『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
彼が笑ってくれること
彼が話しかけてくれること
彼がキスしてくれること
前の私にはあって今の私には無い当たり前
私の当たり前
起きる ご飯 授業 ご飯 部活 帰宅 ご飯 塾
でも病気になるとできることが限られる
死ぬと全て不可能に変わる
私の当たり前が
あなたの当たり前ではない
逆に
あなたの当たり前が
私の当たり前ではない
そんなの当たり前のはずなのに
何故人は分からないんだろう
私の当たり前
私の中であの人を愛することが当たり前だった
あの人が愛してくれないのを分かっていながら
ただひたすらにあの人に愛を送り続けた
送り続けて9年目
そんな時に君を見つけてしまった
あの人に当たり前のように送っていた愛を
君に送りたくなってしまう
9年もあの人を愛し続けたのに
君を愛してしまいそうになる
でも君は気づいてないだけで沢山の人から愛を貰っている
沢山の人から愛を貰っている君を愛するのと
私一人からの愛を無視し続ける君を愛するの
私はどっちを当たり前にすれば幸せになれるかな
#私の当たり前(2024/07/09/Tue)
私の当たり前はあなたには非常識
だから近頃人間関係が面倒くさくて仕方ない
私の当たり前
なんだろう
たとえばお肉か魚を食べたら野菜は食べること
子供の頃から当たり前だった
物をもらったらお礼を言う事
自然を愛すること
国産の肉や魚や野菜を買うこと
夜に歯を磨くこと
お風呂に入ること
他人に簡単に同調しないこと
相手の傷つくことを言わないことこれは最近気をつけるようになった
人を簡単にはほめないこと
ほめることは簡単で気持ちがいい
でもそれはプレッシャーになるかもしれないし逆に勘違いするかもしれない
そこには責任があると思う
人には人の考えがありそれを簡単には否定できない
つまりポリシーだ
言葉というものは結構重い
最近気づいたことだ
人というものはいつもいつも霧の中を歩いていると思う
全てがはっきり見えることはない
ただ霧の中に見えるものから想像しながら歩いていく
そんな時に当たり前はポリシーになり道を照らしてくれることがあるだろうと思います
私の当たり前。それは、なんだろう?そう、とりあえず、挨拶されたら、返す!会社での事ではあるが、他店舗であろうが挨拶されたら返す!あとは、傘を持つ時、斜め後ろに持たない!!電車で降りる駅になり、どかない無法者には、降りますアピールを言葉でする!
挨拶以外は、無神経な人にならない為と無神経な人によって駅に降りれず泣きを見たく無い為の防御。
つくづく思う。当たり前!と言う事が特に無い自分。
私は毎日、30分は必ず運動してます!とか、朝はカーテンを全開にして、お日様を見てます!とか、なんら、役に立つ当たり前がない現実。
ダメだなあ。
さあ!今からでも、遅くない。今年一年もまた、後悔で終わらないよう、なにかひとつ頑張ろう!と思った。
ファイトだよ。自分。
面倒な
人間関係
全排除
独りを選び
泰然自若
【私の当たり前】
私の当たり前
今日は私の当たり前を少しここに書きます。
アイスがあれば大人しくいる。
決まった音楽を必ず聴く
ゲームは私の人生には必須
仕事に関してはどうにか無事に終われますようにと思いながら過ごしてる。
当たり前のことだけど自分の当たり前を人に押し付けるな。自戒の言葉。
私の当たり前が、あなたの当たり前でない
こんな単純なことをどうしてすぐに忘れてしまうのだろう
私は、私の気持ち、私の基準でしか物事を測っていない
測りたくても私というフィルターを通らないで判断する方法なんてない
だから、私にとって当たり前なら、みんなにとっても当たり前、そんなはずないのにね
すぐに忘れてあなたを責めてしまう
あなたが私の思い通りにしないから
あなたが私の当り前をできないから
違うの
私とあなた、私とみんな、一人ひとり違う
この当たり前が一番大事
私の当たり前
美味しい御飯を食べる事
家族で楽しく暮らす事
車で出掛ける事
愚痴をこぼす事
ある程度お金に困らない事
平穏に暮らす事
便利な生活を享受する事
…
そんな日常が、当たり前だと思う今、実は、自分一人の成果ではない事を、この歳になって、初めて知った…自分の知らない誰かの営みの上に、生きていること…
当たり前は、決して当たりではない事を…
私の当たり前
外出時の持ち物
ウェットティッシュ
ポケットティッシュ
ペーパーハンカチ
リップクリーム
ペットボトル
エコバッグ
サングラス
ライト
お財布
スマホ
鍵
これが当たり前のようになった持ち物。
なるべく小さいバッグに軽く少なく
だけど大事なものはしっかり持ち歩きたい
そんなわがまま願望は強くあり
未だにベストなバッグは探し中。
その上夏です。
保冷バッグにしっかり保冷剤、扇風機、日傘、汗ふきシート
も持ち歩きたい。
小さいカバンで軽量なのに大容量な
夢のようなバッグ.....
