『誇らしさ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『誇らしさ』
私は自分を誇れない
自慢するような事もしてないし
褒められる事もしてこなかった
人生で誇らしさを感じた事はない
誇らしさはないけれど毎日なんとなく楽しい
それで充分だと思ってる
私が私であること
なんて言ってみたかったな。
「誇らしさ」
何処にもなくて
何処を探しても見つからなくて
仮にあったとしても、とても他人には言えない
否定し続けて、上と比べ下ばかり見て
見えないふり、見てないふり
これ以上、傷つきたくないから
否定されるのが怖いから
傷つけるのが怖いから
隠しておけば、閉まっておけば、傷つく事も否定されることもない。
ただ薄れていく、失っていく、錆びていく。
誰の目にも触れず、評価もされない。
どれだけ価値があっても、その価値に気が付かなければ
意味が無い。判断出来ないそれはゴミと同じになり
やがて捨てられる。
自らの手で自分の誇れるものを沢山、捨てているのかもしれない
誇らしさというものは、ある種自己満足とも言える。
誰もが羨む才能も、きっと、羨望と自慢が交差する自己満足の世界に存在する。
私は彼女に、それに似たような感情を持ちながら、自身と重ねる部分があった。
私だってあの子のように褒められたくて、私だってあの子のように好かれたかった。しかしながら、私はいつだって劣等生で、下から数えた方が随分早かった。だから、確実にあの子よりも能無しであの子のようなものは何も無かった。
しかし、その子の成果すら覆して私が褒められたのは、これだった。
文章。
卒業文集の、なんてことの無い四百字が、あの子よりも勝っているというのだ。今まで私が貼られてきた「劣等生」のレッテルは、その、たった一枚の原稿用紙で値札が貼り変わった。
彼女はそんな私を見て、さすがだね、と言った。
今まで思っていたのなら、もっと早く伝えてくれれば良かったじゃないか。何を、今更。
だけど、地に落ちた私という概念は、その言葉に興奮していた。私にも才能がある、自慢出来ることがある。凄いだろう、ほら、ほらもっと、私を見ろ。
他者からの羨望の眼差しと、自己満足の世界が繋がる。他意識と自意識が、交差する。
上手い文章が書ける、この「私」が、何よりも、どんなものよりも誇らしいのだ。
彼女か経験した日々
人よりも辛かった人生
それを越えた笑顔をみると
なんだか誇らしく思える
本当に苦労を知っている人ほど
笑っていることが多い
私はそんな人から沢山の事を学んだの
100回否定されても
自己否定の後遺症に悩まされても
命を繋いで
正しいものと疑わしいものを間違えながら
選り分けて
歪められた自己認知のメガネをかけながらも
ぶつかっては怪我を作りながら
前へ前へ進んできた
そのなかで、もともと持っていた資質
当時の大人から危険視され
潰されかけた資質が
再び芽吹いたこと
これが私の誇り
年齢を言い訳にしないで、新しい事に興味をもつこと。
達成感というものは誇らしいということなのか。
頑張って頑張って結果にたどり着いて、スカーっと言う気持ちになる。そして褒められる。これが小さな頃の誇らしさだった。どれだけ下手でも誰かが見ていてくれて、褒めてくれる。誇らしかった。
今はどうだろう。他人はいつも他人事で。悩みを真剣に打ち明けても,自分がこの状態ではないからいつも軽く流す。でもいつも私たちは誇らしさを追い求めている。どんな些細なことでも気を配り、真っ直ぐに道を進んでいる。
もしもあれ以来の褒め言葉をもらったのならば,今の私はどんな言葉でも誇らしく感じるだろう。
きっと私は今凄く疲れている。誇らしいと感じるのは人から愛をもらった時なのではないかなどと考えてしまう。 愛。この世で一番理解不能な物質であり気体である。これを自ら掴むなんて…
誇らしさ。
自分が
ノーと言えるのは
誇らしさだな。
皆んな
「イエス」って
言い過ぎなのかも?
「美しさっていうのはね自分にしか出せない魅力の事なんだ。」
綺麗なフィリップは僕に絵の具をくれた。
「博識な人とは自分が興味のある事をどんどん調べ、突き進む人のこと。」
賢いアレックスは僕に本をくれた。
「勇敢な人ほど本当の自分を知ってるものよ。どこまでやれるか、自分にできるのか」
格好いいウェンディは僕に帽子をくれた。
「愛は誰にあげても喜ばれるもの。あなただけが持ってる愛情を誰かにあげてね。」
優しいアリスは僕の頬にキスをした。
これは僕が僕であると証明する一夏の思い出物語。
〜2003年3月3日第3日曜日、全国地上波放映〜
そんなものない、と言えたら楽になるだろうか
自分のプライドに誇らしさを持っていなかったら、
自分の言葉に相手は傷つかなくなるのだろうか
自分のプライドに誇らしさを持っていなかったら、
後からずっと相手の傷付いた顔がフラッシュバックする事は無くなるのだろうか
自分のプライドに誇らしさを持っていなかったら、
リーダーみたいに先頭に立つ、近所のおばさんみたいに同い年にガミガミ言うことはなかったのだろうか
誇らしさを少なくしたらいいのかどうかもまだ分かってない、どうしようか
#1 誇らしさ
誇らしいことなんて何もない
毎日生きていること、笑うこと、泣くこと
それだけでも立派なことだ。
目標に向かって進み続けること
誇らしさというのは、自分が自分自身で守るべきものだと思う。何かに失敗してしまったとき、自分の誇りがまるで全て失われたような気になってしまうこともあるだろう。でも、それは絶対に違う。間違った行動をしてしまったとき、怒られてそこで反省をする。次はどうしようかと考える。それが積み重なることによってできるのが、きっと、誇り。だから、誇りを高く持ち続けなくてもいい。成功の有無よりも、その後に自分がどのような選択をするのかそれが最も大切なことだ。私は、失敗するだけで終わらない、そこから少しでも掴み取れる人でいたい。
憧れの ユニフォーム着て 夏の空
誇らしさ
分からない。
まだ私にはないものだから。いつかきっと見つけたい
誇らしさ
その言葉さえ、感覚さえ忘れていた
愕然とする いつからだろう
誇らしさの欠片もない自分
いつかまた
変われるだろうか
『誇らしさ』
誇らしさ
そんなところは
わたしにあるだろうか
泣いてばっかり
止まってばかり
でも
泣いてばっかりでは
止まってばかりでは
なにも新しいことは
始まらないよね
だから
前を向いて歩く
いつか
自分のことを
「誇らしく思う」
そう言える日が
来ることを願って
人生まだまだ道半ば。
それでも振り返ってみれば、
どうやらずいぶん長い道を歩いて来たみたい。
飛び上がるほど嬉しいこともあった、
震えるほど悔しいこともあった、
挫折と諦めを知り、自らの過ちによって
失意のどん底に落ちたこともある。
昔、とっても羨ましく見えたあの人なら、
もっとスマートに生きられたのかな?
…でもね、
『この人生を乗りこなせるのは、
やっぱり自分しかいない!』
と、思ったり…
これって誇らしさ?
▼誇らしさ
立派とは縁遠いところで
ただここに立って 天を見ている
誇れるようななにかを
成したこともない
自分の足で立っている感覚も
自分で人生を切り開く感覚も
わたしは持たない
しかし人には
自らにも自覚し得ない力が
確実に備わっていて
ある日を境にそれまでの日々が
予測なしに覆ることがある
自分を見つめ 天を見つめ
自分を取りまく周りの命を
もっとも第一に見つめること
それこそは
自分を生かすことだと
わたしは一途に信ずる
#誇らしさ