『私の日記帳』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
読み返した事すらなかった
ただ淡々と、なんとなく
始めただけだったから
きっかけも忘れてしまって
ここにも書かれていない
でも、読んでみると
意外に捨てたもんじゃない
今、自分はかけがえのない
自分を辿っている
わたしは、ある人に恋をした。
上川宇多。わたしのクラスメイト。
身長が高くて、いつも私を見下ろすんだ。
でも、みんなの人気者…
だから、毎日のように告白されている。
それに比べてこのわたし、井田美崎は地味である。
でも、私達は席が隣だ。運だけはいい。
「ねえ美崎ちゃん」
びくりと肩が動く。おそるおそる隣を見ると、
にこにこした宇多くんが、わたしをじーっと見ている。
「な、なに?」
「えー、美崎ちゃんが可愛いなぁって」
ドキッと心が跳ねる。顔がどんどん赤くなって、
まるでタコのようだ。
これが、わたしと宇多くんの恋の始まりだった。
○月☓日。続く
私は毎日写真を撮る
理由はその日の出来事を思い出すためにしている
人、空、植物どんな写真でもいいから
とりあえず一枚は撮る
写真を見返していると
もうこの日々は返ってこないんだなと実感する
寂しく感じるけれど
私成長しているな…とも思う時があったりする
私の日記帳は
あなたのことで
いっぱい
お題「私の日記帳」
1日の出来事を振り返って言葉に残す。
何度かやってみたけれど、結局長続きはしなかった。
毎日同じことの繰り返し、些細なことを書き残すにも、些細なことすらないように感じるから
言葉に残すって難しいね
【私の日記帳】
私のココロの日記帳に
綴られた出来事を
見返したら
ほら
色んなことがあったけれど
沢山成長したのね。
あなたが見ている世界に
私は、生きてる?
読書感想文を書きました。
わたしは『十四歳の君へどう考えどう生きるか』を読んで幸せとはどのようなことなのかを考えさせられたと思います。
まずわたしが思ったのは幸せはお金で買えないということは本当かということでした。この本を読むまでのわたしは幸せはお金で買うことができる、そう信じていました。お母さんやお父さんはいつもお金を持っていることだけが幸せではないと言います。でもわたしはずっと旅行に行くことだって幸せだし、ものを手に入れることも幸せなことだと思っていました。でもその幸せは行為に大してではなく、経験について感じるのではないかと思いました。現地の人と話した経験や、ものを手に入れてそれをきっかけに話が弾んだ経験
からわたしはその行為に幸せを感じるのだと気がつきました。
また、この本には自分がなりたいものになることが幸せのひとつだと書いてありました。わたしはどうせそんなことはないと思っていましたが、大好きな看護師さんによると大変だけれど夢を叶えることが出来て今は幸せらしいです。その日看護師さんは
『その努力の過程は辛いこともあったし、人生にも辛いことは沢山あるけれど今は幸せだよ。誰かに言われたからという理由ではなくて自分で決めた人生だから。だからみづきちゃんも自分の決めた人生を歩んで欲しい。』と言っていました。その言葉を聞いてわたしは幸せとはかたちのない、自分にしか分からないものなのだと思いました。また、お金では買うことの出来ないものなのだと思いました。まだわたしには幸せになる方法はよく分からないけれど努力がかたちになることは人生の継続的な幸せなのではないか。そう感じ
ることが出来ました。
そしてもうひとつ。この本には逃げることは辛いことであると書いてありました。しかしわたしは逃げることも大切だと思っています。それも前述の看護師さんに言われた言葉がきっかけです。でもそれは自分を救ってくれた言葉で、いつまでも大切にしたい言葉です。
『頑張ろう頑張ろうってずっとやってると疲れちゃうから時には休んでいいんだよ。わたしなんて学校言ってなかったけれどこうやって看護師になれてる。今は人生において本当にちょっとの時間だからさぼってもいいんだよ。』
さぼっていいかどうかは置いておいてわたしは逃げることは自分の精神衛生上大切だと思っています。頑張りすぎるといつかぷちっと張り詰めた糸が切れてしまってもう頑張れなくなってしまうから辛いなら逃げることだって大切だと思います。だからわたしは逃げる
ことは辛いことだという考えにはなれませんでした。看護師さんが言ってくれたように適度に頑張って適度に手を抜いて、自分がゆっくり幸せに生きて行けたらいいなと思いました。
私の日記帳。私は日記をつけることができない。それは、毎日同じ行動をするということができないからだ。そして、誰にも言えない理由がもう一つ。
何を書いてもいいか、何を書いてはいけないかそれがわからないのだ。日記なんてものを書いたら、形に残ってしまう。家族や友人に日記をみられたら?私の中の歪さを知られてしまったら?