マジで四次元ポケット欲しい。
若い女の子達はその上お化粧直し品も持ち歩いてるし
綺麗に化粧直しててホント尊敬する。
作品No.100【2024/07/09 テーマ:私の当たり前】
私、自分の本名がすきなんですよ。
漢字もそうなんですけど、なにより、そこに込められた意味がすきで。画数が多めなのが難点ではありますが、それくらいですきな気持ちが無くなりはしません。唯一無二、自分にしかないモノだと思っているから、大切にしたい気持ちが人一倍強いのかもしれません。
まあ、だからなんだといいますと。
それだけ、自分の名前を間違えられると腹が立つんです。部首が違うとか、漢字自体違うとか、果てはそもそも違う名前になっているとか——この約三十年、そういうことはよくありましてね。
学生時代——それこそ、大学生までは、苛立ちを含ませて指摘してました。だって、失礼じゃないですか、名前間違えるのって。日本には、ひらがなやカタカナもありますし、わからないなら——というか、間違えるくらいなら——無理に漢字で書くなと、思うわけです。
それで結果どうなったか。
「こっわ」、「そこまで言うことないじゃん」——そのようなことを言われました。
は? 間違えたことに謝罪はねえのか?——そう思いましたよ。他人様の名前間違えといて、なんで間違えられた方が悪役みたいになっているのか、意味がわからなかった。でもそれを言葉にするには、私はその人達とあまり仲良くなかったし、なにより臆病すぎました。
これがきっかけなのか、それ以来、名前を間違えられることに対してある種の諦めがつきました。指摘することは、ほぼしなくなりました。
それでも、私の根っこは変わりません。
私は自分の名前がだいすきです。それだけは自信をもっていえます。だからこそ、そんな名前を間違えることは失礼だと思います。
私の当たり前は誰かの当たり前ではない。
朝起きた瞬間に甘い菓子パンを胃に入れて1日のスイッチを入れるのも、
焼肉屋で肉より締めアイスを楽しみにしてるのも、
「暇」という予定を予めカレンダーに書いているのも、
多分私だけの当たり前。笑
「人はみんな違うから面白いんだ。」
ってことがみんなにとっての当たり前であってほしいな
起きたらユウキのご飯を作って学校に行く嫌いな教科を受けて帰る
私の当たり前
昔から私が思う当たり前は人にとっては違和感だと言われるものだった
幼少期に医師からADHDだと診断され
私が思っていた当たり前の行動、思考は受け入れられないものだった
親からのいじめ、友達からのいじめ、色々経験した
でも、私は 私の当たり前を違和感だと感じられて逆に良かったと思っている
人に私の当たり前を押し付けない人になれたから
7、『私の当たり前』
私にとっての当たり前は、彼がいる幸せな毎日だ。
でも、当たり前になりすぎてこの幸せに気づけなかったことがある。そのせいで私は彼と別れてしまった。私は、別れて初めて彼との何気ない毎日がどんなに幸せだったのかを実感した。
今は彼と復縁することができ、幸せな毎日を送っている。私は、今度こそ当たり前の幸せを見失わないように大切にしていきたいと思った。
私の当たり前
『私の当たり前』と言われるとすぐには思い付かない
多分すぐには思い付かないことを毎日しているので、それが私の当たり前なのだろう。このアプリもそう。なるべく毎日書くのが当たり前になっている。私はこのアプリのおかげで文章を書くのが少し楽しみになった。文章を考える力がついている気がする。
でも他人の当たり前は違う。もちろん家族や友達も。
『当たり前』は『習慣』だと思う。なぜならすべきことが違うから。共通してやることもある。でもみんな生活リズムは違うから、自身の当たり前と他の人の当たり前も違う。その当たり前は自分自身が自然と行っていることなので、目には映りにくい。(漢字合ってる?)
