『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰かのためになるならば。この言葉、よく昔は唱えてたな。誰かのために頑張ろう。誰かのためになるならこれで良かった。誰かのためにって言ってる自分偉い、かっこいいって思ってた。笑。でも、その誰かは、実際なにも思ってないし、忘れてるし。笑。だから結論、私の場合は誰かのために行う行動は意味ないというか、自己肯定感下がりまくっていた。この数年自問自答する経験(会社退職、仕事の向き合い方、友だちとの距離の取り方、自分の取説)をすることで自分のためにやることが一番大事だと思った。その過程で誰かのためになってたらいいなくらいがちょうどいいなと思った。だからこれからの人生自分のためにたくさんいろいろなことに挑戦したいと思う!!
チャレンジ6(誰かのためになるならば)
高校生の頃、街で募金箱を見かけると必ず、小銭を入れていた。誰かのためになるならばと願っていた。困っている人に手を差し伸べたい。自分は救援に行けないけれど、何か協力したい。
募金することは、見知らぬ人と自分をつなぐ。不謹慎な例えだが、自分が小説の登場人物になったかのような、甘い陶酔があった。誰かと関わる自分、心のつながり。わずかな募金額で、つながりの実感を手に入れようとしていた。この安易な発想は、歳を重ねた今もあまり変わっていない。
誰かのためになるならば、ひと肌脱ぐ気持ちはある。ただ、覚悟を決めて行動しないと、単なる親切の押しつけになりかねない。相手が必要としない手助けは、迷惑以外の何物でもない。本当に相手を思い、必要なタイミングで、さりげなく手を差しのべる人間になりたい。
ところが、理想と現実は違うようだ。
私は、あれこれと見当違いな行動をしては、周囲に迷惑がられている。思いやりのある人間になるのは、とても難しい。人間力のある人がうらやましい。
誰かのためになるならば
なんて思わない
君のため自分のため
だけに動きたい
たとえ君がそれを望まなくても
いつまでも君のために
これからの暑さこれからの猛暑これからの夏場が終わる日が見えてこない💦
夕飯後、まったりとソファーに座っていると、彼女から抱き締められた。
なにごとかと思って慌てたけれど、落ち着いて優しく抱き締め返す。
「どうしたの?」
彼女はぎゅうっと強く抱き締めながら囁いた。
「わたしの……」
それだけ?
と言うか、この『わたしの』は俺のこと?
ああ、なるほど。
何があったかは分からないけれど、全力の甘えモードに入っていることは分かった。
普段、遠慮して甘えることがない恋人が、時々全力で甘えてくるこのモードが俺はたまらなく好きだった。
本当に相手を思って自分を押し殺すタイプの彼女が、全力の甘ったれを行使する。不安が解消されていく瞬間だ。
「俺は君のものだよ」
甘えモードには、甘さを込めた言葉が効く。だから、俺も彼女に甘く囁いた。
「付き合い始めた頃に、あなたを好きな人がいたら、私はその人のために退けた」
「うん」
「でも……もう無理。今は退けない」
彼女が顔を上げて俺をじっと見つめる。目の端に光る雫が頬に流れた。
「退かれたら、俺が困っちゃう」
「ん……」
「まあ、退かれても、俺が捕まえに行くからね」
彼女に安心して欲しくて、そう言ってから再び強く抱き締めた。
後で『甘えてごめんなさい』と言われてしまう、彼女の甘ったれモード。
実のところ、俺にはただのご褒美タイムなんだよな。
おわり
お題:誰かのためになるならば
誰かのためになるなら
誰かのためになるなら私は元カレとのことは話せる
私と同じ思いをしてる人もいるかも知れないから
ミスチルのタガタメを聴きながら
俺は自分1人分の夕飯を作る
ゆでだこを一口大のぶつ切りにして
チューブのわさびと醤油
マヨネーズを合わせて
一口大に切ったアボカドと
一緒に混ぜた
ご飯を盛り
ハイボールを冷えたコップに注ぎ
さっと塩茹でした枝豆もある
俺は
平和ってのは
自分で作るもんだと思う
向こうから
やってくるのを待ってたら
俺はジジイになっちまうし
そんなに待つ気はさらさら無い
自分の平和は自分で作って
自分で守るもんだ
そんなこともできねえで
大人なんぞやってられっかよ
俺は自分を鼓舞するが
