『春爛漫』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
春爛漫
春と言う字は三人の日と書きます
あなたとわたしとそして誰の日♪
会ってみたいな久しぶり〜
あなたも話が合うでしょう♪ってえらい歌だよなぁこの歌(笑)と、本日のお題を読んで一番
最初に思い浮かんだ詩を検索にかけたら、作詞家、伊藤アキラさんが亡くなっていらっしゃったことを知りまたまた、そうかぁ、、と手を合わせました。お顔は存じ上げませんでしたが、1970年代80年代の歌謡曲シーンで、作詞家阿久悠さんと並んでよく目にした作詞家でした。そして今回個人的に御姿を初めて拝見して、その時、この曲が頭に流れて、申し訳なくも「ふっ」と吹き出してしまうような、オジサマ顔で今風に言いますと、「おじカワ」ですか?ねと思ったりしました。そしてなんと、ワタシのコメットさんの「キラキラ星をあげる」も伊藤アキラ氏だったと知り、プロは、いつでも乙女になれるねかぁ~と感心しました。ふと、春爛漫のこの宵に、「キラキラ星をあげるぅ♪」と執筆してらっしゃる伊藤アキラ氏を思い浮かべたりしました。
合掌
「春爛漫の虹の袂にて」
そこは、暗い場所だった。
仲間たちが、順番に何処かに連れて行かれて帰って来なくなるんだ。外に出られたのかな?イヤ違う、ボクは勘でわかるんだ、あの冷たくて暗い廊下の向こうに、もう二度と目が開かなくなるような、そんな場所があって、仲間たちはそこに連れて行かれて消えて行く、ボクの番もそのうち回って来るのかな、「助けて…」ボクがそう願った次の瞬間、彼女が、あの特有のドングリのような瞳で檻の向こうからボクを見つめていたのさ。それがママに手をひかれた夢ちゃんだった。ボクらはそこで出逢った。
ボクは宿無しのボクらが入れられる収容所の野良犬から、夢ちゃんとママと暮らす家族になった。けれど、ある日、夢ちゃんが声をあげて泣いていたんだ、桜色のお洋服がトレードマークの夢ちゃんが黒色のワンピースを着て、ボクの声の鳴き真似みたいに、ワンワン鳴いて、ドングリみたいな瞳からポロポロ涙の粒が光っては落ちた。ボクは何か大変なことが夢ちゃんに起こったのだと思い、なんとかして夢ちゃんの瞳から溢れる涙の粒を止めたくて、いつもみたいに笑いかけて欲しくて、ママを探すけどママは見つからない、やっと見つかったママは、眠っていて呼んでも、顔をペロペロ舐めても目を覚まさない、やがて、ボクは知ったのさ、ママの死を。
ママと二人家族だった夢ちゃんは、独りぼっちになってしまった。
「よし、ボク夢ちゃんのパパになって夢ちゃんを守るからね、ママ見てて」ボクは眠り続けるママに伝えるべく、吠えた。
春爛漫の虹の橋の袂で、ママは振り返り微笑みながら涙を拭い、ボクに手を振ったんだ。
「ぼく、頑張らなきゃ」
このあらすじは、敬愛する脚本家松木ひろしさんの名作中の名作「パパになりたかった犬」でした。今期のドラマを観ていたら思い出して、懐かしく、あらすじを自己流にまとめてみました。
昭和らしいドラマだった。主人公の健気な犬の名はヨサク犬頭さんではない(笑)ヒロインは夢子ちゃん小学生。夢子ちゃんとヨサクはテレパシーで会話が出来て、親戚のオジサンの大坂志郎さんと、その息子役の鶴見辰吾さんが味わい深く、獣医学部の学生の彼は、夢子ちゃんとヨサクの関係を理解しているが、上手く誤魔化し助けてくれる。近所に住む伊東四朗さんと冨士眞奈美さん夫婦も色々面倒臭い人達なのだが、そこは松木ひろしの筆才がハートウォーミングな物語として見せてくれる。