『日の出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
日の出
残念ながらみれなかった。
夢の中だったというわけではないのだけど
頭からすっぽり布団を被っていたので 明るくなったことに気がつくのが遅かった。
実は
眠れなくてまだ暗い 5時に自販機に炭酸のジュースを買いに行く口実で散歩に出かけた。
私のすむところには 大晦日開けてすぐ
氏神様である神社に初詣に行く風習がいまでもある。
御夜の火がたかれ その火に当たると一年健康に過ごせるそうです。
私はその火が 舞い上がる火の粉がきれいで
いちばん好きな行事である。
今年も父と二人 御夜の火に当たりに行った。
初詣からかえって 年神様に挨拶をし
年越しそばを食べ 無事に歳をとり
めでたい雰囲気も落ち着いて寝静まっている。
新月なのもあいまって 星空がきれいで
日の出ではないけれど 静かな一年の始まりになった
お題『日の出』
一月一日の日の出はとても鮮烈で、何かを浄化する力があると思う。
朝日自体、目にじんわり沁みるような洗練された光を放つ。
それなのに、新しい一年が始まる日の出となれば、それはそれは、神聖で、素晴らしく清らかなものだ。
私たちはみんな綺麗になって新しくなる。
雲海の堺が開いたかのように
じわじわ染みていく熱白色
♯日の出
日の出
全然外出てないし、
そもそも太陽を見てないや。
明日は去年の12/28ぶりに外に出る。
日の出
郵便局から年賀状と一緒に広告が届いた。
日本各地の日の出写真をまとめたサイトにジャンプできるQRコードだった。
ある程度、見ようと足掻いたこともあって、色々やり尽くしたかなと満足しているので、こういうのでちょうど良い…と思った。
日の出
私はこの言葉を見てすぐ友達と登山した日を思い出した
寝ている私を友達が
「ねぇ、星が見える!日の出見れるよ、外行こ!」
と小声で突っつきながら起こし
眠い目をこすり夏なのに寒い朝の寒さに震えながら
山小屋の前で友達と時間を忘れたかのように
見たあの時間や日の出の美しさは
今でも鮮明に思い出せるほど圧巻で最高でだった
「今年、初のセブンコーヒーだね」
今日、2025年に入って初めてセブンイレブンのコーヒーを飲んだ。思わず、同じくセブンコーヒーを楽しむ父にかけた言葉。父からは、笑いながらまだ今年になって3日目だぞと返ってきた。
そう思うと、人間って不思議な生き物だ。普段、起きるのが苦手な母が初日の出を見るために早起きをした。正直、日の出なんていつでも楽しめる。元日の日の出と12月31日の日の出はどう違うのか?今日、口にしたコーヒーと3日前に楽しんだコーヒー(どちらもセブンイレブン)でどこが違うのかを私は説明できない。もちろん、日の出はその日の天候によって見え方が異なるだろう。セブンイレブンのコーヒーも、その日の体調やコーヒーマシンの手入れの状況によってか同じ店でも味が全く一緒ということはない。しかし、それでも1年の初めは何か特別に感じる。
靴下をしっかりと履き、防寒をして
小さな民宿で眠る
日の出前に起き、さらに防寒をして出発
湖を上から眺められる高台へ
すごく寒いけど、日の出を待つ
待つ待つ待つ
カイロとこれから見る光景への期待だけで
寒さを耐える
日の出が近くなる
少しずつ聞こえてくる声
見えてくる姿
どのくらいいるんだろう
湖には数えきれない程浮かんでいる小さな影
わくわく…
…そして日の出と共に一斉に飛び立つ
何がすごいのかわからない
何千羽もの鳥が目の前で一斉に飛び立つ
迫力がある
こんなにも沢山いるのか
これが自然か
自分の世界とは、かけ離れた世界がここにはある
かけ離れてるのに目の前にある
それがすごい
#15 日の出
今年に入ってから
まだ日の出を
拝んでいない
あと数日は
狂うであろう
生活リズム
数の子とアルコールを
楽しもう🤗
✴️261✴️日の出
日の出
君がおはようというように空を登る。
ひとりぼっちの自分に唯一、挨拶をしてくれる存在。
