『通り雨』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
通り雨
街で偶然見掛けた、
昔の恋人。
彼の隣には、
優しい笑顔で微笑む人。
絡める様に手を繋ぎ、
親しげに話しながら、
街を歩いて行く。
独りきりで眺めている私になんか、
気付く事もなく、
想い出のあの人は、
新しい恋人と街に消えて行った。
私の頬を、涙が伝う。
もう、忘れた心算だった。
涙なんか疾くに涸れたと思っていた。
なのに、涙が零れ、胸は痛む。
通り雨が降り出す。
さらさらと僅かに音を立てて、
街を、道を、木々を、
そして、私を。
別け隔てなく濡らす。
傘を差すことなく、
街を歩き続ける。
雨粒が、情けなくも涙に濡れた、
私の頬を隠してくれる。
そんな気がした。
止まぬ雨は無い。
そんな言葉なんて、
今の私には、到底、
信じる事は出来ない。
「通り雨」
私は、体育が嫌いだった
体育なんてなかったらいいのにとさえ思えた
雨が降った
放送で、体育が中止になることを告げる
私は一人でガッツポーズをして喜んでいた
青春の一ページ
今日は髪の毛もきっちりセットして学校の準備をしていた
しかしニュースでは降水確率50%という微妙な数字。
まぁ、いけるか!!
と思い家を出た。
そうしたら通学途中雨に降られた。
あー、髪の毛ぐっちゃぐちゃになっちゃった…笑
せっかく君のためにセットしたのにな。
« 通り雨 »
(今回はどちらの性別にでもなれるように書いてみました!)
大っ嫌い。
何もかもが大っ嫌い。
家族も兄弟も友達も何もかもが大っ嫌い。
僕のことなんて見向きもしてないくせにわかったような口をしやがって。僕のこと知らないくせに。
うちのことは知ってても僕のことなんて知らないだろ。
こういう時、通り雨でもいいから、雨が降ってくれたら、泣けるのに。誤魔化せるのにって思う。
なんで僕ばっかりなんだろう。みんなの悪いところを補うのが僕の役目なのかな。
差別だって当然のようにされて。虐待だって。
親の喧嘩を目の前で見せられるってどんな思いすると思ってんだよ。
殴り合う姿を見て、殺し合う姿を見て、いい気になるわけないだろ。
母親は父親のこと、学習能力がないだのなんだの言うけど、お前もじゃん。ブーメラン刺さってるよ。
僕のことを見てくれる人は誰もいない。
親だって、妹か兄のことしか見てなくて。
先生や友達だって、いい子や容姿のいい子たちしか見なくて。
僕を認めてくれる人なんていない。
愛してくれる人なんていない。
望んでくれる人なんていない。
なんで生きてるんだろ。散々辛いだとか苦しいだとか自分で嘆いてるんだろ。
ならさっさと死ねばいいのに。なんで死なないんだ?
改めて考えると分からなくなる。
何も考えたくない。このまま何も考えずに死んでしまえたらいいんだろうけど無理だなぁ。
生きる意味なんて見いだせないくせに。
生きる意味なんて捨てたくせに。
私。。。
君と結婚して幸せを感じるより、哀しい。
結婚したら君は変貌しほぼ毎日暴言。
気分が上がらないからってすぐイライラして 暴言吐いて素直に人に当たる君は嫌い(>_<。)
人を見下してるのも私嫌い
差別的発言も嫌い
私の心傷は重なる度、君への気持ちが音を立てて崩れ消えてゆく。。。
通り雨。
少し前までなら「面倒くさいなあ」なんて思いつつ、
予想外の水気にそれはそれで趣を感じていたものである。
しかし、近年は違う。
通り雨、即ちゲリラ豪雨。
降水こそ短時間かもしれないが、
一度に1ヶ月分の雨量を記録することもある。
治水が甘ければ、排水溝や河川から水が溢れ出し、
下水道のマンホールが水圧で吹っ飛ぶ。
趣を感じるどころか、命の危険で身体が強張る。
あの雨足は東南アジアのスコールを彷彿とさせる。
近年の気温の変化も考慮すると、
日本はもう温帯ではなく亜熱帯なのかもしれない。
とにかく、こんなに強力になっては
命がいくつあっても足りないので、
通り雨はほどほどにしてもらいたい。
【通り雨】
私は雨が嫌いだった
雨が降ったら湿気で髪の毛終わるし
休みの日に降ったら何処にも行けない
偏頭痛もおこるし
いい事なんてない
そう思っていた
ある言葉を聞くまでは...