私は自分の倫理観に自信がない。かわいそうだとは思うが、虫を蘇生しようとはしないし、たとえ人間でも死体にシアター越しでない同情をかけられる自信がない。美学なきものに価値はないし、知人も他人も平等にただ人間であると言う以上の感情を持てない。そのままの私をぶちまけたなら、そんな意味のわからない黒い渦のような本質が形となって残るのだ。コリ固めて常識を演じている毎日が、日記上で齟齬を起こしてしまっていたらどうする?ノリという免罪符で流せる普段の違和感を形として視認した時、相手はどうする?そして私はみてしまった相手をどうする?
だから、私は日記をつけない。独白という形の自分語りは少しリスクが高すぎる。気のせいや冗談で受け流せるままでいられたならば、あなたを守れるだろうから。
つらいことも嬉しかったことも、
それを越す出来事があればぜんぶ忘れてしまう。
だから始めた日記帳も、
全く意味の無いものだって気付いた。
忘れてしまったら最後、
もうその日と同じ気持ちにはなれないんだ。
あの日から真っ白のまま
私の日記帳
私の日記帳
私について
何も
書き残したくない
痕跡、跡形もなく
消えたい
きれい
さっぱり
湖の
朝靄、晴れるように
恋って自分勝手。
勝手に好きになって
勝手に君を思って
勝手に嫉妬して
勝手に喜んで
勝手に泣いて
勝手に失恋する。
本当に馬鹿みたい
…そういう私も馬鹿みたい…
大切な人を忘れていけないと。離したらダメな人
そんな人が貴方の目の前にいるのなら
絶対に大切にしないといけない
失ったらきっと後悔するから
日記は基本続かない
続かないはずなのに
1日の終わり
君とどんなことがあったか
何を話したか
喜怒哀楽が表情豊かに顔を出して
不思議と毎日頭の中に記されていく
定期的にやめようとする
タイミングが良いんだか悪いんだか
必ずと言って良いほど
そういう時に限って
君からのコール
本当に腹立たしい
呼ばないでくれ
ズルズルと
私の日記帳は
今日もまた、明日もきっと
まだ、記されていきそうだ
私の日記帳
毎日あなたのこと
私の日記帳は
今も昔も然程変わらないけれど
変わったこともある
昔は正確に書けていた一日の出来事が
今は曖昧になってしまっている
そんな変化を私は恐れているのに
その速度は足早になっていて
頭からぽっかりと抜け落ちている日常
いつか日常が抜け落ちていることすら
気づけなくなるのかもしれない
私の日記帳
私の日記帳は約1月続いてる。
自分が思ったこと書いたり、
その日の出来事を書いたり、、。
時々見返すと面白い。
たまには
君の事以外の事も書いてみる
『今日食べたお昼ごはんが
とてもおいしかった。それはきっと
君の笑顔を見ながらいっしょに食べているから』
…………あれ。
結局
君の事も書いちゃった。
僕の日記帳は
君との思い出に
溢れている。
いつか古くなった表紙を開き
過去となる今を追憶するために
君との幸せな時を
思い出すために
日記帳に想いを封ず
#私の日記帳#追憶
日記帳
私の現実と絶望と孤独が書かれたもの