『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰かのためになるならば
ヒーローになる…変身!戻った後の筋肉痛とか体力復活を手助けしてくれる人は間接的どころか影響度大。
目に見える活躍は誰かが安心する。でも、そのヒーローを心配する人は無事に帰ってきて欲しいだろうな。
無理だと言われる革新的な研究をする…研究費も少なくて(あるだけまだいいのか)も、理解される事も少ない。身体を壊すようなのめり込み方。目的がはっきりしていて、かつ、執念も感じる。でも、取組むもので扱われ方が違う。横取りされるか、馬鹿にされるか。あっ、日本沈没の田所博士とかのイメージが近い。
奉仕の仕事…自分が参加する事で役に立つならと勉強したり資格を取ったり、泣いたり怒ったり頑張ったり、上手くいかなくてガックリして諦めたり…誰の満足?
道端のゴミを拾ったり、落とし物を預けたり、迷惑かけない行動したり、些細な出来事に感動、感謝したり、
なんか、そういう事が出来る事?闘う事ではないか。
#誰かのためになるならば
“”誰かのためになるならば…“”
そんな風に思えるほど
私自身たいした人間ではない
心に余裕がなきゃ
“”誰か“”の事まで見ていられない
毎日いっぱいいっぱいで生きている私には無理
自分が何者でもない小さい人間なんで…
私は自分が大好きで他人にほとんど興味が無い…
好きなものに囲まれた
自分の小さな世界の中で
自由気ままに過ごす事をこよなく愛している
他者との接触は最小限?
いやいや
できれば避けて通りたい
時々自分の世界から薄目で世間を覗き見👀
ん?って興味がある事は隙間からジロジロ観察
その時ピンチの人を発見したら
特撮ヒーローにでも変身して
即刻助けてあげられたらいいけど
でもそれって無理でしょ?
ただの人間だもの
“うわぁ やばい どうしよう… 声かける?”って
悩むんです! ものすごく!
自分のできる事の許容範囲なんて狭すぎて
力になれるかなんてわからないじゃん…
そのまま何もせず見過ごすこともできるけど
莫大な勇気を振り絞って声を掛けてみる
“”May I help you?“”
その声はものすごく小さいwww
で
「大丈夫です〜 ありがとうございます」
なんて返されたらもう恐縮至極でさ
もう膝から崩れ落ちるわ〜
安心感となんか気恥ずかしさでwww
ちょっと良い人やって達成感120%(´∀`∩)↑age↑
気持ち良くなったらまた自分の世界へin…
“”私って良い人♡ふふふ~“”って
自己満足にどっぷり浸かる♨️
なんにもしていないんですけど〜😝
嗚呼…
そんな自分がやっぱり大好き♡
🌈黒猫のつぶやき🌈
人には限度ってものがある…
だから私が困ってる時は丸ごと助けてもらいたい
私はひねくれている。
小学生の時は、いじめられている子と一緒に遊んで、いじめが収まるよう行動していた。
中学生の時は、不登校の友達をなんとか学校に来てもらおうと、家にまで行った。
高校生の時は、一人ぼっちになりそうな子を呼んで、一緒に昼食を食べたりした。
大学生の時は、隣で咳をしていた子が、先生から
怪訝な顔を向けられていたので、「気にしなくていいよ」的なことを言った。
皆が、敵にしていたり、孤立している人と仲良くなりたいと思ってしまう。
もちろん、優しさや思いやりもある。
だだ、無意識のうちに自分より下だと思う人と、絡んでいるのかもしれない。
これらの行動が、その本人に良い影響を生んでいることを願います。
善意だけの「本当の優しさ」を持ちたい。
誰かのためになんて
烏滸がましい事は言わない
結局は自分のため
自己満足でしかないから
自己犠牲での奉仕は誰のためにもならない
自身が幸福であるから
そのお裾分けでお手伝いをする
それが在るべき姿
それでも私は
貴方のためならば
私が出来うる限り手を差し伸べたい
「誰かのためになるならば」
彼はすごいでも怖い。
誰かのためになるならば
自分の命なんてどうでもいいって
言っているような人だから。
誰かが彼をとめないといけないの。
誰かのためになるならば
なんて言葉言わないで欲しいの。
