『私の日記帳』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【私の日記帳】
高校の頃に日記を書いていた
せつない片想いの日々、大好きな人との初デート、失恋の日、親友と言い争ったこと、読んだ本の短い感想文を綴っていた
両親への反発、教師への不信感、部活の先輩への敬慕
試験勉強の辛さ、模擬試験の結果の酷さ、成績が落ちていく諦め、
将来の目標が遠のく焦り、大学への儚い夢も文字に残した
季節のうつろいや山々の紅葉、夏の眩しい海のことも書いてたね
今なら、この『書いて』のサイトの中で
溢れる想いを毎日毎日たくさん綴ったでしょう
あの日記での不安定な日々が
あったから、今の自分がいる
あの日記の頃に戻っても、私は同じように日記帳に鉛筆で綴ると思う
青春の真ん中だったね
あれから、日記を書くことはなかった
慌ただしく日々が過ぎてしまった
思い出すと、確かに胸がキュンとするよ、私の日記帳に
前に好きだった先生を見た
すごい好きだったな いつも車確認しちゃうくらい
でももう私には昔の恋愛になっちゃった
書きたいことを書くことで満足出来る空間。
共感は得られないので、見せるつもりはさらさらない。
それが私の日記帳。
私の日記帳
あなたたちの成長を綴った
わたしだけの日記帳
大きくなったね
Record
辿る世界に
縅した欠片が
哀しく彩り
冷たき瞳で視つめ流した…
孤の足跡へ
堕ちる破片は
儚くて散り
凍てる瞳に魅つめ凪がれ…
震える手が
終われやしない
物語りへ 縁取る…
独り刻まれ
脳裏は廻り
失いと対価
知識へ産み
夢の鮮やか
概念の定め
震える手で
終わる事がない
物語りを 縁取り…
「此の… 此れからの…」
読み返した事すらなかった
ただ淡々と、なんとなく
始めただけだったから
きっかけも忘れてしまって
ここにも書かれていない
でも、読んでみると
意外に捨てたもんじゃない
今、自分はかけがえのない
自分を辿っている
わたしは、ある人に恋をした。
上川宇多。わたしのクラスメイト。
身長が高くて、いつも私を見下ろすんだ。
でも、みんなの人気者…
だから、毎日のように告白されている。
それに比べてこのわたし、井田美崎は地味である。
でも、私達は席が隣だ。運だけはいい。
「ねえ美崎ちゃん」
びくりと肩が動く。おそるおそる隣を見ると、
にこにこした宇多くんが、わたしをじーっと見ている。
「な、なに?」
「えー、美崎ちゃんが可愛いなぁって」
ドキッと心が跳ねる。顔がどんどん赤くなって、
まるでタコのようだ。
これが、わたしと宇多くんの恋の始まりだった。
○月☓日。続く
私は毎日写真を撮る
理由はその日の出来事を思い出すためにしている
人、空、植物どんな写真でもいいから
とりあえず一枚は撮る
写真を見返していると
もうこの日々は返ってこないんだなと実感する
寂しく感じるけれど
私成長しているな…とも思う時があったりする
私の日記帳は
あなたのことで
いっぱい
お題「私の日記帳」
1日の出来事を振り返って言葉に残す。
何度かやってみたけれど、結局長続きはしなかった。
毎日同じことの繰り返し、些細なことを書き残すにも、些細なことすらないように感じるから
言葉に残すって難しいね
【私の日記帳】
私のココロの日記帳に
綴られた出来事を
見返したら
ほら
色んなことがあったけれど
沢山成長したのね。
あなたが見ている世界に
私は、生きてる?