夢子ちゃんとヨサクのテレパシーの世界は誰も知らないヒ・ミ・ツであるし、劇中流れるヨサクの声も大人たちには聞こえないのだが、彼らはヨサクと夢子ちゃんの関係を理解して行くという、昭和感満載の物語だが、今期の犬頭さんのお話しは、この物語を実に彷彿とさせた。視聴者目線だと犬頭さんが犬太であることは誰にも分かりきって、何故、彼犬太が、そう決意したか?という疑問をラストまで上手く残し役者の芝居もあり飽きさせずに、視聴者はラストに犬頭さんの気持ちを知る訳だか、それは、劇中設定では墓場まで持って行くヒ・ミ・ツなのである。何故なら彼らは大切な雅弘くんであったり夢子ちゃんを、そっと見守りたいから。それを察する側に居る人も聡明であり粋である人は、知っているのに、ほんわか知らぬ振りであるのである。つまびらかもなにも、最初から犬頭犬太も夢子ちゃんとヨサクのテレパシー、ヨサクは日本語喋れますもである。
ヨサクも犬太も情緒は一部のつまびらかなきゃ理解しないよーな不粋人よりあるのだと知っていましたが、劇中の彼らの大切なヒ・ミ・ツは、ほんわか春爛漫に舞う桜の花びらのように、匂わせるのが涙を誘うのでした。
また、これが、1月始まりの3月26日終わりのドラマで、懐かしく思い出しました。「パパになりたかった犬」名作中名作なのですよ、再放送できませんかね(笑)
心幸
令和7年3月28日
今日の後書き
いや、愛していないと思いますね、その人を愛しているのではなく、自分の言葉がその人に届いてその人を癒やしているなんて考えるのが傲慢な自己愛でしかないから。癒やしているとか届いているかとかではなく、ただどうしょうもなく動くのが愛でしょうから。
今時、「おまへん、ですやん」なんて使う関西人って🤔 じゃりン子チエちゃんか?猫の小鉄か?
二丁目劇場の前で、ビラ配ってる芸人さんでも舞台でしか使わんのと違うかなぁ〜www
それが、一番古臭いかも笑笑
題 春爛漫
春なのになんだろうこの気持ち
全然楽しくない。
この桜の花びらを見ても手のひらに乗った淡い花びらを見ても
心が踊らない。
だってさ。君は僕のことみてないてしょ?
僕も君のこと考えても気持ちが踊らない。
どうしてだろう。
あんなに前は楽しかったのに。
春ってだけで君が隣にいるだけで、ただ笑い合うだけで、会話するだけで。
そんな些細なことが楽しくて。
君と見たこの淡い花びらが綺麗で一緒に笑いあったね。
だからかな。僕はこの花びらを見ればもう一度君と一緒にいた頃の気持ちを取り戻せるって思ってしまったんだ。
そんな気持ちは、ここに来て吹き飛んでしまった。
君と過ごした時間は、僕の中で綺麗な思い出だけど、今の君との時間は何も気持ちが動かない。
再認識してしまった君との距離。
あんなに大事だったのに。
大切な思い出は過去の箱にしまって
僕は前を歩くしかないのだろうか。
その時は君にサヨナラを言わないといけない。
この過去の記憶の箱を持ったまま
躊躇わず君にサヨナラを言えるだろうか。
言えるなら僕は新たな道を進むだろう。
過去の記憶に痛みを感じながら。
言えなければ君とこのまま心の動かない関係を続けるだろう。
それが僕にとっても君にとっても楽しい時間とはいえないものになってしまう。
どちらにしても痛みを伴いながら
選択の時は近づいている。
“春爛漫”だなんて、余裕がある人にしか、訪れないと思ってた。
_春爛漫
3月にしては寒すぎたような、暑すぎたような。
日が照り付ける午後2時半
ふと顔を上げると、桜が見え始めていた。
蕾が多い中、ぽつんと咲く花は淋しくて綺麗だった。
春爛漫にはあと少し。
*春爛漫*
独り道
春爛漫の
音も無く
