『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰かのためになるならば
優しさ
気遣い
親切
叱咤
きっと貴方のためになる
そう思って施すもの
押しつけの独りよがりにならないようにと
いつもビクビクしています
『誰かのために…』って
ないと思う。
おかしいさ!
誰かのためって?
誰かのためにと言うのは、
誰のためでもなく、
自分のために行動する時に
使うの。
ただ自分がやりたいことを
あたかも人のために…って
言ってるだけ
悪い事をする訳ではないのなら
みんなのためでもいい!
特定できない表現でもいいから
明らかにすればいいさ
この文章が
『誰かのためになるならば』
いいけど…… まー
誰かのためになるならば
私はこの命を投げ出す
私が命を投げ出すことで、、この腐りきった世界が、、、少しでもマトモになるなら
私は喜んでこの身を差し出す
さようなら、こんな私なんかを生み出した憎らしい世界
君はそう言って身を投げ出した
、、、、俺が守ってあげられなかったから
俺が、、、先に死んじゃったから、、、
俺が、、、
「俺がいなくなることで誰かが幸せに、、誰かのためにになるならば死ぬのも誇りの一つになる」
だなんて、、、言ってしまったから
君には、まだ此方に来て欲しくはなかったけど
、、、これからは俺が君のそばでちゃんと、、守るよ
お題『誰かのためになるならば』
誰かのためになるならば
自分が出来る範囲で助けたい
が、あくまで自分が困らない程度だ
助けたことを当たり前に思わず
誠心誠意感謝してくれる人に限る
見返りを強要しないが
感謝、お礼しない人は
今後も当たり前に頼むだろう
自分を消費してまで
助ける義理はない
私の存在が誰かのためになるならば、その日までしぶとく生きていくよ。
誰かのためになるのなら
ずばり、働くこと
人が、動くこと
人が、重く、力をだすこと
それが、出来れば、
誰かのためになる
人は、知らないうちに
誰かのためになっている
特別に思わなくても
生きているだけで
充分
安心していい
心臓も肝臓も腎臓すい臓も
誰かのためになるならば
どっちでもいい どっちでもいい
君がいなくなった世界に
どっちでもいい どっちでもいい
何も価値などない
ドナーソング/大柴広己
心ってどこにあるんだろう
いちどは考えるけどどうでも良くなってふとした瞬間考える
思考するのは脳みそだし
心なんて存在しないだろうと思う
でももし
私の脳みそが使い物にならないガラクタになったとして
それでもまだ何かを思うのなら
それは心なのかもしれないと考える
というかそもそも思うと考えるって何が違うんだろう
可哀想とか悲しいとか?
可哀想って考えるに入るのかな
人の心は曖昧だけど
思うと考えるすら曖昧じゃしかたないよな、なんて
てかなんで心臓の位置に心があるって人が多いの?
そういうことじゃないかもしれないけど
絵なんかになった時
みんなそう書くでしょ?
心が悲しんでいますってなに?
ずぅーっとむじゅんしてる
誰かのためになるならば
友達が辛そうで
なんとかしようと
話相手になった
誰かのためになるならば
なんて
あなたのために
わたしは寄り添っていきたい
なな🐶
2024年7月26日1814
誰かのためになるならば
あなたのためにやったんだと
そんなふうに口で言ってしまう人は嫌いだ
行動で示され1人だけ優遇されても迷惑だ
だから自分でも人に何かをあげるときは
自分自身のためなんだと言い聞かせるように
そうやって過ごしてきた
だけど少し疲れた
何もかもめんどうになる
突然全てを終わらせたくなる
そんなとき思い出すんだ
私の体はすごい数の細菌たちがのっている
ただの乗り物なんだと
生きているのに意志なんか必要ない
─── 誰かのためになるならば ───
美しく綺麗な髪も
遠くまで見える目も
色んな音が聴こえる耳も
透き通った声も
なんでも掴める手を
どこまでも歩ける足を
誰かのためになるならば
僕は僕の全てを差し出すだろう
誰かのためにと
自分を犠牲にするのはもう止めた
誰かの幸せも自分の幸せも手に入れる
だって私は欲張りだから
誰かのためになるならば
誰かのためになるならば、僕は全てを投げ出せる。そんな人がいるのだろうか。人間、、、というか生物は自分しか見えない。だから、他人の為に何かをするというのは、自分の後になってしまう。
「なってしまう」などと書いたが、別にそれが悪いこととは思わない。自分のことを先に。他人は後回し。そりゃそうだ。自分の仕事をできない者に他人を助ける資格がないとまで思う。だから、逆にやるべきことをして誰かのために、何かをしている人は、本当に凄いと思う。僕は自分のことで精一杯、誰かのためになんて、考えられない。
誰かのために、と考えられる人は余裕のある人。僕もいつか、余裕のある大人になりたい。
2024 7月26(金)誰かのためになるならば
誰かのためになりたい、誰かのためになっていないと自分の存在意義がわからなくなる。人に尽くすのは良いことだと思う。他人に対して肯定的にもなれるし、寛容的にもなれる。じゃあ、なぜ自分にはそうなれない? なぜ自分は許せない? 他から意識されないと自分を認識できない、でも他を見ると自分に劣等感が湧く。自分で自分を認識することがもっとできれば、と思う日常、人生。
誰かのためになるならば
私には何かをできるほどの力なんてない。
ただの人間だ。
でも、それでも私の生きる毎日が
私のひと頑張り、一つの行動が
誰かのためになることを願ってる。
特別な何かなんてなにもない。
でも、私にできることならば手伝いたい。
いつも、助けられているから。
誰かのためになるならば、私は何を犠牲にしても
厭わないことを知っている。
分かっているだろ?
