『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
貴方は「誰かのためになるならば自分は…」って思ってない?
確かに誰かのために行動するのはいい事だと思う。
んでも、自分のことにも気をつけながら行動してほしい
生きてる以上にいいことなんてないからね。
貴方は自分のことを犠牲にしてでも誰かのために行動する?
誰かのためになるならば私は何だってするたとえ火の中水の中 だって乗り越えてみせる。
誰かのためになるならば
私はここに居て歌ってていいですか?
才能なんてないけど
思いつくまま
大好きな詩書いてて良いですか?
誰かを支える事なんて
出来ないかもだけど
いつか いつか誰かに
いつか いつかあなたに
届くといいな
泣きたい時に
傍にいたら
優しい気持ちになれる様に
そんなあったかい気持ちに
なれる様な
そんな素敵な詩が書けるといいな
誰かのためになりたかった
あなたのためになりたかった
「誰かのためになるならば」
"誰かのためになるならば"何でもする。
そんなこと言っても結局は自己満だろう。
誰かに認めてもらいたい。
誰かの記憶に残りたい。英雄になりたい。
ほら、結局人は何か理由付けをしなければ
行動を起こさないのだから。
人が死ぬのだって、何か理由がなければ死なない。
不審死なんて無いのだ。
分からないだけ。必ずそうなる理由がある。
何か普段と違う事が起こるのは、
普段と違う部分があるから。
行動とその理由は必ず紐付けないといけない。
だから、"誰かのためになるのなら"。
これはそう思う以前の理由があるから、
そう思うし、行動に移すのでは無いか?
寄り添い生きること
同じ目線に立ち考え寄り添うこと
同じ尺度で手を重ね合うこと
…
寛容でない経済優先社会
命の重さを軽んじた惨劇
無関心が新たな惨劇を助長しているかもしれない…。
誰かのためになるならば
誰かのためになるなら
自分を犠牲にしよう
そう思ったことなんて
ほとんどない
自分を犠牲にしてまで
その人たちのためにしなければならないこと
そんなこと滅多にない
でももしそんなことが起こるのならば
私は私を犠牲になんてするもんか
自分を大切にするって決めたもん
でも犠牲にならず
その人のためになるのなら
私はいい
なんか日本語おかしいね🤭
まぁ自分の出来ることは
相手に尽くし
無理なことは無理してやらない!
こういうこと!
誰かのためになるならば
私は『他人軸』の部分が多い
自分のことより相手の気持ちを重視するから、
だから『優しい』とよく言われる。
優しいと言われることは嬉しいけど
これは直さなきゃいけない部分だと心底思うようになってきた。
誰かのためじゃなく、
まず一番に自分の気持ちを、
自分のことを大事にしなきゃ
人生の折り返し地点を過ぎてから
やっと最近そう思うようになってきた。
お題とは真逆のことだけど…
だけど、自分の事を大事に出来ない人は
他人を大事になんて出来ない。
って思うな。
誰かの為になるのならば
自己犠牲と言うのは甚だ愚かだと思う
が、して出来ることがあるのならばそれはそれでよい
自分でできる範囲で成せば良いのだから
何も人の為にと無理をする必要はない
人は人 自分は自分
余力が余るのであれば手伝えばいい
それだけで十分
「余力」
「誰かのためになるならば」
誰かのためになるならば
私は多少の苦労も厭わない
そして愛する人の為ならば死も喜んで受け入れよう
テーマ「誰かのためになるならば」
したくないなぁなんて思うこと、めんどくさいなぁと思うこと。
毎日ある。
なんでこんなことしないといけないのか
なんであんたじゃなくて
私ばっかりやらないといけないの。
めんどくさいな
私じゃなくてもできるじゃない。
むしろたまには他の人もやるべき。
私がやらなきゃいけないルールないし。
はぁ、しかたない。
誰かのためになるならば…
褒められなくても感謝すらもされなくても。
やることにするか、そう思って
やりたくないことに取り組んだ。
まぁ、やりたくないからといってやらなくていいわけではない。
ましてや仕事なら、しかたがない。
むしろやらないとめんどうなことにもなるし、
結局自分のためかもしれないなと
そう思う暑い日の夕方。
トロッコ問題をご存知だろうか。暴走するトロッコの先に線路が二股に分かれていて、片方の先には一人、もう片方の先には五人がいる。「あなた」はトロッコの行き先を操作することができる。その時、一人を殺すか、五人を殺すか、どちらを選ぶかという問題だ。
これを先日、アイスブレイクとしてゼミで出してみた。皆、一人のほうが罪の意識が軽くなるとか、五人が犯罪者ならそちらを選ぶとか、子供と大人なら大人を選ぶとか、そのような議論に終始していた。
一人、議論に加わらない学生がいた。授業態度は真面目な彼が、サボっているとは思い難い。そう思ったので、議論の時間のあと、私は彼を指名して、考えを発表させた。
彼は簡潔に答えた。
「自分がトロッコの前に出れば六人とも助かります」
私は戦慄した。
(お題:誰かのためになるならば)
誰かのためになるならば
そう言ってあなたは
この私を置いていったね
君はいつも自分の周りにあるものを見落とす
遠くを見るのも良いが
たまには身の回りも見て欲しいものだ
今の私は
君のせいで
手に届くはずのない星を見つめている
元々星なんて好きじゃないのにさ
もし
もしも君が流れ星となった時は
私のために
私の元に落ちてきてくださいね
昔、かなり言いがかりな内容のクレーマーが職場に来襲した際、
奇跡的にもう一人全く別のクレーマーが吠えに来て、
クレーマー同士で何故か口論になり、
結果的に最初のクレーマーが後クレーマーを追い払ってくれた。
クレーマーも(結果的に)誰かのためになる時がある。
ただ会話が成立しなかったので結局通報はした。
特撮の怪獣VS怪獣もきっと、そういう事なのだろう。
誰かのためになるならば多少光線で街を火の海にしても...
