『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【誰かのためになるならば】?
馬鹿馬鹿しい。
あなたはアタシのためだけに生きればいい。
中学時代、10万円を募金した友人がいた。中学生にとって10万円を貯めるのは大変だろうに。
理由は特に聞きもしなかったが、私はよほど不思議そうな顔をしていたんだろう。眉を下げ笑いながら、友人は勝手に喋りだした。
「親に取られるより誰かのためになるほうが良い」
「ずいぶん後ろ向きな募金理由だな」
そんな理由なら自分のために使えよと思ったのを覚えている。私は演劇部なのに表情を作るのは苦手だったので、そりゃあもう呆れた顔をしていたと思う。
「まあ、いいや、ゲーセンいこう」
詳しく聞く方が友人のためなのかもしれなかったけれど、私はいつものように流すことにした。人と深く関わりたくなかったのだ。
それでも、その距離感が好ましかったのか。私の人生において恋愛感情を向けてくれたのも好きだと告白してくれたのも、友人だけだった。
【誰かのためになるならば】
誰もがだいたい
考えたことがあるはずだ
誰かの役に立とう
けどそれは本心か?
自分を満足させるためでは?
あるいはその見返りを求めているのでは?
誰かのためになるならば
そんな気持ちが強くて損ばかりしていた
それでも満足
でももう自分の為に頑張るよ(ง •̀_•́)ง
誰かのためになるならば死んでもいい。
なんて言う人いるよね。うちは無理だね!wごめんなさいw
皆が誰かのためになるならば死んでもいいなんて言ってたらみんな死んじゃうじゃん!
自分のために生きれば一人一人が自分を大切に生きれるじゃん!
決して周りの人なんかどうでもいいって言ってるわけじゃないからね!
今回は普通に自分の考えたことを書いてみました!
私のアカウントでは、主に短編小説を書いています!でも最近はお題が難しくてあまりかけていないんですけど、最初の方を見てくれればたぶんいいお話が見れるかもしれません。
あなたの心に残るような、言葉、小説を残したい。あなたの人生を変えるきっかけになりたい。
本気でそう思っています。ぜひ小説読んでみてね!ここまで見てくれてありがとう。
ここまで読んでくれたあなたの毎日がとても素敵なものになることを願っています。
題【誰かのためになるならば】
誰かのためになるならば、私は、どんなことでもする。
ある日、みんなの頭の上に色々な選択肢が出た。
俺は、選ぶために見たその瞬間、時が止まったようだった。
俺の選択肢は、
「今日中に自分が○ぬか、大切な人が○ぬか、だった。」
もちろん、そんな簡単に選べるわけもない。
どうしよう。でも、大切な人は亡くなってほしくない。
うーん、こ、こっち!
選んだのは、自分が亡くなる方だった。
あ、選んじゃった。もう、死んじゃうんだ。
怖すぎて、悲しくて、寂しい。
だから、今日は友達2人と帰った。
俺「2人とも、これからもよろしく!」
願いも込めて言った言葉。
かいた「なんだよ、急に。なんか、照れる!」
俺「あはは!ねぇ、2人はさ、選択肢なんだった?」
すみれ「私は、朝食をパンにするか、ご飯にするか、だった!」
俺「そっか…。」
すみれ「?」
そして、横断歩道に着いた。
かいた「僕はね、なんかよくわからなかったけど、って○○!前!」
俺「なに、どうしたの?あっ!」
これが、朝の選択肢ってことか。うっ!
ドンッ!
えっ?なんで、なんで?死んでない。
ふと前を見ると、かいたが倒れてた。
なんで、自分が○ぬ選択肢選んだのに!嫌だ!
ピーポーピーポー…、
かいた「うん?ここは?」
俺「あ、えーん、起きた!起きた!もう起きないかと思った!良かったよ~!」
すみれ「病院、だよ。大丈夫?」
かいた「別に。朝選んだ、選択肢を実行しただけだし。」
すみれ「えっ、何だったの?その選択肢。」
かいた「確か、自分がどうなるかわからないけど、死ぬ人を守るか、自分に何にもならない代わりに、相手をそのままにするか。だった。」
この事だったんだ。
俺「もう、離れないから~!」
かいた「あー、はいはい。」
う~、う~え~ん!