お前や小さな命も使うことを。
誰かのためにとは言ったが誰は
貴方しか居ないのだから。
貴方自身に身を捧げるように
何でも尽くして上げたいんだ。
だから、その場から逃げないでよ……
"貴女は僕を置いて逝ってしまった。"
あの場から居なくならなければ安全なのに…。
悔しいよ…。僕は寂しいのに…。
新しい鳥を見付けに行かなければ。
誰かのためにも終わらせなければ。
風が今日も寒く感じさせる。
"大罪人よ、自由であれ。"
懐かしい声が聞こえた。
え?
なんで君が…。
"貴方を死ぬまで見ています。"
罪と愛情は紙一重である。
知らぬが仏、見て見ぬふりをして過ごしてね♪
誰かのためになるならば
父も兄も身勝手だった。
そんなふたりに可愛がられて我儘な妹。
共働きで常になにか作業をしている母。
「お風呂洗って」「洗濯物取り込んで」
細かい家事なら誰でもできた。誰もやらなかったけど。
だから私は頑張った。
それが母の為ならば、家族がまわる為ならば。
そのうち癖になっていったこの行動は私を蝕んだ。
主体性なんて皆無に等しかった。
どんなに今が辛くても、人のためになるならと行動した。
自分の話なんてできなくなった。
──きっと大丈夫。全部こなしてみせる。
それがみんなの望んだことだから。私に求めることだから。
それがきっと、みんなと私を繋げてくれる。
「貴方が選ばれました。おめでとうございます」
世界中の健康な人間から一人、臓器提供しなければいけない者がランダムに選ばれる。
「何で俺が!」
「どうして私なの……」
「早く帰らせてよ!」
ここに連れてこられた者は皆、思い思いに泣き叫んだり絶望したり様々だ。
「誰かの為になるならいいよ」
中には淡々と受け入れる人間もいる。これが運命だと言うように、なんの抵抗もなく。
「誰かの為、などと建前ではないのですか?」
ふと疑問に思った審査官は、そう聞き返した。光を宿していない瞳が審査官をじっと見つめる。
「私はちゃんと思ってるよ。偽善がほとんどだろうけどね」
淡々と、淡々と。長い黒髪を揺らして、少女は首吊り台に手をかけた。
『誰かのためになるならば』
誰かのためになるならば
自分は消えたっていい。
むしろ消えたほうが
誰かのためになるんだろうな。
「誰かのためになるならば」
誰かのためになるなら私は苦労も惜しまない
誰かのためになるなら何があろうとも笑顔でやる
誰かのためになるなら最後まで付き合う
誰かのためになるなら…
誰かのためになるなら私は…自分を犠牲にする
誰かのためになるなら…我慢する
それで救われるのなら…やらなければならない
でも
誰かのために動いて助けて苦労して辛くなって…
相手が救われたから自分も救われる…?そんなばかみたいなハッピーエンドなんてないよ。
誰かのためになるなら…いや。
誰かのために動いたあとは、私はどうなるの?
苦労して寄り添った。自分も辛くなった。それで相手が救われた。じゃあ、私は…。自分で判断したからとか、自分も辛くなる覚悟をしなかったからとか、自己責任とか。人間は完璧じゃない。覚悟を決めても揺らいでしまうときがある。
優しい人ほど損をする世界。優しい人ほど死にたいと感じるのかもしれない。そして死んで優しい人がいなくなる悪循環。
だから私は「優しい」人にはならないしなれない。
私は私のエゴで動く。私のエゴで寄り添ったり助けたりする。それで自身が病んで辛くなっても…私は私のエゴで動いたから「仕方ない」って思うから。
終始何いってんだろう。ただ浮かんだ言葉を書いただけの詩を最後まで見てくれてありがとう