いやこの解釈たぶん違うな。特撮好きに怒られそう。
誰かのためになるならば、誤った解釈について謝ります。
誰かのためになるならば
私は時間も命も惜しまず生きてきた。
本当だよ?嘘じゃない。
あの子が望むなら寝る時間、遊ぶ時間、
勉強の時間も、削って考えた。
その子が危ういなら命も未来も惜しまずに
助けにいった。我ながらに誇らしい気分だった。
でもおせっかいだって言われた。
悲しみより、愚かさに笑ってしまう自分がいた。
辛いときも幸せなときもいつでも変わらず一緒に
いてくれる喜びも誰かが自分のために何から
何まで費やしてくれた喜び。簡単なことなのに
わからないなんて。
誰かのためになるならば、その一言をおせっかい
とひっくるめるならば私は一緒という言葉を
サヨナラとひっくるめましょう。
誰かのためになるならば
といって
命を投げ出せるほど
わたしはお人好しではない
だけど
息子だけは
守ってあげられる
母でありたい
名前も顔も知らない貴方へ
貴方を救ってくれたものはありますか?
それが人であれ、物であれ、それは貴方にとって、とても大事なものになるはず。
小さなことでも良い。
歌でも、小説でも、映画でも。
部活動でも、休み時間でも、今使っている端末でも。それはきっと宝物のはず。
そして、もしかしたら、貴方の作品が誰かの救いになっているかもしれない。
貴方の独り言が、貴方の世界が誰かを救っているかも。
そう考えると何とも言えない気持ちになる。
生み出す苦悩がある人もいるかもしれない。
でも誰かのためになるならば、ほんの少し、ほんの少しだけ頑張れると私は思う。
まだこのアプリを入れて少ししか経っていないけれど、読んでくれた貴方がたの感想はお気に入りで届いています。
誰かのためになるならば、私は生み出す手を止めない。
2024/07/26 #誰かのためになるならば
喜んで、この身を捧げよう
...そんな事が言える程、私は優しい人間ではなかった
---二作目---
誰かの為、そう謳いながら
結局は、全て自分の為だった
ボクの存在を証明する為
誰かに認めてもらう為
今の居場所を守る為
全部全部、己が可愛くてやっていた事だった
「誰かの為に何かを出来る貴方が、凄く羨ましいですわ」
だから、そんなこと言わないでくれ
ボクはお前が思う程、いい人間じゃないからさ
#誰かのためになるならば
369作目
自分ひとりの命だって持て余しているのに
誰かのためになるならば…
なんて
そんなおこがましい事をどの口が言うのだ?と呆れられてしまいそうだ
自分ひとりを背負うのがしんどくて、しんどくて、何度人生という名の旅路を諦めようとしたことか…
そんな自分が誰かのために?
誰にも迷惑をかけないことを考えるのが先だろ、との叱責が聞こえてくる
そんな自分でも誰かのためになることが出来るのだろうか
例えば…
どうやって諦めかけた人生の軌道修正をしたか…とか
そうね、その軌道修正が成功したと思える時が来たら、
誰かのためになれるかもね
『誰かのためになるならば』
「誰かのためになるならば」
自己満足の世界。
「誰かのためになるならば」
そう考えるのは苦手だ。
変えようとするのは、苦手…っていうか無理。
勝手に良い方に変わるんなら変わるだろう、と思っている。
それが信頼するってことだとも思ってるし。
もちろん、助けてって言われたら手は尽くすけど、
自分でやるべきテーマを他人が肩代わりするのは、はっきりよけいなお世話だし、もう単なる悲劇でしかないと思う。
…冷たいだろうか?でも、「良かれと思ってやったんだよ?…」なんて、私だったら絶対に言われたくない。
言いたくもない。
お節介焼いてあとで後悔するって、私にとっては、想像するだに地獄でしかない。
こんなに嫌〜な氣持ちになるのは、何かが間違ってるに違いない!って思うくらい。
…もはや死活問題。
だから、そういうシチュエーションになりそうなところからは、脱兎の如く逃げ去ることにしている。
アンテナの精度は我ながら、抜群。
まぁ、可愛いお節介もあるのは知ってる。
でも私が言ってるのは、ヘビーなやつ。
たとえば母は姉妹関係で長いこと揉めてたんだけど、思えばあの姉妹の境界線はいびつだった。
「そこから入って来ないで!」と言わないから、
うやむやになってグダグダする。
それが娘の私にまで、派生する。
私が「そこから入って来ないで!」と言っても、そもそも話が通じない。わかってくれない。
「何を言ってるの?私は、良かれと思って…」みたいな事になる。
なんであんなに土足だったんだろうと、今も思う。
よけいなことはしないで、でも目は離さないで、然るべき時にはサッと手を差し伸べる。
…ハードル高いですかね?でも、
ずーっとお節介焼いてるよりは楽だと思いますよ、私は。
(あ~、たくさん文句言った!!)
(思い出し怒りw。)