『愛情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【愛情の形】
午前8時頃、私は車窓から景色を眺めている。
自然溢れる景色が次第に都会に染まっていく。
学校に近づくほど、胃がキリキリと痛みだす。
1時間後、私は270日ぶりに教室に入るらしい。
不登校では無くなるらしい。
遂に学校に着いてしまった。
今は始業式の途中だ。
なので、周りには誰もいない。
昇降口には担任の先生と保健室の先生が、
並んで私を待っていた。
「おはようございます〜」
先生とお母さんが挨拶をする声が聞こえる。
その後も何か喋っていたような気がするが、
私は不安で何も覚えておらず、
気づけば担任の先生と一緒に廊下を歩いていた。
「この後先生は転校生を迎えに行くから、先に席に着いてていいよ」
え、教室に先生がいてくれるわけじゃないの?
そんなの、絶対に気まずいじゃん…。
なんて言えず、唯一「……はぁ、」という相槌しか打つことができなかった。
教室の前に着いた。
壁越しに楽しそうな声が聞こえる。
扉を開ければ、私もその世界に飛び込める。
本当に?
私には見える、
皆がワイワイと楽しんでいるところに、
私がいきなり扉を開けて、
「え?」と困惑するところが。
その時の皆の顔は、私にとっては見るに堪えない光景だろう。
「じゃ、扉開けるよ。いい?」
「……はい。」
「大丈夫、うちのクラスは優しい人ばかりだから。」
そう言って、先生は私の背中をトントンと軽く叩いた。
先生にとってはエネルギーの注入のつもりなのだろう。
それが私にとって、エネルギーなのか毒なのか分からなかった。
先生が教室の扉をガラガラと開けた。
「さ、入って」
先生が耳打ちしたのを合図に、私は教室に足を踏み入れた。
いや、踏み入れるしか無かった。
私はずっと下を向いていた。
今、皆はどんな顔をしているのだろう。
私はそれを見るのが怖い。
肩紐をぎゅっと握り締めて耐えるしか無かった。
辛い、辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い…
「海愛ちゃん、」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。
思わず顔を上げると、
友達―かのんちゃんがいた。
「ここ、私の隣だよ」
そう言って、隣の席を指差している。
「ありがとう」
私は席に着き、辺りを見回した。
本を読んでいる人、
勉強している人、
大勢で騒いでる人、
スマホを観ながら会話している人、
色々な人がいた。
ああ、私は浮いていない。
きっと皆にとって、さっきの出来事は些細な事に過ぎなかったんだ。
私はそれが嬉しかった。
変に心配されたり、困惑されたりするのは嫌だった。
だから、この空気感が心地よく思えた。
「おーい、皆うるさいぞ」
先生が皆を叱り、空気は一気に氷柱のように冷たくなった。
「……、この後転校生来るぞ」
「よっしゃーー!」
「マジで!?」
「やったぁ!」
氷柱が一気に溶け、再び空気が温かくなった。
「海愛ちゃん、転校生だって!」
「うん、ワクワクするね!」
私は少しだけ考えた。
先生が始業式の日に学校に来るように勧めたのは、転校生が来ると分かっていたからなのかな。
転校生の存在によって、私が変に浮くこと無くカモフラージュできるから、なのかな。
もしかすると、の話だけど。
「長瀬あいりです、大阪から来ました!」
転校生―あいりちゃんは、とても明るい子だった。
「え、大阪弁しゃべれるの?」
「しゃべれるでー。
ま、そんなコテコテでは無いけどな。」
「もうかりまっかー?」
「ぼちぼちでんなー、
ってそれあんまり使わんねん!」
うわぁ、本当に大阪弁だ。凄いなぁ。
あいりちゃんとは席が近いこともあり、
3人でに一緒に過ごすようになった。
「ここって静岡やねんな?