彼が居なくなった時
どれだけの人が悲しむか彼はわかっていないみたい。
彼がみんなを愛し
みんなが彼を愛していることを自覚しないと
彼はずっとこのままなのかもしれない。
大切なひとだから
「誰かのためになるならば」
なんて言わないで
─────『誰かのためになるならば』
誰かのためになるならば。
僕の行いが誰かのためになるならば、この身を削ってでもやりたい。そういう風に思うことがある。
しかし、その行いは本当に誰かのためになるのだろうか。誰かのためにはなっても、誰かを傷つけることにはならないだろうか。
そんなことを考えているうちに行動できなくなったりする。
そんなこと考えても意味はないのかもしれない。
結局、誰かのためになることは、誰かの不利益になることもある。だからこそ、そこも理解した上で行動しなければならない。
誰彼構わず助ければいいわけではない。自分の行動の結果を想像し、しっかり決断した上で行動を起こすのが最適だと思う。
自分のためにご褒美をあげよう。
自分が幸せになれる食べ物を食べて。
自分が安らげる時間を持とう。
自分が悦びを感じて笑っていられる。
それが大切なんじゃないかと、最近はつくづく思う。
題:誰かのためになるならば
お金があるところに集まるように、笑顔も幸せも、あるところに集まる。
しんどいことばっかだけど。死ぬまで微笑うんだ。
誰かのためになるならば
例えば私のためになるならば。
とりあえず戦争やめて下さい。
暑くてどうにもなりません。
どう考えても私らがレジ袋でチマチマ地球守るより、ミサイル一発の方が限りなく省エネでしょ。
誰かの為になるならば、なんてその前に自分の為になってくれよ
『雨に負けても』
雨に負けてもいいやと思う 濡れた身体冷たくなって
あの日のバイトの冷凍室だ 完敗した私は家に帰って
シャワーを浴びる 39度のやや温め 感情までもが流れていくよ 私は戦わない 今日も明日も 多分それでいいやと思う
誰かのためになるならば
そうやって
自分をずっと我慢させて
誰かのために
って
自分のためにはないのかな
それは
誰かへの優しさではなくて
自分への嫌がらせなのかもね
誰かのためになるならば
なんだってするさ
どこかの誰かが苦しんでる?
僕が助けるよ、、、なんて
都合のいい話さ みんな忙しい
誰か一人がこの世界の人全員を幸せにするなんて難しい
だからこの世界の一人一人が
みんなを助けて幸せにする
”一人一人”のためになるなば
どこかの誰かが知らない間に
助けてる助けたつもりは無い?
ちょっとの優しさで
誰かのためになる そゆことさ
(なんかおかしい文だよね笑)
誰かのためになるならば
誰かのためになるならばと
コンビニのレジ脇に置いてある
募金箱に少ないけれどお金を入れた
硬貨がチャリンと音を立てて受け入れ口の
隙間から滑り込んで行った。
この行為が、巡り巡って 人の為に
なるのだろうか?
私は、正直に言うと自分本意の人間だ
これと言って 目立った人助けも
人生でした事が無い
だからこの行為も単なるきまぐれ
何の気なしの物だ
軽い気持ちで入れてみようかなあと言う
程度だ。
だから私がやった事は、優しさと言うより
偽善と呼ばれる物だ
だけど.... テレビのニュースや
ネットのニュースで、異国の情報が
流れると、たくさんの支援物資が
届けられる映像が流れる。
その支援物資の中には、
食料品 日用品 薬などそう言った
日常生活に必要な物
それらを 皆 笑顔で 心の底から
感謝して、中には、泣いて喜ぶ人も居て
そう言う映像を見て、ふと考える。
この人達が受け取った支援物資の中に
私の偽善めいた 気まぐれの募金も
入っているのかなあ....
だったら嬉しいなあ....
ニュースの映像で流れるこの人達の
笑顔を見て 私の自分本意だった優しさも
救われた。
そうした映像を見た 次の日
私は、また募金箱を見かけた。
私は、自分の品物を買うのとは、
別の小銭をポケットに忍ばせた。
誰かのためになるならー?久々の投稿です~✨
難しいですねー私は何か捧げると思います、心が無い人や病気で苦しむ人を笑顔にさせます!
