『愛と平和』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
努力できるのよ。
「何で可愛いのに前髪切ったの?」
「んー?笑 なんでだろうね。私にもわかんない。けど、一番に言えることは自分が不細工だったからよ。」
「えー?でも可愛いよ?」
「私が言っているのはそういう事じゃないわ。
私はね、今でも自分の事を可愛いだなんて思ってない、
むしろ不細工だと思ってるわ。
でも、またいつか自分自身に自信が付く日が来るようにそうやって努力するの。
そして、頑張って可愛くなろうとしてるその時の私が一番可愛かったりするのよ?」
努力できる部分があるのに、心の何処かにある私の変な余裕が、何もしない私を不細工にしていく。
それが今の私の一番のダメなところ。
でもこれはただの私の価値観に過ぎないわ。
だから、あまり鵜呑みにしないで。
地震さえこなければ
愛と平和に満ちた世界が
自動でくると思っているのかい
ばかものめ
〈愛と平和〉
神は可能性だけを与える。
自らの力を振るうようなことはしない。
助けることも、裁きを下すこともしない。
ただ、静観するのみ。
奇跡も悲劇も喜劇も惨劇も、全て。
どう転んだところで、神にとっては愉快な余興の一つでしかないのだから。
今もきっと、ケラケラと大笑いしながら、世界を眺めているんだろう。
テーマ「愛と平和」
【愛と平和】
愛にも種類は沢山あって。
純愛、晒し愛、狂愛…。
メンヘラ、ヤンデレ、ツンデレ、デレデレ。
同じ愛でもその人によってかわってくこと。
ある人は恋人が1番大切。
けど不安や寂しさ故に浮気をしてしまう。
ある人は二人の人を愛してしまい、
ある人の愛は一生届かない場所にあり、
ある人は愛をしんじられなくて。
ある人はそもそも人を愛せなくて。
愛だけあっても平和にはならないね。
看取りのこと
辛いことはすぐには忘れられない。でもね教えて
くれたの。僕はもうすぐいくだから早く来てって。行ったらすごく辛そうにもがいてた。すごくすごく
辛かったと思う。私は印象に残った。私が死ぬまで記憶に残ると思う。なんか答えようとしてた。私は
どうしたの?何がしたい?トイレ行きたい?って
声をかけた。でもなんとなくわかってた。痛くて苦しくて答えが出てこない。何がしたいか分からないってもがいてた。人間を悲しませないように隠れようとして必死に動いて。でも出来なかったね。本当にごめん。ごめんひとりで行かせたくなかったの。私は行かせたくなかったの。みんなも言ってたよ。ひとりで行かせなくてよかったってね。ふてにゃん本当にありがとう。ゆっくり休んでね。忘れないよ
星になってみんなを守ってね。大好き。
看板猫ふてにゃん
『愛と平和』
今、わたしは、愛と平和はリンクしないのがリアルなのだと感じ、打ちひしがれています。
愛する人を守るために銃を持った人たちがいます。
平和を願い銃を持った人たちもいます。
戦争とは、そういうものです。
暴力の人類史で言えば、暴力での死亡者数は減っているとのこと。
でも、それが何だと言うのか。
ゼロにはならないし、戦争もなくなりません。
何千年と同じ過ちが繰り返されています。
「愛と平和」このお題は、心が痛みます。苦手。
愛と平和に満ちた世界
あるのだろうか……
もしあるならどれだけ素敵な事だろうか……
愛と平和を感じられたら幸せな瞬間かな
キミを愛することで世界が平和になるなら私はキミを愛する努力をしよう。
私は平和が好きだからね。
世の中平和が一番じゃないか。
キミも平和を好むのだろう?
でもそうならないなら、そんな保証がどこにもないのなら私は私の生きたいように生きる。
何故かって?
そのほうが私の平和が保たれるからさ
暴力はときに、
自分を護るため、誰かを護るため、何かを護るため、
選ばなくてはならない手段の一つであると私は思う。
平和とは、暴力の不在を意味する。
暴力の存在するところに平和はない。
では、暴力の存在するところに愛は無いのか?