読書感想文を書きました。
わたしは『十四歳の君へどう考えどう生きるか』を読んで幸せとはどのようなことなのかを考えさせられたと思います。
まずわたしが思ったのは幸せはお金で買えないということは本当かということでした。この本を読むまでのわたしは幸せはお金で買うことができる、そう信じていました。お母さんやお父さんはいつもお金を持っていることだけが幸せではないと言います。でもわたしはずっと旅行に行くことだって幸せだし、ものを手に入れることも幸せなことだと思っていました。でもその幸せは行為に大してではなく、経験について感じるのではないかと思いました。現地の人と話した経験や、ものを手に入れてそれをきっかけに話が弾んだ経験
からわたしはその行為に幸せを感じるのだと気がつきました。
また、この本には自分がなりたいものになることが幸せのひとつだと書いてありました。わたしはどうせそんなことはないと思っていましたが、大好きな看護師さんによると大変だけれど夢を叶えることが出来て今は幸せらしいです。その日看護師さんは
『その努力の過程は辛いこともあったし、人生にも辛いことは沢山あるけれど今は幸せだよ。誰かに言われたからという理由ではなくて自分で決めた人生だから。だからみづきちゃんも自分の決めた人生を歩んで欲しい。』と言っていました。その言葉を聞いてわたしは幸せとはかたちのない、自分にしか分からないものなのだと思いました。また、お金では買うことの出来ないものなのだと思いました。まだわたしには幸せになる方法はよく分からないけれど努力がかたちになることは人生の継続的な幸せなのではないか。そう感じ
ることが出来ました。
そしてもうひとつ。この本には逃げることは辛いことであると書いてありました。しかしわたしは逃げることも大切だと思っています。それも前述の看護師さんに言われた言葉がきっかけです。でもそれは自分を救ってくれた言葉で、いつまでも大切にしたい言葉です。
『頑張ろう頑張ろうってずっとやってると疲れちゃうから時には休んでいいんだよ。わたしなんて学校言ってなかったけれどこうやって看護師になれてる。今は人生において本当にちょっとの時間だからさぼってもいいんだよ。』
さぼっていいかどうかは置いておいてわたしは逃げることは自分の精神衛生上大切だと思っています。頑張りすぎるといつかぷちっと張り詰めた糸が切れてしまってもう頑張れなくなってしまうから辛いなら逃げることだって大切だと思います。だからわたしは逃げる
ことは辛いことだという考えにはなれませんでした。看護師さんが言ってくれたように適度に頑張って適度に手を抜いて、自分がゆっくり幸せに生きて行けたらいいなと思いました。
私の日記帳。私は日記をつけることができない。それは、毎日同じ行動をするということができないからだ。そして、誰にも言えない理由がもう一つ。
何を書いてもいいか、何を書いてはいけないかそれがわからないのだ。日記なんてものを書いたら、形に残ってしまう。家族や友人に日記をみられたら?私の中の歪さを知られてしまったら?
私は自分の倫理観に自信がない。かわいそうだとは思うが、虫を蘇生しようとはしないし、たとえ人間でも死体にシアター越しでない同情をかけられる自信がない。美学なきものに価値はないし、知人も他人も平等にただ人間であると言う以上の感情を持てない。そのままの私をぶちまけたなら、そんな意味のわからない黒い渦のような本質が形となって残るのだ。コリ固めて常識を演じている毎日が、日記上で齟齬を起こしてしまっていたらどうする?ノリという免罪符で流せる普段の違和感を形として視認した時、相手はどうする?そして私はみてしまった相手をどうする?
だから、私は日記をつけない。独白という形の自分語りは少しリスクが高すぎる。気のせいや冗談で受け流せるままでいられたならば、あなたを守れるだろうから。
つらいことも嬉しかったことも、
それを越す出来事があればぜんぶ忘れてしまう。
だから始めた日記帳も、
全く意味の無いものだって気付いた。
忘れてしまったら最後、
もうその日と同じ気持ちにはなれないんだ。
あの日から真っ白のまま
私の日記帳
私の日記帳
私について
何も
書き残したくない
痕跡、跡形もなく
消えたい
きれい
さっぱり
湖の
朝靄、晴れるように
恋って自分勝手。
勝手に好きになって
勝手に君を思って
勝手に嫉妬して
勝手に喜んで
勝手に泣いて
勝手に失恋する。
本当に馬鹿みたい
…そういう私も馬鹿みたい…
大切な人を忘れていけないと。離したらダメな人
そんな人が貴方の目の前にいるのなら
絶対に大切にしないといけない
失ったらきっと後悔するから
日記は基本続かない
続かないはずなのに
1日の終わり
君とどんなことがあったか
何を話したか
喜怒哀楽が表情豊かに顔を出して
不思議と毎日頭の中に記されていく
定期的にやめようとする
タイミングが良いんだか悪いんだか
必ずと言って良いほど
そういう時に限って
君からのコール
本当に腹立たしい
呼ばないでくれ
ズルズルと
私の日記帳は
今日もまた、明日もきっと
まだ、記されていきそうだ