんは、おもむろに立ち上がって背筋を伸ばした後、私の膝の上に歩いてきて座る。
私が遊びに来た時、婆ちゃんはいつも膝の上に座る。
婆ちゃんにとって、私の膝の上は特等席なのだ。
そして私が、膝の上の婆ちゃんを優しくなでると、婆ちゃんは喉をゴロゴロ鳴らし始めた。
「こうして見ると、婆ちゃんってちっちゃいよね」
「なんだい、急に……
猫の大きさはこんなもんだろう?」
「そうじゃなくって……
ほら、私が子供の頃、婆ちゃんが膝の上に座ったとき、狭そうにしてたから」
「ああ、確かに今のほうが座りやすいね。
人間の成長の早いこと。
まあ、あんたは体ばっかり大きくなって、中身は子供のままだけども」
「中身だけじゃなくて、体も子供になりたいなあ。
子供の頃は可愛いだけ言ってもらえるのに、最近は勉強しろって怒られるんだ」
私の言葉に、婆ちゃんは器用に溜息を吐く。
猫ってため息を吐くんだ。
「百合子、あんたもいい加減に大人になりな。
あたしは心配でしょうがないよ」
「婆ちゃんは子供の頃に戻りたくないの?」
「戻りたくないね。
だって百合子に『婆ちゃん』って呼んでもらえなくなるからね」
〘1年後〙
1年後の私は…
地に足を付け、しっかり立てているのだろうか?
逢いたい人には、ちゃんと感謝の気持ちを伝えられているのだろうか?
今はまだ、その準備期間。
ただ、ふとした瞬間に精神的に落ちそうだったり…。
前に進めなくなりそうになったり…。
『もう、嫌だ』
何度もそんなことを思い、投げ出したくなることもたくさんある。
1年後は…
今よりもっと自分らしく笑顔で過ごしたり、地に足を付けて過ごせるように。逢いたい人にも、感謝の気持ちを面と向かって伝えられている。
そうなっていたら、それだけで満点なのかもしれない。
1年後
来年何してるんだろう…
変わらないと思うな。
毎日必死に生きて生存確認の1年後。
相変わらず仕事頑張って
お金貯めて楽しみは何なんだろう。
自分、無理すんなよってご自愛してるかな
1年後
私はどうなってるんだろう
当然未来のことなんかわかるわけない
片思いは終わっているのか、
好きな人と結ばれてるのか、
好きな人と別々の道を歩んでいるのか
検討もつかない
ただこれからどうなるかという
わくわく感みたいなのも
不安と同時に湧いてくる
1年後
どうなってるんだろう。
5月に“1年後”というテーマで書いてから、
そんなに時間も経っていないし、
心境の変化もないから今回はパスしようかな。
我ながらこういうところが可愛くないなって思いますね。
ということで、書きたいことをかきます。
先日、お題「好きな本」がありまして。
具体的にタイトルをあげている方がたくさんいたので
興味深く拝見しました。
アマゾンやブクログのレビューは参考になるけど、
作家や題名ありきで探してしまうため、
自分の興味の範疇を超えられず。
今回のように、ただお気に入りの本を語る、
という形で出会えるのがよかったです。
もうずっと見ていたいくらいで、挙げ句、
途中からはスクショして書き出していました。
ちょっと凝り性というか、
気持ち悪いところがあるんです。。私。
一部抜粋
🌠透明な夜の香り
🌠優しい死神の飼い方
🌠驚愕の曠野
🌠かがみの孤城
🌠少女
🌠はてしない物語
等々
もう少し若ければ絶対好きだったはず、
というものもあったので
姪っ子に教えてあげたいな。
読んでみるぞ~!
1年後…あら? 見覚え新しいお題のように思うんだけど、またもや?
1年後を考える前に1年前を……って、やっぱり少し前のお題よね? うーん、今日はお題は置いとこう。純然とひとりごとを、整理するために書く。お題に関係ないので、次ページへジャンプ推奨。
自分は「化け物のようなもの」になりすぎているかも知れない落ち着かなさ。大切なものへの守護力を絶対的なものにしようと必死になっている間に、自分から人間の温度がこぼれ落ちてゆくような、これまで自分を支えてきてくれた人間的感覚が遠ざかって行くような、足元が確かでないような。以前には当たり前だったものが崩れ崩れ崩れて、当たり前とはほど遠く、しかし普通な気遣いは満ちているが、周りの誰も理解できない。説明するのも多分、徒労に終わる状況の全体像。私に見えているシンプルな突破口、話しても届かない歯がゆさ。どこに集約点を見つければ良いのか見えない今現在。私は自分の世界を変えた。また変える必要に迫られるような予感、わかっていること、多分知られていること、ひとつひとつすべてに降りて来ているフォースライン、巨大な方舟の可能性、私の方舟の範囲、時間空間感覚の定義と実際、星渡りの事実…
1年後なんて分かるわけない
だって明日だって分かんないのに
1年後の自分とかどう想像しろと言うんだ
とりあえず今よりは良くなってるといいなぁとか思いながらふわっとした1年の目標を毎年立てるのである
叶っているのかどうか
そもそもどうなっているのか
1年後の自分に聞いてみたい
一年後
とある三兄弟のお話。
次男より。
あのまんじゅうの話ではないが、自分には恐ろしいものがある。一人だ、自分は一人が怖い。空間的な一人というよりも、概念的な、人と人との繋がりないという意味での一人が怖い。
最近は、同居している兄も弟も仕事を忙しくしており、家に居るのが自分一人という事ばかりだ。正直、家の事をやるのは自分なので、家事の不得意な兄だけでないのは幸運だと思っているが。しかし、人間関係を築くのが苦手である自分にとって、関わりのある人間と言えば兄弟か同僚しかいないのだ。
愛する兄弟がいればそれで良い...そう思えど、彼等の未来を覗き込む事はできない。いつか一人になる未来があるのではないかと恐ろしくなる。たったの一年でだって物事は変わるのだ。
一人は、恐ろしい。まんじゅうなんかよりもっと恐ろしいものだ。せめて、せめて一年後までは、彼等と共にあれる未来でいて欲しい。