『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰かのためになるならば……。
残念ながら、そんなことは思ったことはない。
誰かのために……なんて、考える余裕なんてなかった。
親の見栄張りの道具でしかなかった人生。挙げ句の果てに、あの悪女に人生を台無しにされた。
人のおもいを躊躇いもなく踏みにじった売女……人でなしの今井裕子。犯罪者の娘。
誰かのためになるならば……。
その誰か……は、もう現れることはないだろう。
誰かのためになるのなら
誰かのためになるのなら心臓を移植することなんか全然できる、
でも今は彼女とのすごす時間があるからできないけど
別れててその後も彼女とか好きな人ができなかったら
心臓移植する気はある
RS
『さあ、やれ!。この世界が救われるのなら!。』刃物を首筋に当てられながら云う。
すると刃物は引っ込み、手首に結ばれていた縄は、ほどけた。
流石にこうなるとまでは、想像出来なかった。其の為、手を見つめて五分くらい見つめてしました。
『・・・・!。そうだ、速く此処から逃げなければ!。』其所からオレは急いで離れた。
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にしても此処は本当に暗い。
人もいない。
何もない。
そう、何もない。
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『英雄の被害妄想』
【誰かのためになるならば】
「誰かのためになるならば死ねる」と
彼は言った。
「俺のためには?」
そう聞いた
「君のためなら当然生きるさ」
軽く笑いながら彼はそう答えた
あぁ、やっぱり好きだなぁ
題.誰かのためになるならば
今、生きている間は自分のために。
そのあとは、臓器移植を待つ「誰か」のために。
誰かのためになるならば。
誰かのためになるならば
大阪行っても
大丈夫。
誰かのためになるならば
笑顔でいよう。
誰かのためになるならば
2人を眺めていよう。
誰かのためになるならば。
少年は生け贄に、なった。
それは自分で考えたというには若かった。
だけど、少年の目は輝いていた。
その少年の母親は泣きながら褒めていた。
息子の死が無駄だと考えてしまわないために。
その話をある学校の先生が旅先で聞いた。
その先生は母親のために生きるべきだったと言っていた。
ただ、正解のようにそれっぽく。
誰かのためになるならば、ね。
それはエゴ?
心の底から?
誰かのために何かできるなら実際行動している。
だけどね、
状況を変えてしまった今、
何ができるというの?
何かをどうした所で、
あー良かったね。
あの時はこうだったね。
って思い返す事はできる。
だけどね。
それで終わってしまうんだよ。
その先は今現在の各々の私生活、環境で、変わってしまうものなの。
少しでもこうしたら良くなるかも。
だから行動してみよう。
凄く良い事だと思うし、相手もそれで何か変わることができるのであれば、良い効果になると思う。
だけど、
私はそこまでの行動はしたくない。
何故?
過去に失敗した経験があるから。
それを改善したところであの頃は〜
に、戻らないから。
そこまで傷ついたし、何故か知らないけど全体に広まってるし、それでまた傷ついたし、
今でも記憶に残ってる。
いや、一生残り続けると思う。と言うか、
一生残るようにさせたんでしょ?
傷を大きくさせて。
雨?晴れ?
そんなの知ったこっちゃない。
雨降らせたかったら、私神でもなんでもないから、
他の人に頼んだら?
それよりも、この傷、
何とかしてくれるから広めさせたんでしょ?