静岡弁ってあるん?」
「あるよ。でも、あんまり聞かないかな。」
「うん、近所のおじいちゃんおばあちゃんが使ってるくらいかな。」
「へー、皆使ってるわけでは無いんやなぁ」
あいりちゃんの大阪での話は、どれも面白いものばかりだった。
「よく『大阪の人はたこ焼き毎日食べてるんやろ』って言われるねん。
そんなわけないやん。飽きるて。」
へえ、大阪の人って毎日たこ焼き食べてるわけでは無いんだ。
私が再び学校に登校し始めてから、あっという間に2週間後が過ぎた。
勉強は案の定難しくて、頭が混乱する毎日だ。
部活は……、
未だにバンドのメンバーと会えていない。
1回だけ、廊下ですれ違ったけれど。
目が合った瞬間、相手はビックリして目が真ん丸になっていた。
しかし、1秒も経たないうちにすっと視線を逸らされてしまった。
仕方ない。
きっと、そんな簡単に話せる仲ではないのだ。
そんな折、ある人から手紙が届いた。
手紙の差出人は、槇原さん夫婦だった。
「愛情」
人にとって
必要不可欠かもしれない。
だけど1番
邪魔なものなのかもしれない。
こうして私を縛るもの。
「生」で私を縛るもの。
生きる呪縛。
見返りを求めない、ひたすら愛しいもの。
そうでありたかったけど、私には無理だったもの。
愛は目に見えない。しかし愛情を持って行動すれば確かに実感することができるものである。
心遣いもそうだ。心は目に見えないが心遣いは確かに実感することができる。
だからこそキチンと行動することが大事である。
いくら相手のことを大切に思っていたとしても相手がそれを感じることが出来なければなんの意味もないのだから。
それが分かった時には私には少々遅すぎたのだが。
嫁いでからも僕に優しい気持ちをくれる2人の娘の愛情。
君たちが幼い頃にこの気持ちを知っていたら、もっと優しく、もっと大切に育てたはずだと思う。そして今、病のなか病院で過ごす息子。彼にも変わりない愛情を持ち続けてくれる2人の娘に感謝します。あなたたちは素晴らしいと。
冬が終わり
春が
空気に染み込む
僕の心で
山彦がそれに答える
この春の響きを
いつから 知っているのだろう?
いつから
ここに聞こえているのだろう?
一体 誰の声が
響いているのだろう?
いつでもここにあったのだろうか?
ときどき僕が
忘れているだけなのか?
響きが こだまして
色相をなしていく
この春の響きの色相は
なにゆえこのように包み込むのだろうか?
空の上で
プラズマが揺れている
春の色相をなして
僕を満たしている
あのプラズマのゆらめきは
僕はどこに導かれているのだろう?
懐かしさが僕を導いている
あれは 誰なのだろう?
ここはどこなのだろう?
なんで こんなに
懐かしいのだろう?
どうして泣いてしまうのだろう?
、
懐かしい
ここは 春の懐の中
僕はここから始まった
愛情。
愛情は
好きな人じゃないと
ただの
迷惑。
愛情は
軽い?
それとも
重い?
天秤に
かけられない
思い。
愛情
愛情不足で育った子は、自己価値が低く自尊心も低いなのに承認欲求は人一倍で他人を試すそして思う通りにならないと切れて逆恨みする。人への警戒心が強いが依存心はその倍強い為対人関係で必要以上に傷つきやすく他人に気を遣わせるが気付かず逆に傷つけられたと逆恨みしストーカーになりやすい。親に愛されなかった子には自分がなく私もと同調傾向が強く安心感もなく安定感もない。心に負の影響を強く受けている為マイナス思考で悲観的で否定的で批判的思考で、、、それいつまで続くんだろ?