……
どこかの誰かが言っていた
『私は雨が好きです』
『雨は辛いことや悲しいことを消してくれる』
『だから雨が降ったときに思いっきり泣くんです』
『雨だって誤魔化せますから..笑』
『とてもスッキリしますよ!』
『だから私は雨は好きです』
……
そういう考えの人もいるんだなぁ、、
なんてその時は思ったけど
後々考えてみたら「それいいな!」
って思ったんだ
うまく泣くことが出来ない私にとって
とてもいい提案というか発想だった
それからは
辛い時は雨の中で思いっきり泣くようにしている
大きい声を出しても雨が誤魔化してくれるから
そして...
気づいたら、いつの間にか
雨が来ないかなって待っている自分がいる
どこの誰かは忘れてしまったけど
感謝しています
ありがとう
『通り雨』
突然、雨がざっと降ってきた。周囲は霧に覆われた。水の中にいるようだ。呼吸が苦しい。
ふと、思い出した。私は海底に住む貝だったのだ。
では、なぜ人間として、ここにいるのだ。
貝だった私は、海底で硬い殻で身を守って、ぬくぬく暮らしていた。
ある日、魚に殻ごとバリバリと食べられた。
怖かった…。思い出したくない。トラウマです。
その後、私の意識は私を食べた魚に宿ったので、その魚として生きていた。
そしたら、またしても、恐ろしい事が…。
鮫に食べられたのだ。その後も私の意識は鮫に宿って、鮫として生きていた。
私の意識は鮫と同化していて、自分の事を鮫だと思っていた。貝だった事は、忘れていた。
鮫だから食物連鎖の頂点で、食べられなくてすむ。
そしたら、鮫を食べた人間がいた。
貝だった私が、こうして人間になる体験が出来るなんて。
食べられた動物、植物の意識は食べた者に宿り、食物連鎖の頂点にある人間へと登って行く。
他者の役にたつという善行を積んで、私達の魂は進化出来る。食べられるのも、功徳だ。
あらゆる生物の魂が合わさって私になっている。
たいして我の無さそうな下等生物から始まって、輪廻転生の螺旋階段を登っていく。あっ、雨止んだ。
そういう訳なので、よく分からない物は食べちゃダメです。
手帳をなくしちゃったかもという言葉から溢れる情けなさを無能さと言い換えないで息をする日々
通り雨
涼しい風が吹きこんだ
雨かも知れない
さあ 大変
二階の窓を閉めなくちゃ
慌てずゆっくり階段昇り
南の窓に北の窓
下 りはそれこそ慎重に
一段一段確かめて
リビング キッチン 洗面所
吹き込みそうな所から
慌てて 閉めて
やれやれと しばらく雨の音を聞く
あら もう音が聞こえない
じゃあもう一度
開けに回らなくっちゃね
少しは涼しくなったかしら
傘をささずに水溜まりで遊ぶ子供たちの笑い声が聞こえてくる。
ぴっちぴっちちゃぷちゃぷ…よく耳にする歌を合唱している、下校中の楽しそうな声に耳をすませていた。
だって仕方ない、こんな時に限って折り畳み傘すら持っていないのだから。しかも今は徒歩。運が悪い時はとことんついていないな、と苦笑いした。
天気予報を確認すれば良かったなと後悔しつつも、案外気分は沈んでいなかった。汚れを気にしない暴れん坊な怪獣さんたちの無邪気な声が、あまりにも楽しそうで。
このまま帰るとずぶ濡れになっちゃう。コンビニに行って傘でも買おうかな。そう考えたけど、たまにはこんな日も良いかもしれないな、と思った。
次は自分が怪獣になる番だ。荷物をしっかり持って、帰り道の方向を確かめて、3、2、1…
あ まいったな
い ね
あ どうも
い 急いでます?
あ あ、ええ
い これ使います?
あ 傘?
い どうぞ
あ え、何でここに?
い …趣味かな?
