『貝殻』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
お題:貝殻
貝殻のオブジェやアクセサリーを街中で見ると
海に行きたくなる
今年の夏はまだ行けていない
暑さが和らいだら、散歩に行こうかな
貝殻集めでもしながら浜辺を歩きたい
貝殻…
令和のヤドカリ界では何も乗せないのがクールらしい…
ゲームを手に彼女は笑う。
「この貝殻はオルゴール作るのに必要で、これは売値が高いから絶対売る!この見た目はたまにヤドカリになって歩いてくの」
自分の好きなことを話す彼女の目はとてもキラキラしていて、普段ゲームをしない俺にはとても新鮮な話で。「俺もやってみようかな」なんてつい口に出てしまって。
「ほんと!?私に任せれば君も無人島マスターだ!」
エヘン、と言わんばかりに胸を張る彼女がとても愛おしい。こんな、なんにもないけど楽しい日常が続くことを密かに願っている。
貝殻
すぐに聞こえてくる波の音
それはどこの海なのだろう
ずっとずっと前
家族で行った海
泳げなかった父と母
双子の妹
海岸でそれを拾いながら
見せ合いっこ
そんな思い出は
それと一緒に
こころの奥にしまってある
もういない父
記憶が定まらない母
こころが通い合えない妹
ずっとずっと前
そんな幸せな日もあったかも
しれない
Ⅵ
物が散らかったあなたの部屋で
1つ、小さな箱を見つけた。
埃の被っていない青細工の箱を開くと
そこには
淡いピンクの貝殻が収まっていた。
2人で、海岸へ行った時の思い出だった。
間違って捨てても文句言わないで、なんて言ってたくせに
いつも大雑把で適当なあなたが
こんな小さい物を大事にしてる
そのことだけ、大事に胸にしまった
#貝殻
夕暮れの砂浜で、夏の落とし物を拾って歩く人がいる。
空きカンやペットボトルのゴミの他に、鈍く光る不思議な殻。
これは何ですか?と聞くと、ああこれはね…
ピンクのは恋殻
虹色のは夢殻
角のあるのは青殻
すべすべ丸いのは涙殻
「夏が終わるから、みんな諦めて捨てちゃったんだね」
「でもまだこんなに綺麗なのに」
「だから、磨いてまた空に返すんだよ」
リサイクルさ…とその人は笑う。
そうか、これはもともと星だったのだな。
テレビドラマで見たピンク色に輝く巻貝に憧れて、初めて海を訪れた時には一生懸命探した。小学生になったばかりの頃だと思う。
ツルツルしたものを拾っては貝殻のかけらだったから、落ち込んだ私はポイっと投げた。
もう少し右かな? もっと海の近くかな?
拾っては落ち込んで投げる、そんな動作を繰り返していたら母に投げ捨てるなと怒られた。怒られたことが怖くて、結局私はピンク色の巻貝を見つけることなく浜辺を後にした。
今思うと、ドラマ演出でピンク色に染めていると察することができるけど、そもそもピンク色の巻貝って存在するのだろうか。一体どんな餌を食べていれば貝殻の色がピンクに染まるのだろうか。
裏の裏まで答えを探さないと納得できない、嫌な大人になってしまったと自分でも思う。
『貝殻』
波打ち際の小さな巻貝
海の唄を沢山聞いて
その身に記憶しているのかな
耳にあてればどこの海のさざ波の音か
心地よい音が聞こえる
巻貝に私の想いを呟いて
再び海の波へと送り返す
海よ
どうかその巻貝を
あの人の元へと連れて行って
「貝殻」
しあわせのかたち
そらをみあげてた
かぜにふかれてた
さけびたくなった
どこからくるのか
おしえてくれない
みんなつかれてる
ちいさなしかくの
たいせつなものを
おしえてください
ゆれるなみのおと
はまべのあしあと
ちいさなわたしを
みつけてください
『貝殻』
何も無い、休みの日。
近くの海でよく暇を潰す。
人が多いのは嫌だから、
シーズンから外れた時期。
泳ぐわけでもなく、ただただ歩く。
ときたまちゃぷ、と波を揺らして。
足元を見ると、たくさんの貝殻。
きれいな乳白色。
砂に溶け込む色も、自然で良い。
集めて、家に飾る。
不定期に数が増えていく。
いつしか、室が浜辺になる。
───『貝殻』(2024.09.05.)