ひどく疲れた日にはその明るさが鬱陶しく思う時もあるけど、変わらずに暖かい光を注いでくれる。
カーテン越しに差し込み光が眩しくて目を閉じた日もあったけ。暁の空を見て日の出を待った日もあった。
年が新しくなっても、これから何年、何十年と時がすぎても、ずっとその光を注いでくれるんだろうなと今日も君を待つ。
お風呂に入って、
息を止めて浸水してみる。
できるだけ長く、できるだけ苦しく。
布団に入って、
目をつぶらず思考を加速させる。
できるだけ長く、できるだけ苦しく。
毎日、朝から逃げたいと思った。
朝が、私を追うのをやめてくれるように、
願って眠りについた。
今日は大晦日か。
明日の日の出の時刻を伝えるテレビが見える。
どうせ起きないからどうでもいいけど、
一応確認する。
正月くらい、朝を願ってもいいかな。
お風呂に入って、
年を越したらすぐに寝床についた。
朝から逃げようとする私の姿は見えなかった。
6時に目が覚めた。
日の出に間に合ったようだった。
私はまだほの暗い外を見るためにカーテンを引いた。
周りはマンションばかりで、
外を見ても何も見えなかった。
それでも、昨日買ってきたお餅を膨らませて、
一口に食べた。
できるだけ大きく、できるだけ苦しく。
翌朝から逃げるように。
「日の出」
だいぶサボってましたすみません!!!
勉強してました!!
明日からまたサボります!!
みんなあけましておめでとう!!
今年もよろしくお願いします!!
「日の出」
子供の頃住んでいた家は
日の出といわず
太陽の陽が降り注ぐ家だった。
よく陽がのぼるのを見ていたよ。
夜は部屋の電気を消して
星空を見るのも好きだったんだ。
皆さん、初日の出って見ましたか?
私は見てません。というか毎年見てません。
毎年、夜中の年越しの瞬間は起きてるんですよ。でもその後は眠くなったら寝ちゃうんでね……。そして目が覚めた時にはもうすでに日が昇ってる。毎年そんな感じです。
正直言って、日の出を見るよりぬくぬくのお布団の中にいたい。お布団最高。
日の出
日の出を見ると
願いをお願いしたくなる
願いを叶えてくれる神様が顔を出した感覚
健康
仕事
お金
愛情
私が幸せと思う生活になりますように
日の出のパワーを浴びて
手を合わせます
「日の出」
日出づる処の天子
書を日没する処の天子に致す
恙無きや
私たちは
相手の背景やその気持ちを読むことで
自分の立ち位置を主張することを学ぶ
先人たちはそうやって
この小さな島国を守り抜いてきた
私たちは
その偉大な功績も忘れ
自己主張もせず流されるまま
この小さな島国で
忘却の日々を過ごしている
先人たちの刻んできた
歴史の片鱗に触れるたび
私たちには
誇れる国があるのだと
日出づる処の天子の血が流れているのだと
思い出さねばならない
またまた難しいお題
「日の出」
あ、あるある。1回だけある。日の出見た事。
去年の年越しの前に家族でバス旅行行ったんよ。
そこで初めて見た。
ん?いやまってまってバカすぎた笑笑
あれ日の入りだわ。
ダイヤモンド富士
あの一瞬を見る為だけに何十分も待ったこと覚えてる。
初めてあんなに近くで富士山見たし
初めて日の入りをちゃんと見たし
初めてお日様が富士山の上に乗っかってるの見た
ダイヤモンド富士って聞いた時は、
何がダイヤモンドだよ。ただの日の入りでしょ?
って思ってたけど、実際に見てみるとめっっちゃ綺麗だったよ。
ここに写真乗っけれないのが残念です。
こんな時代になって、現地に行かなくたってVR体験ができたり、他の人が撮った写真を簡単に見ることが出来るようになったけど
やっぱりちゃんと自分が行くって言うのは、意味があるんだなって思わされた。
その人にしか分からない経験になるし、思い出ができるし、なにより自分のものになると思う。
無事大学に合格したら、お金貯めて、色んなところ行きたいな。
「ここは絶対行った方がいいよ!!!!!」
ってすぐに人におすすめできるような人ってなんかいいなって思うんです。
皆さんはどこかおすすめのスポットありますか??