誰かのためなら何でもします✨命を賭けでも守りたい人が居る人も居ると思いますけど、私は賭けずにその人の笑顔を守りたいです笑
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だれかのためになるならば
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だれかのためになるならば
私は存在を消してしまってもいい
今、私が住んでいるアパートは、ペット禁止だ。
理由はアパートのオーナーが生き物をが嫌いだからと、契約時に聞かされた。
予算と駅へのアクセスの都合によりはこの部屋に決めた。
本当はペットを飼いたかったけれど、泣く泣く断念。
なかなかうまい話はないものだ。
とはいえ、それ以外に不満なことは無い。
静かだし、部屋はきれいだし、家賃は安い。
職場へのアクセスも良好。
デパートにも近いと来てる。
本当に『ペット禁止』以外は文句のつけようがない。
だけど、この部屋に越してからペットを飼いたい衝動は増すばかり……
されど、この居心地のよい部屋を手放すのも惜しい……
すさまじいジレンマ。
どうにかしてこの二つの命題を解決できないだろうか……
そこで私は妙案を考えた。
ペットを飼っているという設定で、生活すればいいのだ。
エアペットというやつである。
これならばペットを飼うことが出来て、かつこの部屋に住み続けることが出来る。
もはや末期であるという自覚はあったが、もう止まれない。
私はエアペットを飼うことに決めたのだ。
思い立ってすぐ、私はホームセンターへ行く。
とくにエアペットの種類は決めていない。
とりあえずホームセンターで物色して、それから決めようと思ったからだ。
犬にするか、猫にするか……
私がペット用品の商品棚で悩んでいると、見切り品コーナーの鳥かごが目につく。
鳥かごは、見切り品だけあって、お値打ち価格。
デザインも、実に私好み。
私はコレを買うことに決め、エアペットもエアインコを飼うことにした。
私はホームセンターから戻り、鳥かごをリビングの目につくところに置く。
殺風景だったリビングも、鳥かごを置くだけで随分と華やかになる。
私はウキウキしながら、その日は寝た……
それから私は変わった。
仕事にもやる気がみなぎるようになり、私生活はうまくいくようになった。
今までのペットを飼いたいと言う衝動も、エアインコを飼うことで解消された。
やはりペットはいいものだ。
人生を豊かにする。
でもエアインコは、本当のインコの様に鳴きはしない。
けど、それに何の問題があるだろうか?
そこにいるだけで十分なのだ。
偽物のインコだったとしても、私は幸せだった。
しかしそれも長くは続かなかった。
アパートのオーナーが突然やってきたのである。
私が規約に反し、ペットを飼っていると言うのだ。
どうしてそう思ったのかは知らないが、酷い言いがかりだ。
なぜなら私はペットを飼っていないから。
幾ばくかの言い争いの後、私は身の潔白を証明する手段として、オーナーを部屋の中に招き入れた。
オーナーは鼻息荒く、部屋に入り込む。
玄関廊下台所と、オーナーは痕跡一つ見逃すまいと探索する。
無駄だと言うのに、熱心なことである。
さぞペットが憎いのだろう。
そうこうするうちに、オーナーはリビングに入り込む。
そしてリビングに入るや否や、オーナーは勝ち誇ったような顔をする。
コレが証拠だと言わんばかりに、鳥かごを指さす。
どうやらこれがペットを飼っている証拠だと言うつもりらしい。
しかし片腹痛い。
その鳥かごの中に何もいないと言うのに、何が証拠だと言うのか!
私は反論する。
その鳥かごは買ったままの新品の様に綺麗だろう?と……
生き物がいないから、汚れようが無いのだ。
そして若干の埃が被っているのも決め手だ。
なにせ飼っているのはエアインコなので、埃が舞わないのだ。
私の言葉を聞いて、オーナーは驚愕する。。
そしてオーナーは叫ぶ。
『ならなぜここに鳥かごがあるのか』と……
確かに当然と言えば当然である。
普通、鳥も飼いもしないのに鳥かごなんて飼わないからだ。
だから私は言ってやった。
エアインコだと。
ペットは禁止だろうが、エアペットまでは禁止されていないだろう、と
その時のオーナーの顔は傑作であった。
口をだらしなく開き、目は驚愕で見開いていた。
それも仕方あるまい。
なにせ自信満々で来たのに、ペットを飼っていないことが確定したのだから。
私がいい気分で、勝ち誇ったのも束の間。
急にオーナーが挙動不審な事に気づく。
なにかに怯えているような、そんな様子である。
私はあたりを見回すが、特にこれと言って何かがあるわけではない。
不審物を探すため見回していると、玄関からバタンとドアが閉まる音が聞こえる。
どうやらオーナーは出ていったようだ
なんてオーナーだ。
人として、あるまじき行為だ。
人を疑って、それが間違いが判明したにもかかわらず、謝りもしない。
そして帰るときにも、一言も言わず去る。
ありえない!