透き通った海に、コロコロと貝殻が落ちてる。
友達と集めて、貝殻を家に持ちかえる。
当時、大切にしていた宝箱に放り込む。
何かが生きていた証。
とても、綺麗だと思った。
#45 貝殻
[螺鈿ーらでんー]
貝殻と言えば、螺鈿細工!
虹色に光る貝殻を細工して、
模様をあしらうアート作品。
祖母の家にも、
一つだけ螺鈿細工の箱がある。
角度を変えると違った色を魅せるのは
螺鈿細工の作品ならでは。
時代を問わず、その美しさに魅了される。
いつか、私も買ってみたい。
貝殻 Ver.2
このお題は2回目なので、はっきり申し上げて書きたくない。
「些細なことでも」でも触れたが、テンションが上がらない。
まだ書き残したお題は喜んで書いていきたい。
けれど…。今日のお題は使用済み。
私は貝になる…。
【貝殻】
昔どこかの砂浜で、小さな薄桃色の貝殻を拾い集めた記憶がある。桜貝というものらしい。
でも、それがどこだったのか。
私は貝殻を拾えるような綺麗な砂浜に縁があっただろうか。どこかに海水浴でも行ったのだろうか。
それがいつのことだったのかも全然覚えていないのだ。
拾った貝殻は、当時宝物入れだったクッキーの缶に入れたような気がする。そのクッキー缶もいつかどこかに消えてしまった。
だからかもしれない。
貝殻という言葉に、私はほんの少しの感傷と懐かしさを感じるのだ。
死ぬ自由が今、は ... 取り敢えず無い事が ... 神様の私に対する救い ... なのかも知れない .... けれど ... 。
俺には友達って居ないんだよね ... ひとりも ... 。
なんかって時に味方とか味方以外とか敵とか或は関係者、無関係者 ... そういった選別というか分別というか ...
〝 分別は、ごみを出す人がごみの素材・種類を分けること。 選別は、集まったごみのなかから特定の素材、種類を選びとって分けること。〟
(※意味調べたら分別も選別もゴミ絡みで説明してたよ ... 笑。)
友達 ⇒ 仲間→味方→派閥→敵味方 ...
ひとりでいればこれを逸れれるからさぁ。
12歳頃からこんな習性が身に付いてきれいに仲間はずれとか除け者、いじめられっ子、遣いっパシリとかやってやらされて ... そうしてるといつの間にか人間以外の物に、話しかけたりはしないんだけど、人間以外の物の心の声みたいなものをさがしはじめて、必死に耳を傾けはじめたんだよね自分さんは。
私以外の人間は、どうせ、格好がつかない瞬間から厭離すること、また格好がつく瞬間に向けて蠢動するばかり躍起になる其れは格ではなく質であるから否定してはいけない ... あきらめて、受け入れなければならない ... ... ...... 。
そうやって1999年2000年2001年という世紀末前後に私の人生に於いての小さな事件が起きた ...
宇多田ヒカル ... 三谷幸喜 ... 見城徹に文章やメロディを盗作されるという事件だが勿論、公になったりなんかしないしてない。
私の中の大問題はね .......
敬虔なる孤独を漸く見つけたら ... ゼニの亡者の私腹肥やしネタにされ枯らされて朽ち果てさせられたってことなんだよね ... 。
きっかけになってしまった〝成る沈む〟ってタイトルの詩には首相になる前の鳩山由紀夫からも賞賛のメールを(※当時存在したスタービーチというメアド晒しの出合い系でy.hatoyama@...というドメインから極めて紳士的で厳かな褒め言葉を頂いた。)受けたが ...
私は当時から今に至って33年目の古参東京都内タクシードライバーで ... 🚕 ...
未だに有り難くも世間一般からサクサク小馬鹿にされ乍ら衆生修行をサボらずに過ごせてますがね ....
chikushow .....