これからも、一緒に生きていこうね。
みんな。
この幸せが一生続きますように。
# 誰かのためになるならば
「“自分のために”、誰かのためになるならば」
こう言った方が正しい気がした。
誰かのためになるならば。
誰かのためになるならば
大阪まで
行こう。
でも最近
あの事が
引っかかる。
あんなに
かわいい
ゆうの動画もあるのに。
誰かのためにやれることを
少しでも増やしたいから
時には自分勝手にもなるさ
自分勝手になったなら
周りから勘違いもされるだろう
指を差されることもある
距離を置かれることもある
その差された指先は
確かに私の心に届く
他人と離れた距離は
私を1人にしてくれる
私は私を見失う
ただ その出来事は初めてじゃない
何度も何度も乗り越えているはず
なのに私は私を見失う
ある時 誰かが私を見つける
差された指の中に一本
他人と離れた距離の途中に
そして私も私を見つけられる
ここから また巡り そして 繋がる
「誰かのためになるならば」
今日は、二人で山登りに来た。
アクシデントが起きた。
一緒に来ていた彼が、足を踏み外したのだ。
誰かのためになるになるならば。
この命はいらない。この人生、ここで終わってもいい。
そう思い、彼を助けようと一緒に私は落ちた。
踏み外したところから下に落ちて、地面についた時、ああ。良かった。彼は助かったんだな。と私は思った。
私は目を閉じた。
彼が私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
誰かのためになるならば
もし 誰かのためになるのなら 私は 命を捨てても構わない
理由なんてひとつに決まってる 失うものがないから
もう すべて失い済み 家族も友達もお金も全て
そんな 希望も光もない ものが死んで 希望があり 光のある人が 助かるなら
私はそれでいい 。 私は生きていていいのか
もう それも考えなくてすむ
誰かのために 。 そう 誰かのために
誰かのためになるならば
私は私のために生きている
それでも一人では生きられない
誰かと手を取り合って
give&takeしながら生きなければ
私の苦手なことをおぎなうことはできないのだ
だから
誰かのためになる私にできることなら
与えたいと思うから
私にも私にできないことを与えて欲しい
けれど
何かを要求すると相手が嫌な気持ちになるので
何も相手には求めないで
ただ自分のためと覚悟を決めて
自分にできることだけをやる
それが
誰かのためになるならば
に繋がればいいな
と思うのだ
【誰かのためになるならば】
誰かのためになるならば
誰かを支えられるならば
誰かを生き長らえることができるならば
私は何度も死ぬと声を上げよう
だが僕は誰かに救われたいとずっと思っている
誰かのためになるならば
『誰かのためになるならば』なんて生意気な言葉なんだろうか。そんな誰かのために何か出来るほど自分は高尚な人間じゃないよ。何なら今も誰かに助けを求めてるのは自分なのに。
もう財布の中身は底をついて無一文だよ。誰かいいバイト勧めてくれよ。でもあまり人と関わらなくて単発のバイトがいいな。
誰か私の胸の内を開かせる人はいないの?
助けてよ。
言葉が誰かのためになるならばと、
僕は積極的に嘘をつこうとするんだ。
何本かが造花でも、
それで美しいならば花束は人を癒すだろう。
そして、そう信じることで
なによりも僕が癒されるからだ。
誰かのためになるならば
他でもないお前のためならば。
この身を捧げても構わない。
願いが1つ叶うなら
誰かの助けになりたい
誰かの心の支えになりたい
誰かのためになれたら、どんなに幸せだろうか
私の生きがいはほんと大切だと感じるし
いなくならない、なくならないで欲しい
って思うから
私もそんな存在になりたい
私の幸せは周りの人の幸せ。
「誰かのためになるならば」
こんな願いを持ったきっかけは....
やっぱ鬼滅です(笑)
自分の身を犠牲にしてでも世の人々のために戦った
柱をほんと尊敬します。自分の命が危ないとき、「まだ生きたい!」とかじゃなくて「〇ぬとしてももっと役に立ってから」と思っているのが感動しました。怖がっていないで命が尽きるまで鬼に立ち向かっている
柱って本当、言葉では言い表せない程凄いと
思っています。
鬼滅で学べないことなんてないんじゃないかなあ..
#6 誰かの為になるならば
[自分を忘れよう]
自分のために、
自分に出来る最大限の努力をしよう。
安全のために、
極端な行動は避けよう。
家族のために、
ご先祖様に感謝しよう。
友人のために、
自分の悪いところを抑えるようにしよう。
社会のために、
苦しんでいる人を見捨てないようにしよう。
自然のために、
地球に感謝しよう。
誰かの為に、
自分を忘れよう。
自分はこのお題を見て、
誰かのためになるならば、何をすればいいのだろうと考えた。
自分は、こう考えた。
そもそも、誰かのために生きるとか、自分はただただ無意味なのでは、と感じた。
誰かに求められている、誰かが寄り添ってくれる、そんな気持ちを持っていた頃が
とても恋しいです。
自分に生きる意味もなくて、最近になって、好きな事をするのも疲れてきて、
もう心のケアをする事も何も出来なくなってしまいました。
逆にもう、誰かのために死ぬ。
そんな思考でしかないです。
もしかしたら、こんな気持ちも全部、
勝手な思い込みなのかもしれないし、どうせそのうち忘れてるような気持ちなんだろうな。と思っています。
でも忘れる前の今の辛い状況。
自分が耐えるのにも辛いし、感情のコントロールなんて難しいものですから、
それに巻き込まれる周りの人にも迷惑をかけているようで、とてもしんどいです。
どうすれば誰かのために生きる。
そんな思考になれるのかな。私はずっと今でも、誰かに求められたいが為に、
必死に生きています。
わたしの優しさが誰かのためになるならば
どんな辛いことも全力で頑張るし
とことんやる気も出る
でも、
やり切った後は少しだけ虚しくなる
それは結局誰かのための行動であって
自分のためでは1ミリもないから
こういう経験が自分の糧になったとも思わなくなった
疲れるだけなら、自分のためにならないなら、
そんな程度の優しさはわざわざ使わなくていい
自分がやって良かったと思える優しさだけ
大事に使っていくべきだ