『通り雨』
「通り雨」
時々青空に雨が通る時がある。
そのたびみんなネガティブな発言をする。
でも私は嬉しい空が私達に何かを知らせてくれてる
そして虹が出たらもっと嬉しいよね。
雨にも晴れにもいい所は沢山あるよ。
それと同じように君の心にもいい所は沢山あるよ。
通り雨
ふっとあの人が香った
昔から鼻がいい
お母さんの胃が弱い時の匂いも
お父さんのパチンコ屋さん帰りも当てた
あの人はいつもこんな匂いがした
安心する匂い
クッキーの入ってた空き缶の懐かしさ
新しい本の冒険の匂い
鏡台の引き出しのわくわく
バスの中なのに泣きそうになる
きっと運転手さんは分かってる
通り雨の窓に顔を寄せる
こうしたらわからないかもと願いながら
杖をついたおじさんに気づく
次のバス停で降りるから
もう少しだけ泣かせてください
昨日寝てたら急にザーーって雨の音と雷の音してびっくりした
降水確率40%
バスにお金を使いたくなくて
毎日自転車を漕ぐ
朝、晴天とは言えないけど
お日様もキラキラで心地よい
ただ今日は
少し人が少ないかも
前から走ってくる自転車たちが
少し濡れていることに気付いた時には遅く
サーーっと、。
あーあ、髪のセットぐちゃぐちゃだ。
雨の日は言い訳ができて良い
雨だから・・・
大概のことはそれですべて丸く収まる。
きっと雨の日は心を休めるためにあるのだろう。
少し足を止めて、雨宿り。
まったり待つ時間に何を思うのか
雨は上がる。
踏み出す一歩は思いの外 軽い
「通り雨」
傘を忘れた。
それに気づいた時は、すでに遅かった。
つまらない講義を受講している時に、一気に雨が窓を叩きつけ、教授が「急に降ってきたな。窓側の人、窓閉めてもらえるか?」と呑気に言った。
ぞろぞろと窓際に座る生徒が、窓を閉め始め、俺も例外なく窓を閉めた。鍵も閉めた方が良いのかと疑問に思ったが、どうせ窓を閉めるくらいなら、鍵を閉めても同じことだと思い、がちゃっと閉めた。
この大学じゃなきゃ嫌だと思わせるような大学に出会ったことはない。進路なんて中学生の頃ははっきり言って、適当に決めても、まだ十五年しか生きてないから分からない、家から通えたほうが母親は安心するだろうと理由を付け、割と適当に選んだ。偏差値も中の上くらいで、模試の結果と照らし合わせ、無難に決め、無難に合格した。大体の生徒は人生初の受験で焦りや不安に恐怖を覚えていた。俺もそのうちの一人だった。初めてプレッシャーというものを感じた。自分のシックスナインが母親の良い高校に進学してほしいという期待を感知した。それでも何とか乗り越えた。ただ、ゆっくりしていられるのも束の間で、二年生に進級すると、途端に教師たちが受験を意識しだす。当たり前っちゃ、当たり前だ。自分の高校の進学先を毎年公開しなければならないから、少しでも偏差値の高い大学や有名企業に就職してもらわないと、ただでさえ少子化が進む日本でどうにかして生徒数を確保するためには必要なことだ。
クラスメイトの矛先が自分に向かないように、息を潜めるように学生生活を過ごした。程よく空気を読んで、周りに合わせて、成績も自分で言うのも恥ずかしいが、毎回絶対八〇点を下回ることはなかった。お陰で母親は喜び、担任は鼻を膨らませながら職員室で自慢していた。
塩顔の父親に似た顔だったからかもしれないが、そこそこ異性からも視線を浴びていた。ただ、大多数の視線を浴びることは嫌いだから生徒会長などには一切立候補すらしなかった。代わりに内申書に書けるように程よく地域のボランティア活動に参加していた。
いつだってまるでタスクをこなすように生きてきた。
勉強も、元々ギフテッドみたいな能力を持ち合わせていないということに人より早く気づいたから、その分自分なりの努力で補っていただけだ。勉強法や暗記法、参考書の選び方。膨大な量を誇るネットの世界で探し回り、違う記事でも別の記事と同じ事を書いている部分を読み取り、それを実践しただけだ。テスト期間の勉強の予定の組み方が分からなければ、またネットの世界で探し回って、自分がこなさなければいけない課題を逆算し、一番効率よく課題を提出でき、点数が取りやすい方法を編み出しただけだ。
たまに赤点を取り、嘆いているクラスメイトを見るが、あんなのは努力をしていないからだ。自分の努力が足りなかったから、自分に合う勉強法を実践しなかったから、ああなったんだと心の中で鼻で笑う自分がいた。自業自得じゃないかと思うくらいだ。