俺はいつから大人だっけかなって
年齢で言えば大人だけども
頭ん中はガキンチョ同然だ
まだまだ学びが足りんのだろう
飯が冷めるし
まずは食う
話はそれからだ
誰かのためになるならば
“自分を犠牲にしてもいい”って言いたいところだけど、、
私にも譲れないものは譲れない。
人に優しくすることはいいことだと思うけど、今の自分も頑張ってるから。
自分のこと大事にしてから、貴方を想ってあげたい。
そうしていかないと、無理よね。
祖母と暮らすようになってから
“祖母のためになるなら”と介護職に就いた。
でも、思ってたより大変な事ばかり。
言ってる事が伝わらない。
そんなの当たり前…。
だから、言葉を噛み砕いて伝えるけど
毎回上手くはいかない。
好きで認知症になった訳じゃない。
だから、イライラしたらダメ。
そう思って接して来た。
それでも、やっぱり上手く伝わらないと
イライラもしてしまうし、強く当たったりする。
喧嘩(言い合い)もしてしまう。
それでも、この仕事を続けるのは
“祖母のためになるなら”と思うから。
だから、上司に嫌味言われても続けようと思う。
(最近は辞めて他の所に行こうか思い始めてるけど。。)
誰かの為になるならば、死んだってイイっていう人って大嫌い
こんな生きてるだけの何にもならない事が、誰かのためになるならな。
誰かのためになるならば
私には才能はない。
何をしても良くて人並みだ。
人格が良いわけでもない。
これまで誰かの役に立ったことなどない。
誰かのためになるならば、命を投げ出すべきだろうか。
そんな事はしたくない。
誰かのためになる為に、何をすべきだろう。
何もしなくて良いだろうか。
誰かのために行動したいなど、それほど思っていない。
誰かのためになるならば?
やりたい人だけやれば良い。
誰かのためになるならば
自分のためになにかするのも
人のためになにかするのも
苦手だけれど
なにかしら学んで
教えてあげられる 人でありたい
楽しいことを たくさんしたい
誰かのためには 自分のために
でもいいんじゃないかな
誰かのためになるならば
優しさ
気遣い
親切
叱咤
きっと貴方のためになる
そう思って施すもの
押しつけの独りよがりにならないようにと
いつもビクビクしています
『誰かのために…』って
ないと思う。
おかしいさ!
誰かのためって?
誰かのためにと言うのは、
誰のためでもなく、
自分のために行動する時に
使うの。
ただ自分がやりたいことを
あたかも人のために…って
言ってるだけ
悪い事をする訳ではないのなら
みんなのためでもいい!
特定できない表現でもいいから
明らかにすればいいさ
この文章が
『誰かのためになるならば』
いいけど…… まー
誰かのためになるならば
私はこの命を投げ出す
私が命を投げ出すことで、、この腐りきった世界が、、、少しでもマトモになるなら
私は喜んでこの身を差し出す
さようなら、こんな私なんかを生み出した憎らしい世界
君はそう言って身を投げ出した
、、、、俺が守ってあげられなかったから
俺が、、、先に死んじゃったから、、、
俺が、、、
「俺がいなくなることで誰かが幸せに、、誰かのためにになるならば死ぬのも誇りの一つになる」
だなんて、、、言ってしまったから
君には、まだ此方に来て欲しくはなかったけど
、、、これからは俺が君のそばでちゃんと、、守るよ
お題『誰かのためになるならば』
誰かのためになるならば
自分が出来る範囲で助けたい
が、あくまで自分が困らない程度だ
助けたことを当たり前に思わず
誠心誠意感謝してくれる人に限る
見返りを強要しないが
感謝、お礼しない人は
今後も当たり前に頼むだろう
自分を消費してまで
助ける義理はない
私の存在が誰かのためになるならば、その日までしぶとく生きていくよ。
誰かのためになるのなら
ずばり、働くこと
人が、動くこと
人が、重く、力をだすこと
それが、出来れば、
誰かのためになる
人は、知らないうちに
誰かのためになっている
特別に思わなくても
生きているだけで
充分
安心していい
心臓も肝臓も腎臓すい臓も
誰かのためになるならば
どっちでもいい どっちでもいい
君がいなくなった世界に
どっちでもいい どっちでもいい
何も価値などない
ドナーソング/大柴広己