だから、自分と他人は違うことを理解しよう。
他人の当たり前を否定しない。笑わない。
(これ鉄則)
みんな違ってみんないい
私の当たり前。
それは平日の朝、Fe鉄入りの飲むヨーグルトを買うこと。
この習慣は、数年前の血液検査で貧血の診断をもらった日からずっと続けている。
「う〜ん、この数値。思春期の女の子……、小6の女の子と同程度しかないよ」
と医者に言われてから。
低血圧の貧血。朝はマジで弱かった。
早寝早起きとか地獄だった。学生の頃は貧血気味と自覚していたが、死の秘宝を抱えているまでに至っていたのかと再認識した。ラベルをみたら誇大広告。蓋を開けてみれば重大だった。
サプリメントに手を出すこともあったけど、ちょっと努力義務を果たせばいける程度だと思い、以来この飲料を飲んでいる。
1日分の鉄分。その言葉が嘘か真か、よくわからない。
プラセボだろうが血液検査の数値は良くなっている。
しかし、あの頃と比べても、朝は弱いまま。
貧血と低血圧だったら、低血圧のほうが軍配があがる。無理やり起きている。
社会人になって、都内へ向かう通勤電車。
当たり前という名の、このつり革に掴まって、ゆらゆらしていれば目的地に着く。
大多数がこの当たり前を享受しているけれど、目的地は人それぞれだし、通勤電車とは無縁の人もいる。
昼夜逆転、夜職の人もいる。数年前、私は学生であり、この電車に揺れていなかった。
私の当たり前は、当たり前じゃないと気づいたとき、じゃあ一体何が当たり前かと疑問した。
生まれてから今まで。ずっと当たり前だったこと。
意識せず呼吸すること。
勝手に心臓が動いていること。
悩み続けていること。
ストレスに晒されていること。
運動不足でいること。
生きていると実感しないこと。
生きていることが当たり前だと思わなくなったこと?
満員御礼のつり革。席。ところどころ遠慮の見える青いシートの優先席。
ゆらゆら揺れていたら、突如急ブレーキがかかった。
ギギギ、と身体が引っ張られて、引っ張られて、さらに引っ張られて、最大限に引っ張られて。
そして――ガタンッ。
人いきれの熱気とともに元の場所に戻った。
「ただいま車内で急病人の対応があり……」
車内放送が淡々と事実を述べる。
地震のときのアナウンサーのように、出来事を伝える手段の代わりを務めている。
本日の気温は猛暑だから、熱中症だろうか。
熱中症は夏のときだけ。それが当たり前だった。
でも今は、春でも秋でも起こり得る。気温に従うと最近理解した。
私の当たり前。
それは突如として崩れるもの。
それは人によって当たり前じゃないもの。
熱中症のような、人が我慢することで生まれる代物。
君が僕の横で笑って。
僕もそれにつられて笑っちゃって。
そんな日々が僕にとって当たり前なんだ。
昔も、今も
そして今後もずっと。
当たり前の日々であってほしい。