そんな学生生活を送る俺にも赤点を取るクラスメイトと同じように、進路を決める時期が迫ってくる。三者面談の数が明らかに増え、模試の数も増えた。担任のアドバイス通りに俺は二年生の頃に複数の大学のオープンキャンパスに足を運んでいた。正直毎回毎回大学までの電車を調べたり、暑い中足を運ぶのは面倒だった。さぼってやろう、と何度も思ったが、おそらく同じ行き先であろう人を見てしまうと、その人に負けた気がして渋々行っていた。しかし、悪いことばかりではない。オープンキャンパスに参加しているのは大体二年生が多かったが、意外にもぎりぎりになって来ましたという人もいて、大学生スタッフから、すごいねもう進路について考えてるの?と褒められた。行きたくはないし、せっかくの休日だから家でゴロゴロしたかったが、褒められて悪い気はしなかった。毎回って言っていいほど、褒められていた。勿論、何も考えずに来てるわけじゃない。毎回メモ帳には大学の特徴、卒業後の進路、模擬授業の感想など細かく書いていた。行くからには納得した所に行きたいし、高校と違って学費などの額が違うから中途半端な気持ちでは選びたくなかった。
ただ、猛烈にこの大学が良いという大学はなかった。
一人暮らしができる余裕もあったので、都内近郊の大学にも行ってみたが、何だか違う、もしくは前回よりはこっちの方が良いかもなとふんわりした感想しか出てこなかった。思い切って、九州に行こうかと考えたこともあった。東京生まれ東京育ちの俺からすれば、九州なんて海外のようなものだ。方言も独特でテレビで見たのをよく覚えている。ただそこまでする必要があるのかと踏みとどまった。別に魅力的な大学は都内近郊にも都内にもいくつかあるし、そこから選べばいいじゃないか。
仮に九州の大学に行くとして、家族にはなんて説明する?思い切って海外気分を味わいたい、自分を変えたいと口が裂けても言えない。そんなの、俺らしくない。
結局、担任との進路相談で今の偏差値と去年のオープンキャンパスの感想を吟味して、都内の大学を第一志望にした。名を言えば大抵の人は褒めてくれるような大学だ。三者面談の際、担任からそのことについて聞いた母は、平穏を装いつつ、帰り道にはやっぱりあなたは天才ね!って自慢げに語っていた。母は自分の息子が努力して有名大学の進学の道筋が見えていることに感動しているわけじゃない。ただ、有名大学の大学生になれる息子を育てた母親像に感動しているだけに見えた。これで義理の姉や義理の両親に自分の教育方針が正しかったと、客観的に認めてもらえるからだ。だが、実際義理の姉らは、そこまで俺の進路について興味はないし、母から所謂教育虐待を受けた記憶すらない。義理の姉ら、特に父方の親戚や両親は、みな有名大学や海外大学を卒業している人ばかりで、大手企業の役員だったり、海外で働く人が割合的には多い。俺の知る限りの親戚は大体そうだ。だが、高卒の母からすればそれは羨ましく、同時に妬ましい存在だっただろう。自分は片親で高校卒業後は進学の選択肢すらなかったのだから。当たり前のように大学に進学することは、どれだけ恵まれていることなのか。きっと、彼らは知らない。大学に進学するのが当たり前という環境で育ち、奨学金も借りたこともなく、今まで育ってきたのだから。母なりにコンプレックスがあるのだと思う。自分は大学に行きたくても行けなかった。もしくは、行くことが許されない環境だった。だから今の会社で死ぬほど努力をし、肩書きを常に求めていた。しかし、高卒と大卒の壁は厚く、これ以上は大卒以上の人間がなる役職だと打ちのめされたのだろう。昇進の話が打ち切られたのかもしれない。
幼い頃から「大学には絶対行ってね」と口ずっぱく言われていた。しかし幸い、教育虐待のような仕打ちを受けたことはなかった。自分の足りないところは補うのは当たり前だと考えていたから、苦手な国語や社会は、小学生の頃から意識していた。
分からないところは、教科書や参考書、youtubeで調べノートに書き写した。
満点のテストを見せる度、母は褒めてくれた。最初の頃は、褒められたくて頑張っていたのかもしれない。
しかし、段々とやらなければいけないからやる、高得点を取らなければいけないから勉強するというように、考えるようになった。
自分のやりたいことなんて考えたことすらなく、勉強ばかりしていた。周りのクラスメイトからは、何で勉強していないのにテストで高得点を取るのか不思議がられたこともあった。授業中は他の生徒と同じように板書し、休み時間は友人とふざけ合っていたからだと思う。テストで高得点取れるのはガリ勉だけと彼らは考えていたが、家に帰ったら、俺はガリ勉に変わっていた。ただ、彼らはその姿を見てないから、要領が良い生徒だと認識していた。
結果、第一志望の大学に合格し、今に至る。
我ながらつまらない人生だと思う。
やりたいことを思う存分にやる経験をしてこなかった俺は、世論も政治も何もかもが腐って見えた。
丁度、今降っている雨のように。
曇り空で雨を降らし、一時間もすれば晴れるだろう。
「通り雨だったね」と呑気に忘れられるような存在。
俺は多分、今後もそうやって生きていくのだと思う。
傘 忘 れ て 良 か っ た
雨 で 全 て 洗 い 流 し て
誤 魔 化 し が き く よ う に
「 #通り雨 」
雨は苦手だが 、通り雨は嫌いじゃない
様々な音を奏でながら通り過ぎてゆく様は 、
不思議と背中を押された気分になるから 。
涙を流して雨が止む 。
そして虹がかかるまでが落ち込んだ日の 、
雨の日の醍醐味なのである 。
【 通り雨 】