こうしてはいられない。
こんなオーナーのアパートにはこれ以上住めない。
引っ越さなければいけない。
私がパソコンで、調べようとした瞬間、ドアの呼び鈴がなる。
なにかと思って出てみれば、オーナーが菓子折りとお金を持って、ドアの前に立っていた。
オーナーは言う、『これを黙って受けとって、すぐに引っ越してほしい』と……
文句を言ってやろうとも思ったが、お金の入った封筒が結構厚い事に気づき、私は快く快諾する。
これだけあれば、引っ越し代や敷金礼金を払っても、おつりがくるだろう。
便利な場所を捨てるには惜しいが、これだけのお金を貰えば逆に得した気分だ
まだ給料には不安が残るので、次もペット禁止のアパートになるだろうが仕方あるまい。
新しいアパートで友人関係を構築しないといけないが、不安はない。
私には、エアペットのエアインコがいるからだ。
この子さえいれば、どんな場所であろうとも楽しいものになるだろう
そうだ。
せっかくだからエアペットを増やすのもいいかもしれない。
そうすれば留守番の時も、寂しくないだろう
次はエアわんこでも飼おうかな
誰かの為になるから、頑張れるって凄いことだと思う
私は自分の生活の為に働いてるし、これからも物価高止まらないんだろうなって思って。
いかにお金を稼げるかを頭の片隅には必ず入ってる
好きな仕事で成功するってその人の努力と運が奇跡的に重なった現象で、働いている社会人ならみんな現実を突きつけられると思う。
そんな世の中で「誰かの為になるなら」なんて心から思えるなんてもはや聖職者にだっていなさそうなのに。いたら尊敬する。
私が人に(友達は別として)優しく出来るのは、自分に危害が及ばないように予防線を張っているだけ。
それでも無神経な奴は死ぬ程いるから、予防線意味ないときもあるけど。
そんな悟りみたいな境地に立てるのは凄いけど。
それは環境とお金と周りの人間性が整って、余裕のある人が出来ることだとも思っている。
「情けは人の為ならず」
他人に情けを掛けていれば、巡り巡って自分へ良いことが返ってくる。
誰かのために行動すると、いつも空回りする。
空回って転んでばら撒いて怪我をして、
心も体も傷だらけになりながら動いている。
自分は生涯このまま空回りし続けて終えるのだと悟ってしまった。
他人に掛けた情けって、
死後の世界でも自分に返ってきますか?
『誰かのためになるならば』
誰かのためになるなら
いろは 「お母さん。ニュースやばいね」
お母さん 「あらら火事。スーパーの近くよ」
お父さん 「今日しごとで通らなきゃ行けねぇの
に」
いろは 「まじぃ?やば」
いろは 「なら、行ってきマース」
ガチャ
けいと 「おう!いろは!」
いろは 「あ!待ってたの?ありがとう」
けいと 「早く行かなきゃ遅刻だぞ」
ー歩いているとー
バァァン
けいと 「何事!?」
いろは 「燃えてる…え、中に人いる」
ひな 「いろは!けいと!ここ、そうまの家だ
よ!やばい!中に居る」
いろは 「嘘…中にそうまが?」
ひな 「うん…」
けいと 「消防来ないじゃねぇかよ!」
いろは 「私助けに行く」
ダッ
ー2回目の爆発ー
けいと 「いろは!!」
ひな 「いろーー!!」
消防 「到着しました!中に人は?」
ひな 「二人います!」
ー4時間後ー
消防 「消火終わりました。中の2人は既に…」
警察 「身元は、いろはさん。そうまさんの物と
見られます…お悔やみ申し上げます」
ひな 「何で……」
けいと 「発火の原因はそうまには無いと信じる」
(いろは) (ごめんね…そうま。けいと。ひな)
誰かのためになるならば
全国各地に建立されている巨大な観音像。ほとんどが、その土地の大金持ちが作ったわけだが、その当代の死後、管理できずに廃墟になってしまうことも多いらしい。あれだけ巨大なだけに、取り壊しも一苦労だ。
無垢な善意と自己満足の遺物。僕はそういうものだと思っている。
漠然と、誰かのために、不特定多数の人々の心の安寧になれば、という動機で建てたのだろう。
でも何億何十億も使うなら、もっと具体的なことに使ったほうが、人のためになったのでは、とも思う。会社を作って雇用を増やす、とかさ。
だから、どちらかといえば僕はあんなにでかい観音様よりも、円空の仏像のほうが好きだ。
円空は全国を巡り、苦しむ人の救済のために仏像を彫り続けた。生涯12万もの仏像を彫ったと言われている。
12万だよ。こんな数、絶対に偽善の心じゃ無理だよね。本当に心から相手のことを思ってじゃなきゃ無理だよね。円空仏のやさしい微笑みを見ると、本当にそう思います。
だから、誰かのため、なんてのはそんなに好きじゃない。ちゃんと具体的な相手、その人のために、っていうほうが絶対にいい。
だから金持ちの皆さん、慈善的な活動をする場合は、誰かのため、なんてふんわりした相手じゃなく、その対象を具体的にしてください。〇〇という病気で苦しんでる人、とか〇〇の災害にあった人、とか。そのほうが必ず世の中に幸せが増えますよ。
ええっと。
巨大観音だ、12万体の仏像だ、と規模の大きな話をしたあとなので言いにくいのですが。
実は僕、ちょっとずつ募金しています。キャッシュレス決済が増えましたが、現金でお釣りがでたときは、ちょっとだけどチャリン、と入れてます。でも……。
おい、日テレ。お前のところにはもう絶対に入れないからな。
なんなんだ、愛は地球を救うのかって。ふざけてんのか。
今までの募金、返せ。ドラえもん募金に入れるから。