だいたい、その親もその親もまたその親も愛情不足なんでしょ、逆に愛情不足な子ですって言っていれるのって恵まれてるよね、何でも愛情不足のせいに出来る。で、何時まで子供でいるつもりなんですか?別に親の借金のかたや口減らしに色街に売られる訳でもないし、吹雪吹くなか山深い峠道越えて朝まだ日の上がらないうちから働く訳でもないし、弟妹を背中に背負って学校に行く訳でもないし、読み書き覚える前に人の殺し方や盗みの仕方覚えなきゃならない訳でもない、もし仮に、それでもだ生まれてから一回でも腹抱えて笑って美味しいと思うものをお腹いっぱい食べることが出来たら、それは生まれてからだからで良かっ良かったなんだ。裸で生まれてから自分の力で洋服1枚自分に着せることが出来たら人生勝ったも同然で、死ぬ時に本当の涙を流してくれる人が1人居たら人生圧勝な訳です、それが気位とか自尊心ってやつなんだと思います、、ってのは長い前置きで、、
「愛情」 作詞 小柳ゆき
壊れそうな明日に向かい
信じあう奇跡を
傷ついた翼広げ
飛び立つ true heart uh yeah Hey
眠れない朝に震えてた
冷たい壁にもたれてた
同じこと 繰り返し呟いていた
なにも手につかづ過ごしてる
わからない何か期待して
欲しいのはあなたの愛だけ
振り向いて今直ぐに抱きしめて
Ah 止められず溢れる想い受け止めて
少しずつ明けてゆく暗闇に
Ah いつかくる二人の光夢見て
壊れそうな明日に向かい
信じあう奇跡を
傷ついた翼広げ
飛び立つ true heart uh yeah Hey
1982年生まれの小柳ゆきは、私がおばさんになってからファンになった私の平成の歌姫だライブにも、ちょくちょく行く。MISIAより宇多田より安室より上手いと思っている。昭和の歌姫は美空ひばりと山口百恵と中島みゆき、これに追随するのは松田聖子だが彼女は1980年代のパイオニアだが私の歌姫とはまた違う、中森明菜も小泉今日子も松田聖子が引いた道を歩いた、綺麗なため息で歌う中森明菜はメンヘラの女王だが歌姫でもパイオニアでもないと思っている、突き抜ける海風のようなよく通るキャンディボイスの松田聖子とはまた違うのである。嘗て松田聖子は第2の山口百恵と言われることをどう思うかとの記者の問に「第2の山口百恵と言われるよりも第1の松田聖子と呼ばれたい」と答え、当時のオバサンたちに批判されたが松田聖子は有言実行1980年代の明るさの象徴となりパイオニアとなり1980年白いマイクを置き欲しいものを全て手に入れ奉公した会社にも恩を返した山口百恵と入れ替わる。山口百恵と松田聖子は、1970年代というまだ戦後を引きずって走っていた日本の時代と、新しい1980年代の象徴がはっきり変わったことを世に知らしめた。
松田聖子には追随者が多くいるが、山口百恵には追随する者がいない、それほど山口百恵の生き様と愛情はパイオニアと言うより金字塔であり伝説なのであろうと言える。あの潔さは実に前時代の日本人好みである。戦後も知らない私でも、美空ひばりの「悲しい口笛」の口笛と間奏のタップの音色を聴くとDNAが疼き、山口百恵の潔さを見ると感慨に耽る、これぞ歌姫という感じがするのである、歌姫とはその醸し出す愛情と魂がどれだけ歌に声に反映させられるかで、歌いっぷり生き様全ての反響のように思えてならない。
そして同じ魂を中島みゆきの歌声と小柳ゆきの歌声にも感じるのである。
中でも、この小柳ゆき作詞作曲の「愛情」はその歌いっぷりも含め素晴らしいと思っている。
はい、今夜は個人的独壇場の歌姫について語ってみました。
全て 1個人の意見ですので、悪しからず。
令和6年11月27日
心幸
愛情
きみの見る世界が美しいものであればいい。
美しい音を聞いて柔らかいものに触れて、パンケーキのことだけ考えていて欲しい。
たとえ私がいなくなっても幸せになって欲しい。
いつもきみのことを祈っている。
私にとって愛情とは人とは違う
愛情は、嘘をつくことだった
それは嘘をつき続け人にうそをつき
嫌われてもいいから私以外の人なら
不幸にならないでほしいその前に愛情がある
#5【愛情】
人にとって必要なものはなんだろうか?
と、ふいに考えることがある。
人にとって必要なもの、人であるための大事な要素。
私はそれを愛情だと思っている。
愛情が全てとは言うつもりはないし、愛情がなければ人ではないということでもない。
愛情は人だけに当てはまるわけでもない。
だが、愛情があるかないかで、人はガラッと変わるのだ。
それだけ、愛情というのは大きな存在だと思う。
愛は人を変える力を持っている。
愛情ほど、偉大な力はないのではないだろうか。
人を愛し、愛されよ。
「愛情ってなんだろう?って友達に聞かれたけど、うまく答えられなかったよ〜」
「愛情といっても、親子やペット、恋人や人類が対象だったり幅広い」
「う〜ん……対象はいろいろだけど、友情とはなにが違うんだろ?友情だって、相手に対して思う気持ちは同じじゃない?」
「友情は友達だけかな?親子で友情って言わないな」
「そうだね」
「ねえ、私たちの間にはなにがあるのかな?」
「…友情かな?」
「バカ…」
『愛情』
お題「愛情」(雑記・途中投稿)
……全然思い浮かばない。
愛情に、本当や嘘はあるのかな。
友情だって、同じだ。
ただ、私が好きだから
大事にしたい想いが込み上げて
だから、何か下さいとは
思わない。
損や得もない。自己犠牲でもない。
友情だって、同じだ。
ただ、好きだから
沢山、笑っていて欲しいだけ。
【お題:愛情】
きっと、これからは、私が与えていくもの。
あと1日。
愛情があればお金なんていらないわっ
なんて言ってるのは金持ちくらい
完
何か動物を飼った事がありますか?
