『誰もがみんな』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰もがみんな
今日はお題が難しい
誰もがみんな…
同じ人なんていない?
でも不思議と思うのが三人兄弟
結構な確率で真ん中の子はいい子。
聞き分けがいい
頑張り屋
忍耐強い
わがままな上と自由な下に挟まれてるからかな
使命を持って生まれてきたんだ。
でも、何の使命があるのかが分からないと
生きることを見失なう
迷って迷って疲れはて立ち止まる
止まって見えた景色は足元に
小さく咲く花の凜とした姿は誰にも評価されない使命
動く力が戻るまで君を見させて
誰もがみんな、という言葉をよく使ってきた。
例えばお小遣いがもっと欲しいときに、
「誰もがみんなもっとお小遣い貰ってる」
っておねだりするときとか。
でも結局はそんなに人数はいなくて、
「みんなって誰?」
と問われて俯いてしまう。
それに何人あげたところで、
「余所はよそ家はうち」
と言われるのだ。
でも"私は"って言っても説得力はない気がするから。
そうして私はお願いを滅多にしなくなった。
どうせ無理ってそう思ってしまうから。
言えばいいって言われても怖くてしかたがない。
私には説得力のある言葉なんて出せないから。
勝手に期待して勝手に裏切られるだけ。
どうせ駄目だって言うのなら言わせないで。
でもそれが苦しくて惨めだから、
「誰もがみんなそうやって生きていくんでしょ?」
と繰り返し自らに言い聞かせる。
でも誰もがみんなって誰だろう。
私は私以外の人のことを知らない。
だって聞いたことがない。
本当は分かってる。
みんながいないなら作ればいいってことくらい。
話して、聞いて、試して、前例を作っていけばいい。
でも私はやらなかった。
出来なかった。
嗚呼、誰もがみんな持ってる勇気が欲しい。
誰もがみんな精一杯生きている。うん。昨日雪ふったから雪の話でもするか。
昨日は雪ふったけどそこまで積もらなかったし寒くもならなくて助かった。寒くて水道管が凍ると不安だしめんどうだからね。
雪っていうと路面の凍結も地味に嫌だな。スノーブーツ持ってないから道が凍ったら長靴くらいしか靴がない。とはいえ年に一回使うかもわからないのにスノーブーツを買うってのもためらう。
そういえば昨日は周囲の人たちが道路の除雪をしてた。除雪とかやったことないな。
ああいうのってやったほうがいいんかね。でも車とか持ってないから道路に雪が積もってても別に困らないんだよな。
そりゃ滑ったら困るから靴とか気にするけどその程度よ。地域的に雪なんてほとんどふらないし積もらない。雪慣れしてないから周囲の人たちの行動に困惑する。
えっ、なんで除雪してんの?この程度の雪放っておけばよくね?って。車持ってたり子どもがいたらその辺わかるんかね。
それにしても最近は寒さがやわらいできたから着替えが楽になって助かる助かる。冬はほんとしんどいからね。春が待ち遠しい。
【誰もがみんな】
誰もがみんな自分を見てくれるわけじゃないのに
今日もひとりでここに来て、文を書く。
書き終わったらみんなの投稿を見たり
どれだけ"もっと見たい"って思ってくれた人がいたか
見てしまう。
私の文なんて長くて読む気にもならないのに
なんでここに来てしまうんだろう、
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているのに。
誰もがみんな孤独を切り離せずに生きている。
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているけど。
誰もがみんな繋がりを持てるばかりではないから。
きっと誰もがみんな、優しさを忘れられずにいるんだね。
【誰もがみんな】
【誰もがみんな】
才能・・・それは選ばれた人間しか持っていないもの
だから私には何もない何も一人じゃできない。
何も人より上手くできない。
何も・・・。
「君の良いところ私は知っているよ!」
「?」
「1つ目誰にでも平等で優しい、2つ目何に対しても一生懸命!、3つ目一人じゃできないことも誰かと協力して達成すること!他にもあるけど言いきれないぐらいいっぱいあるよ!」
「・・・・・・・・・・。」
そっか・・・私は一人で何もできないんじゃなくて誰かと協力することで出来るようになるんだ。
誰かと協力して成し遂げることができるのは私の才能なのかもしれない。
誰かと協力してまでも成し遂げ用とするのは私の才能なのかもしれない。
才能・・・それは自分が気づいていないだけで誰もがみんな持っているもの
誰もがみんなできることだよ
君はいつもそう言う
君がそう、誰もができると思ってることはさ
君にしかできないんだよ
僕はいつもそう返す
誰もがみんな、誰もがみんなできるって
自分は特別なんかじゃないって
君の見ている世界は、世界でたった一人
君にしか見えないのに?