季節は春らしくなってきたけど、仕事が忙しいし、休みもちゃんととれないし、服の色味も真っ暗だし、春らしい事何も出来てない。
季語→春爛漫
【春爛漫】
春爛漫 2025.3.27
休日の午後
携帯も財布も持たず
ペットボトルの水だけを手にして家を出た
うららかな日差しを感じながら
春爛漫の河川敷を歩く
花が咲き誇り、風が気持ちいい
穏やかな川の流れに耳を澄まし、目を閉じる
遠くで電車の通る音が聞こえる
いまは何もかも忘れて
軽やかに目の前にある春を探しに行こう
昨年のこのくらいの時期にも、このお題が出されたような気がします。
貴女への言葉を貴女に書き連ねていただくようになってから、そろそろ丸一年経ちますね。
この一年間、どうでしたか。貴女を心から愛する者の言葉は、貴女の心に届いたでしょうか。
実際どうだったかは分かりませんが、只、一年前よりも貴女のお顔は穏やかに、柔和になったように俺には思えます。
俺の言葉が貴女を少しでも癒したのなら、こんなに嬉しいことはありません。
爛漫(らんまん)と聴くと、朝ドラの「らんまん」が最近思い出される。
「好きこそものの上手なれ」とは、正にそういう事なんだなと。
あいみょんのテーマソングも良かった♪
まどろんだ朝には、癒し的には最高でした^_^
俺も・・・好きな道を突き詰めていきたい。
これから新年度が始まり、新社会人や新学年の方も多くいると思うけど、皆で頑張ろう。
俺も色々あって高校は夜間定時制だったからさ・・・語彙少なくてスマソ、とにかくまぁ・・・自分なりに頑張れば良いさ〜^_^
(春爛漫)
春を包む暖かい風
開けた窓を通り抜け
カーテンが舞い上がれば
見える景色は春爛漫
舞い散る桜に手を伸ばす
暖かい風は私を包み
私の瞼は重くなる
懐かしい匂いを運び
春愁の記憶を呼び起こす
『春爛漫』のイメージは
桜、ピンク、楽しい
そんな感じ。
私は『春』が好きではない。
環境が変化することが苦手で
無駄に焦り、意味もなく不安になる。
『春爛漫』は私にとって縁遠い言葉だと思う。
春爛漫っつーのはよォ、まるで街全体が浮かれてるみてぇな季節だよな。桜は咲き乱れ、ポカポカ陽気でみんなニコニコしやがる。おまけに新生活だの出会いの季節だのって、やたらキラキラした言葉が飛び交う。いやいや、こちとら花粉と眠気で死にかけてんですけど? 春の優しさってのは、花粉症持ちには容赦ねぇんだよな。
でもまぁ、桜なんか見ちまうと、やっぱりちょっとだけ感傷的になるよな。あっという間に咲いて、あっという間に散る。まるで、オレの財布の中身みてぇだ。でも、それでも毎年変わらず咲くってのが、なんか粋だよな。人生もそんな感じで、どんなに散ろうが枯れようが、また咲きゃいいって話なのかもな。
ま、難しいことは置いといて、せっかくの春爛漫だ。団子でも食いながら、のんびり桜を眺めるくらいが、ちょうどいいだろ。
春爛漫
春爛漫
あぁ、彼よ。一生近くにいて…隣に、傍に、ずっといて、遠くに、遠くに行かないで。
私の、私の、傍にいてずっとずっと離れないで。
ずっと、ずっと…抱きしめたまま、一緒に骨を埋めよう。
【春爛漫】という言葉から今は
なにも思い浮かばない
なんでかな__
と 考えてみた。
______ 。。。
春になった! 春だ! という楽しげな気分よりも
なにか ふあんてい な、うまく言葉に表せない気分が、 いつもこの時期、心をすこしふさぐ。
春の明るさと、そわそわした空気_, 浮き足立つような ふわふわした 気配__。
こうした春の空気感に、どことなくニガテな感覚を覚えるようになったのは いつからだったろう__