俺には尊敬してるやつなんざこの世にゃひとりもいねえよヴァ〜カ。
スキニシネタコカス。
【貝殻】
子どもの頃、よく砂浜で貝殻をあつめた。波のかたちに線になって貝殻が打ち上げられているところを見つけたら、自分好みの貝殻を探すのに夢中になった。
私は薄紅色の二枚貝がいちばんすきだった。白ければ巻貝も好きだった。大きいものはめったになくて、ほとんどが小さい。ハンカチに包まれて、あるいはポケットに放り込まれて、自宅に連れて行かれたそれらは、しばらくは学習机のひきだしに入れられていたけど、いつのまにかどこかへ消えてしまった。成長の過程で私に処分されたのだろう。
浜辺のあのさらさらの砂が、ぜんぶ貝のちいさな粒だったらいいな。
公園の砂場に這いつくばっているときに、ふと貝殻を見つけると、あ!と思う。
きらっとした何か、ちいさな何か、貝殻以上の存在感のあるそれ。
アルバムの中の写真の幼い私は
水玉のスカートを履いて白いブラウスを着ていた。
膨らませた浮き輪をお腹の所にとうし
麦わら帽子もかぶって、家の前での写真撮影だというのに、
「海行くのよ。いいでしょう」
という顔で写っている。
幼い私の右側には思い出より少し若い
ばあちゃんが一緒に写っている。
写真を見ながらばあちゃんの事思い出そうとするけれど、ばあちゃんと会えなくなって大分経つから、良い思い出も嫌な思い出もあまり思い出せない。
それでもなぜだか、夏になる度に
ばあちゃんの綺麗な水色の着物思い出す。
きらめき
エジソンは「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」と言っているが、本当は1%のきらめきではないだろうか。
自分の中にある好奇心や何かを好む気持ちとその道を歩むための努力が必要なのではないだろうか。
潮騒が頭の中で響くと、付随する感覚の惹起するあの感じ。
海水の蒸発して、肌のベタベタとしたあの感覚。海水のしょっぱさ。砂肌のざらざらのしたなんとも言えぬ心地。ガラス日の破片のような刺々しいものが、足裏にチクリと刺さって、とても痛い。その痛みがなんだか心臓の方までたっして、人体は不思議にできているのだなと変な感動がとる。
私には双子の兄が居ましたが、この兄は、大層愚かな兄でした。
学生の頃から飲酒と喫煙を繰り返し、教師から目を付けられる。近所からの評判も悪く、姿形が瓜二つの私も、外を歩けば白い目で見られる日々でした。
兄のせいで私はかなりの迷惑を被っていた訳ですが、私は兄のことを愚かだとは思えど、嫌いだとは思わないのです。
思い返せば、兄は幼少期から私に優しかった。
私が母に叱られ、押し入れで声を押し殺して泣いていた時にも、兄はそっと近所の駄菓子で売られている駄菓子を、押し入れのふすまの隙間から差し込んでくれました。
きっと兄のことなので、その駄菓子は買った物ではなく、盗んだ物だろうと子供ながらに察していました。
当時は私達は、小遣いをほとんど持ち合わせていなかったからです。
母は普段から厳しい人でしたが、特に、金に関してはうるさかったのです。
その厳しさは、兄のせいで増していましたから、兄が弟のために僅かな自分の金を使って駄菓子を買うということは、考えにくいことでした。
しばらくして、私達は二人きりになりました。母が死んだからです。父は、随分昔に家を出ていってしまっていました。
母というストッパーが消えたことで、兄の素行不良は日に日に酷くなっていました。誰かに手を上げただとか、カツアゲをしているだとか、女を孕ませただとか、そういう噂が私の耳にも届きました。
その結果、私から友と呼べる人間が居なくなったことは、言うまでもないでしょう。
それでも、依然として、兄は私に対して噂通りの鬼畜ぶりは見せませんでした。
ふと、私は幼い頃に訪れた海のことを思い出しました。その砂浜に埋まっていた、小さな貝のことです。二枚の貝殻で、自分の身を守る、小さな小さな貝のことです。
私に兄以外の拠り所がなくなったように、兄にとっての最後の拠り所も、私だったのでしょう。
唯一の家族、唯一の肉親。
元は一つの肉塊だった私達は、あの貝のように、二枚重なって空虚な中身を守っているのでしょう。
『貝殻』