ダイヤモンド富士
良かったら見に行ってくだい。
それではまた!
お題「日の出」(雑記・途中投稿)
COVID-19の時に実家帰れないからって初日の出見に行ったら曇ってて見えないわバスの運転手は態度悪いわで悲惨だった。早起きした意味。
もてはやされる元旦の日の出
触れられない大晦日の日の入り
2025/01/3「日の出」
短歌005
太陽は昇り、そして沈む。
それは毎日のことなのにね。
片やもてはやされ、片や触れられない。
不思議だね。
「ん――」
背中に張りついているのが男か女かほんの少しだけ考え、男のほうだったなと思い出す。どちらの部屋も同じくらいには片づいているが、染みついた匂いが違う。空気も違う。それは同じことなのかもしれないが、私にはどうでもいいことだ。視覚、嗅覚、触角、どれで判別しようと、出される答が同じであれば同じことだ。
こいつ、結局本当に手を出してこなかったな。
首より少し下のあたりに頭をつけているのだろう。背中に感じる寝息が少し鬱陶しい。
時計を探して首を曲げると遠くに光る数字が夜明けが近いことを示しており、よくよく注意を払うとカーテンの向こう側がほんの少しだけ明るくなっている。向こう側に立てばある程度のものは見えるだろう。
「――」
思い返してみればここには体ひとつで来たから、自分の携帯も手元にはない。こいつの携帯のロックはご丁寧なことに生体認証の登録はしていなかったはずだし、当然解除の番号なども知らない。他に時間を潰せるものもない。こいつの寝顔だって見ていて面白いものでもない。起こしてむくれさせたほうがよっぽど面白いのだ。
「ん、ヴィオラさん」
背中の男が頬ずりしてきているのが分かる。夢の中でも私に甘えているのだろう。私の考えることではないが幸せなやつだ。
どうしたものか。しがみついてくる男の体を受けながらそんなことを考える。と――
ぐぅ。
腹が鳴る。それを感じるが早いか、私は体を捻って男を振り払った。
「腹が減ったぞ」
名前も呼ばず、『起きろ』のひと言もなく空腹を訴えると、男が顔をしかめて起きあがる。
「ん、ぅ。――リクエストはありますか?」
こういう場合、起こされたことに不満をあらわにしたり、時間を訊いたりするのが普通の反応だと思う。そうでなくても用件を訊き返すことくらいするだろう。が、目の前の男は当たり前の顔をしてそんなことを口にする。本当に、便利なやつを拾ったのだろう、私は。
「そうだな、目玉焼きとベーコン。あとは任せる」
「分かりました。コーヒーは?」
あくびを噛み殺しながら訊ねる男に、私はいる、とだけ応えて胸板に触れてやると、男はにへらと笑ってうなずき、そのまま部屋を出て行ってしまった。
閉じたドアの向こうからガン、と何かがぶつかる音がする。おそらくだが何かにつまづいたのだろう。あれで少しは目が覚めただろうから、あとは放っておいても大丈夫だろう。ほんの少し明るさを増してきた部屋で私は寝転がり、広くなったベッドで四肢を伸ばした。
やがて男の戻ってくる気配がして、律儀にドアが叩かれる。
私が入れと言うと、ほんの少しだけ不本意そうな顔をした男が盆を片手に姿を現した。
「僕の部屋なんですけどね、一応」
「ノックしたのはお前だろう」
言いながら目の前に置かれた盆から自分のマグカップを取り、口をつける。ほどよくぬるくなったコーヒーの香気が鼻を抜けていった。
男はそれはそうなんですけどね、などと言いながらベッドのふちに腰かけてこちらを見て、彼の分のカップを手にした。
「20分したら降りてきてください。っ、」
音を立てずに頬に口づけをして男は立ちあがり、甘ったれたいつもの視線を向けると、コーヒーを飲みながら再び部屋を出て行ってしまった。
「――」
あいつは。
私の勝手に扱ったつもりだったのだが、今朝に限ってはやつに踊らされつつあるのかもしれない。胸の内に広がるわずかなさざめきを感じながら、私はコーヒーをすする。
生意気なやつだ。
昨日、わざとではなかったとはいえ、期待させておいて結局抱いてやらなかったというのに、今朝のあいつからはこれっぽっちもそういう欲が感じられなかった。それがなんだか面白くない。いや、あれも少しは本音を隠しておくことを学びつつあるということだろうか。
「まあいい」
私は空になったマグカップを手に自室に戻ると事務所に出られるような格好に着替えなおし、階段を降りる。
どのみち、私の好きにできる男だということに変わりはない。今日はまだ予定も入っていないと聞いている。
覚悟しておけよ?