爛漫じゃなくてもいい
【春爛漫】みたいな華やかさじゃなくても、
静かに感じる春、
やわらかく感じる春でいい__。
苦手だと感じてしまう自分も受けとめて、
春を 静かに迎えて 受け入れて
穏やかに 淡々と この時期を過ごせるように
なれればいい__。
今日は
そんなことを 思った
行為という言葉のいかがわしさ
言葉として直角だから
猥雑の中にあって浮き上がる
行為という言葉
夜の春風の中にてくっきりと
幽霊の舌打ち
が
見えてくる
行為という言葉
鳥笑う春
偽物の季語
興奮
えっと爆弾で僕
順番ほとばしりまくり
いい彗星
行為という言葉
の
いかがわしいこと
この上なし
黄砂が舞い気温も20℃を超え 都会では桜の開花宣言
でも
雪国の動物園はまだ開園せずスタッドレスタイヤを履いたままの車
まだ訪れない春
「春爛漫」
春爛漫
この時期は花粉がすごくて外に出たくなくなる。
今までどこかへ出掛けていた虫たちが戻ってくるから嫌になる。
でも白いブラウスにピンクのスカート、少し高めのヒールを履いて桜並木の下に行く。桜の絨毯でクルクル回りながらスカートをなびかせるとなんだかお姫様になったような気がして思わず笑ってしまう。
そして青い空を背景に咲き誇る桜を見上げて言う
「あぁ、春爛漫」
「春爛漫」
三月の終わり。それは一つの物語の終わりであると、私は時折思う。春になると人は変わる。良くも悪くも『春』に突き動かされるのだ。それが今生の別れであろうとも。
忘れもしない。共に最期を見届けると約束した妻が亡くなったのも春だった。その時の外の景色は、憎たらしいほどに見事に桜が咲いていたのをよく覚えている。
春は我々の運命を凝視している。その目が示すは悲愴で愉悦も含む到底理解不能なもの。しかし、彼らに同情の心は無い。彼らの仕事は見届けることただ一つ。私の思いも妻の死も直ぐに忘れて消えてしまう。
そんな桜も爛漫。何時ぞやの誰かが言っていた
『桜の木の下には屍体が埋まっている』
なんて言葉も言い得て妙だ。実際には埋まっていなくとも、間違いなく彼らは私たちを利用している。何が目的かは分からない。だが、それだけは確実に言えるのだ。
了
春爛漫
今日も雨。
最近は雨が続き、憂鬱な気分のまま過ごしていた。
桜はいつ咲くのだろう。綺麗な桜、みたいな〜。
あの肌寒い、背筋が凍るような日々も好きだったけど
やっぱり、太陽が光輝くあの春の心地よさを全身で感じるのも悪くないな。
…春、花粉でくしゃみと鼻水止まんないのはきついな。
雨が降り続けるよりかはマシか?私雨嫌いだし。
早く春爛漫を満喫したいな笑
桜の花の下でお弁当ひろげて
お花見したいな。
そんな春爛漫、
いつか、きっとね。
【春爛漫】
あたしの近くに春はあるの、
だって道ばたにたんぽぽ、いつも行く公園につくし、
あたしの家のプランターにはチューリップがたくさん咲いてるの!
ちょうちょだって飛んでるわ!
家の庭にある桜はちょーっとだけ咲いてるけど、お花見するのにはまだ全然。
早く満開になればいいのにって思ってると、お母さんがはるらんまんねって嬉しそうに言ったの。
よくわかんなかったから意味を聞いたら春のお花がいっぱい咲いてるっていうことだって。
漢字で書いたら春爛漫とも教えてくれたけど……春はともかく後の二つが少し難しすぎるわ。六年生になったら書けるようになれるかしら?
そもそも春らんまんって書いた方があたしはかわいいと思うのだけど、漢字で書けたらかっこいいのは確かよね。
まあでも、そんなこと今はいいわ。
せっかくの春だもの。たくさんお外で遊びましょ!
そしてまた新しい春を見つけるの!