今、我が家では犬·亀·メダカたちと
賑やかに生活を共にしています。
愛犬は2代目で、先代は19歳と長寿を
全うし見送りました。
私は、生まれついて「お世話」をする
そんな運命の元に生を受けている…
何だかそんな気がするのです。
とにかく、人であれ動物であれ
見て見ぬふりが出来ずついつい手が
出てしまいます。
自分自身と言えば、あまり他人にも
甘えられず、何でも自分でやってしまう
そんな可愛くない人だと思います。
しかし、結局のところ根底にあるのは
「愛情」でしかない訳で…
物言わぬ彼らは全身を使って私に
「愛」を届けてくれています。
お世話ばかりの毎日が時々辛くなったり
めんどくさいな…と思わないと言えば
嘘になるけれど…
私とご縁が繋がった全ての命から
沢山の「愛情」を貰っている事に
感謝をしないといけませんね
今も、2代目の愛犬が私の足の間で
まったりくつろいでいます。
この子の温かい体温を肌に感じながら
この文章を書いている私はしっかりと
幸せを貰っています。
何度か
あなたと喧嘩をして
分かったことがある。
愛情があるからこそ
イラッとしたら
誰よりも
許せなくなる。
あなただからこそ
分かってほしいのに!
この気持ちが
強過ぎるんだろうなぁ
と思う。
年月を重ねて
オトナになったら
もう少し
寛大になれるのかな?
#愛情
(題目しらず)
人生はいろいろなものに例えられますね。
今回私は、今の自分、今のあなたについて
例えてみましょうか。
今の自分、その場その時の自分自身は
きっと『料理の味』に例えられるでしょう。
今の自分の発言、性格、行動等は
その時の環境、状況、経験、法則、その他諸々
認識できない全ての条件が揃って叩き出された
たった1つの結果です。
これらの条件が寸分違わず揃った時
それ以外の行動は取れないでしょう、
という意味でたった1つの結果と言いました。
さて、料理には様々な食材、調味料を使いますね。
水で煮るか油で炒めるか、はたまた素焼きするか。
火にかける時間、寝かせておく時間というのもあるでしょう。
これらの要素でその時の料理の味が決まります。
1度加えた要素で味がつき始めたら
もう無かったことにはできません。
それらの要素が全て揃って叩き出されたものが
料理の味と言えるのでしょう。
「それじゃあ…、よくない経験が1度でもある私は、一生不味い味の料理ということですか…?」
と…。
いいえ、心配することはないでしょう。
料理には調味料というものがありますね。
醤油とか、あとブイヨンもここに入れたいですね。
今の自分を作り出しているものの中に
「経験」というものがあります。
これによって性格が決まったり
行動、発言が変わったりと
今の自分を作る上で重要な条件になっています。
今の自分は、その瞬間にある全ての条件から
作られた結果です。
一方、条件の一つである「経験」というのは
過去の全ての条件が含まれた抽出物と言えます。
調味料や料理のベースを作るように
過去の出来事全てを放り込んで
煮出したり、発酵させたり、アクを取ったりして
旨味を出す基にすればよいでしょう。
そう考えると、今の自分も
過去の全ての条件が含まれた抽出物と言えますから
未来の自分の調味料と言えるのかもしれませんね。
ちなみに私は、過去の苦い経験を
苦悩してる人たちへの共感に利用してます。
誰よりも心を届けられるようになる。
さて、自分という料理があれば
相手という料理もある。
お互いの味が近いもの同士は
共感できる、馬が合う
ということなんでしょう。
フランス料理なのかイタリアンなのか
はたまた純日本食なのか。
皆さん、何味なのでしょうね。
貴方から、愛情を貰えるのであれば
それが、監禁でもDVでも良かった
あなたが望むのであれば、友達との縁も切るし、スマホも見せる、
それで、あなたに愛されるなら、、
そうおもってたのに、な、