誰もがみんな
【誰もがみんな】
主語を大きくするのは嫌いだ。
わかった気になって話すのはおこがましい。
あなたのこともよくわからないのに。
ましてや自分のことすら全部わかっていると言えない。
誰もがみんな○○だ、なんてどうして言えるのだろう。
99本の薔薇の花束を貴方に…
お題
花束
誰もがみんな
生きたいのに、生きられるわけじゃない
お題
誰もがみんな
「誰もがみんな」
先日電車の中で優先席に座っていた3人にヤンキー高校生な男の子達がいた。
社内は平日の通勤時間帯もありそこそこ混んでいた。にも関わらず男の子達はマイペースにおしゃべり。
その光景に乗客はイライラしていた。
列車が発車して2駅目に着いた時、妊娠9ヶ月目とおぼしき妊婦さんが乗車してきた。
ワイワイ喋っていた男の子達は妊婦さんに気づき
「スっと」立ち上がり「どうぞ」と席をゆずった。
妊婦さんは「ありがとうございます」と安堵の表情を浮かべ会釈。
「人はみかけではない」
という
誰もが一度は聞いたことある言葉通りの
エピソードをリアルで見てしまった。
自分だったらどうしていただろう?
考えさせられた1日だった。
・誰もがみんな
勉強に追われていても
仕事が忙しくても
子育てに手を焼いても
みんな生きている
自分一人だけが
辛いわけじゃない
道路に投げ捨てられていた花束。
お気持ち察します。
成功者は言う
誰もがみな自分だけの才能を持ち
自分だけの使命を持って生まれてきたのだと
その使命を全うするために人生はあるのだと
だが、そんなの成功者だけが思うことの出来る綺麗事
誰もがみな持ち合わせているのは
毎日、休むことなく動き続ける心臓と
生まれ落ちてからこの世を去るまでの時間だ
誰もがみんな
言えないことを言うのは勇気がいる
どんなに心が強い人でも勇気のいることってきっとあるはずだ
寂しいと感じることがあるはずだ
人はみんな取繕った心の下に寂しさや孤独、勇気を隠している
そして、それに潰されないように自分を奮い立たせるための何かを持っている
それを常備していないと孤独や悲しみに溺れそうになるから
今日を生きる
明日を生きる
一人になるとそれで精一杯
だから、寄り集まる
誰もがみんな
誰もがみんな
誰もがみんな好き嫌いはあるだろう
私は牛タンや、鰻が苦手だか、
この2つを大好きだという人は多い
うちの家族は5人 野菜、フルーツ嫌いが2人 肉嫌いが1人
魚嫌いが1人、鰻を食べるのは1人
牛タンを食べるのは2人
こんな家族が、外食をするときは大変だった、行く場所が決まらない
毎日の食卓も非常に面倒だった
今は子供たちも大きくなり、自分たちで好きに食べる様になったが、
魚嫌いの旦那をもつと魚料理は出来なくなるし、食べなくなる
残念だ。
誰もがみんな同じってことは無いし
そんなに困らなくて悩まなくていいと思います。
私にはテストは絶対に
高得点をとりたい友達が居るんだけど
私は赤点回避してますようにって思ってるのに
勉強しない。
この場合は勉強した方が良いのだけど
私は勉強が好きじゃないから
勉強に縛られたくないって
思ってしまうんだよね。
これっておかしいのかなぁ?
私はそれが自分らしいから
困ったり悩んだりしてないけど
皆とわざわざ無理して同じにする
必要はないんじゃないかなって思います。
誰もがみんな一緒じゃないし
あんまりみんなと一緒にしないとって思わない方が
自分をもっと出せると思います。
どんなあなたも素敵です。
─────『誰もがみんな』
「誰もがみんな」
誰もがみんな
幸せになりたい
しかし周りの花々を
踏みにじってまで
得ようとする幸せに
何の価値があるだろう
今いちど
自分の足を見てごらん
恨み辛みで汚れてないかい
誰もがみんな
誰もがみんな、自分の居場所を
求めている。
そんな気がする。
居場所は、与えられるのじゃなくて、
自分の手で、探しにいかなきゃ。
我が愛猫は、そう言って、私のとこに来てくれた。
以後心地よいのだね。
ありがとう。
そばにいてくれて。
家族になるって、思っていた以上に面白い。