階段を降りきって扉を開くと、ベーコンの匂いと何かを焼く音が聞こえてくる。当然、やつも私の降りてきたのには気づいているはずだ。そして不穏な気配も。
「――」
それでも足音を殺して台所へと近づいてゆく。戸のついていないそのスペースと男の背中が見えてくる。
「カル、」
「――⁈」
私の奇襲に失敗はない。なぜなら、
「もう、危ないですからむこうで待っていてくださいよ」
「ふん、気づいていたくせに」
それもこれも何もかも、この事務所のいつもの光景だからだ。
日の出
2025年三ヶ日終了、3日間実に穏やかな小春日和でありました。
元旦の 昼に起きても 初日の出
自分が2025年の初日の出に手を合わせたのは何時もより3時間遅い午前9時のことでした。
まったりと明けたお正月に夫婦で話したのは、お墓のことでした。生と死はいつもワンセットの糾える縄の如し、そんなことを強く感じながら穏やかな春の日差しを感じたお正月に感謝。
生まれること老いること病気を得て死ぬこと人生の四つの苦しみ。これに愛別離苦(愛するものと別れる苦しみ)、怨憎会苦(怨み憎まねばならないものと出会う苦しみ)、求不得苦(求めて得られない苦しみ)、五蘊盛苦(人間が生き活動することによる苦しみ)を合わせて人生は四苦八苦とお釈迦様は説いた。新興宗教ではなく、日本人なら誰でも一度は触れたことのある仏教の教えです。宗教と言えば新興宗教やカルト集団しか思いつかないアイデンティティを持たぬ人には分かりにくいかも知れませが(笑)そんな生きる摂理を思ってか単に年のせいかい、夫婦二人して元旦の遅い日の出にお墓の話などをしたお正月でした。
そんな折に、こちらで楽しく人様の抱負を拝読し思いました、皆さん立派だなぁと、、けどだから生きづらくなってしまうのではないでしょうか?とねぇ、、思いました。
正しい自分に人に憎まれない自分に人に褒められる自分に拘り過ぎではないでしょうかねぇ、だから、そこを少し脱線すると人の言葉や視線に簡単に傷つき結局人を怨み憎み生きづらくなってしまうのではないでしょうかね、私の知り合いの若い人たちでも自分を過剰評価するあまりこんな症状になり生きづらくなってしまう人と、また逆に自分を過小評価するような振りをして実はプライド高級車並みで傷つけられたと病む人わりと見ます。だいたい、自分を過小評価する人は自分を過大評価する人と同程でプライド高級車です。
どっちにしたって生きづらくなりやすい人ってやたらと自分や周りに期待し過ぎじゃないでしょうかね(笑)
途それなきゃOKだし、それさえそれたって、その先で何か見つけられたらOKだし、人に憎まれたって自分が人を憎まなければOKでしょ、人に褒められなくったって、自分が精一杯ならそれしかないし、どれだけ受け止める力があるかってことなんじゃないかと、思ったりします。
まあ、言うが易し行うが難しで高級な抱負ばかり掲げてみても達成出来なきゃ自称なんとかと同じで現状に不満が積もり傷ついた可哀想な被害者になっちゃうのではあるまいか。抱負はそこそこにして、何が起きても受け止めることが出来るキャパシティの方が大事かなと勉強させて頂きました。
令和6年1月3日
心幸