早く修復させてよね。
止血処置どころの話じゃないからね。
誰かの為になるならば、善悪などは関係無い。
そんな考えが、私は好きだ。
偽善なんて言葉で区切られる、慈善行為よりも。
まあ、考えてみても、何が当てはまるのか、
それは一切が分からないけれど。
ただ、そんな内容も不明なことを、
理論で否定する奴より、
無論で肯定する奴が好きなんだ。
誰がお腹を空かしていてもパンを与える、
そんなヒーローように。
相手が悪人でも、無価値でも、愚かでも、
例え、そのことを自分が知っていても、
一度は先入観無しに助ける。
そんなヒーローが好きなんだ。
【お題:誰かのためになるならば】
┌────┐
| 一言 |
└────┘
まあ、その結果で不利益を被ったら、
私は許せませんけどね。
こんな私が誰かのためになるだろうか。
すれ違うだけで軽蔑した眼を向けられる。
机には百合が飾られている。
皆、いつも笑っている。
お前も、嗤っている。
だから私も嗤う。
お前を嗤う。
赤く赤く染まったお前を。
次はオマエだ。
誰かのためになるならば
捧げましょうぞ、この御霊
なんて、稽えてたのはずーと昔
誰かのためになるだと
不幸になる人がいる
だから、
みんなのためになるならば
そのなかに、あなたがいることを
忘れないで
ぶらぶらと家の近所を歩く。鼻歌でも歌いながら。
ふーんふーんふふふんふん。
鼻歌は最近聴いている曲に変わる。曲の流行り廃りって早い。あれよあれよと毎年新しいアーティストが話題になる。好きになったアーティストが音楽番組に呼ばれ、全力で演奏する姿は見ていて気持ちがいい。カメラワークも天才的でバッチリ。あとは、家で歌手と一緒に歌う。それが、音楽番組の醍醐味じゃないだろかと、1人歩きながら考える。
誰かのためになるならば、わたしは歌を歌う。テレビに出て歌うなんて大それたことだと思うからそんなことは望んでいない。きっと簡単なことじゃないし。
家路に向かう曲がり角に着く。
結局、「誰か」って自分も含まれてていいと思う。私はわたしのために歌う。
「この世界中にいる、全ての少年少女たちに告げる。君が世界を救えるとするならば、何を望む?」
白い服を着た男は、星々を摘むように、子供たちを見渡す。
「この世界にいる、食べるご飯もない、あらゆる貧困と、飢餓に苛まれている子供たちに、永遠の食に困らないような、救済を!」
「よろしいよろしい。君は富める国に生まれた少女だね。でも、君は知っている。人を救うことの、幸せを。もし誰かのためになるならば、自身をも厭わない、その献身な心は、きっと誰かを救うだろう!」
少女はそこで、栞を挟み、本を閉じた。
チリチリと星屑が、まぶたの裏に焼き付いている。
男は、きっと本当の善人で、代償なんか、求めない。
そんな、話を望んでいる。
絶望に陥る君に、救いの手を。
決して裏切られることのない、救済を。
優しさで包まれるような、幸せを。
でも、なんで人は、物語の内に不幸を望むんだろう。
大抵の主人公は、不幸の中にある。
そして、最後には幸せを掴みとる。
でも、それって、なんだか可哀想。
不幸って、いっぱい転がっているものなのかな。
それじゃあ、この物語は、幸せに終わって欲しい。
そんなことを考えながら、少女は枕元に、本を置く。
誰かのためになるならば
誰かのためになるならば
メッチャクチャ幸せになろう
誰かのためになるならば
目の前の無駄な我慢を止めよう
わたしが私らしく
本当に好きなことを
本当に楽しいことだけを
やってみよう
その小さな波紋が広がっていく
世界中に
募金箱にお釣り134円をそっと入れた。
「こんなに?!ありがとうございます!!」
募金活動をしている女性の方が、目をぱあっと見開いて僕にそう伝えた。
僕は罪悪感に包まれてしまった。
ごめんなさい。
それだけを思った。
みんなきっと人のために募金をするか、何となくするかのどちらかだろう。でも僕は違った。汚かった。
僕より酷い環境の人がいることに喜びを感じ、それの感謝料として入れた。しかも入れれば褒めてもらえる。
そんな汚い気持ちで募金箱に小銭を入れた。
誰かのためになるのならいいのではないか?
そう思った時期もあった。
でも、でも。
これは誰かのためではなかった。
紛れもなく、僕のために、
自分のために募金をしたのだ。
女性の純粋な瞳からじんわりと伝わる輝きは僕のためにあるのに。
ごめんなさい。
お題 「誰かのためになるのならば」
誰かのためになるのならば
僕は何かを犠牲にするだろう
いや、自分を犠牲にするかもしれない
友達も犠牲にする可能性もある
そういった思いは、
自分の中に確かにあって、時々顔を出すけれど。
自分が生きることに精一杯な時も、多いのだ。
#誰かのためになるならば
お題:誰かのためになるならば
私はずっと夢なんてなくていいと思っていた
「私は辛い思いをしている人を救いたい」
この一言で私は初めて大きな夢ができた
私は普通の人よりも人見知りでコミュ障で
直接話すことが苦手
そんな人が辛い思いをしている人の拠り所になるなんて
無理だと思ってた
ても私は思った
直接話をするのではなく
『文章』で誰かを救えるのではないかと
私も1度ある小説に救われた事がある
「私もなりたい。人を救える『小説家』に」
名前も顔も知らない
誰かに身を捧げることは出来ないかもしれない。
けれど、
誰かのために愛想笑いをして
我慢をして抑えて、嘘をつくことくらいなら
私にだってできる。
誰かのために、なるんだったらね
『誰かのためになるならば』
「誰かのためになるならば」
「誰か」のためには動けないけど、
「親友」のためならばいくらでも動けるよ。
あとは、「自分」のためにだったらね。
それらのためなら、優等生だって演じてあげる。
良い子になってあげる。優しくしてあげる。
甘やかしてあげる。
自分ってなんだろうね。