愛するものを護るため、
誰かを手にかけたり、闘いに参加したりすることに、
愛は微塵も無いと、そう言えるのだろうか。
愛は、実体の無いものであり、
それを表す態度や行いは、
いくらでも存在し、どんなものにでも変形しうるのだ。
そして、それは本人が思う限りは、
正真正銘、本物の愛なのである。
つまり、愛はときに暴力という形にもなりうるのである。
愛と平和は、安易に結びつけるものではないと私は思う。
そもそも多くの人がこの二つは共にあるべきだと、
そういう考えを持つに至ってしまったのは、
大多数の意見を元に、
愛を定義付けようとしてしまったからである。
愛とは、暴力に結びつくことのない平和なものなのだと。
全然違うのである。
“可変的”である『愛』と“不変的”である『平和』は。
︎︎◌ 愛と平和 ︎︎◌
愛と平和。
一人で愛することもできるし、憎む相手とでも平和のために黙ることもできる。
愛と平和
愛と平和の両立など存在しない
愛のなかには平和ではなく嘘と争いがある
本当の愛か確かめることができないし
誰かと誰かが嫉妬し合い冷たい戦争が始まる
平和のなかには愛ではなく犠牲と矛盾がある
他が立てば自分が倒れ
自分が立てば他が倒れる
現在が穏やかであれば必ず過去に争いがある
私は愛と平和なんて言葉が大嫌いだ
けどこんな皮肉ではなく
ただ純粋に愛と平和という
言葉を受け入れられる人は私とは正反対の人で
私のような人は一生 愛と平和
の本当の意味を知ることはないんだろうと思う
貴方への気持ちを
公にしたならば
全ては粉々になるであろう
私は
何を望み
何を求めるのか
突き詰めることなく
ただ今を
この時間を
呼吸し続ける
愛と平和
なんか急にニア義務教育アニメみたいなお題
私の思う共通点
気にしていないときが華
愛と平和
どれだけ愛情を与え合えるか
競いあったら、
世界は平和になるのにな。
我は、戦の無いな世を短い期間だが知っている。
戦乱の世から、戦乱の無い世に移ったが民は皆、怯えていた。
むしろ、戦乱の世の方が……活き活きしていたように思う。
しかし、戦の無い世も永くは続かず、この国は民によって滅ぼされた。
そして、今、新しい国が出来ようとしている。
我は、かつて滅びた国の王に仕えていた。
王は、痛みを知っていた。
だから、この戦乱の世を終わらせ、戦乱の無い世を志し、
その不可能と云われた、偉業を成した。
しかし、我らは気が付かなかった。
否、違う。
我らは、民の顔を全く見ていなかった。
民在ってこそ、我らが在ることを忘れていた。
そして、我らは何のために平和な世を望んだか……忘れしまっていた。
民の痛みも苦しみも、これ以上長引かせぬ為だったことを……。
これから先、何百年と戦乱の世を続けない為だったことを……。
だから、我らの国は滅んだのだ。
その事実を新しい王に伝える為、これ以上民を苦しめぬ為、
今日も、我の命を掛け、新しい王の御前に立った。
「愛と平和」
愛の形、愛の色、愛の対象。
これの多様さを拒絶する時、
武力を使えば平和を脅かす。
愛を信じ、裏切られても、
対話をあきらめないなら、
平和をつくることができる。
こんな、綺麗事を並べられることが
一つの平和の姿なんじゃないかな。
# 愛と平和
この言葉を見て思ったこと。
何より大事なことなのに、どうしてこんなに薄っぺらく聞こえるんだろう。
平和じゃなくても、愛は存在するけど、
愛がなければ、平和は存在しない。
まずはみんなが小さな愛を抱くことから始めよう。
家族、友達、動物、植物、自分自身、
どんな対象でもいい。
見返りや報酬なんていらない、与えるだけの愛。
小さな小さな愛が、たくさんたくさん集まれば、大きな大きな力になる。希望になる。
あとは使い方を間違えないで。
愛がたくさんの世界。
想像するだけで、心が温かくなる。
「愛と平和」
私の世界はとても小さい
その小さな私の世界は
今のところ
愛に満ち、平和だ
でも
今の世の中全体が
愛に満ち、平和かと言うと
決してそうじゃない
ひとりひとりの小さな世界が
少しずつ愛に満ち
平和になれば
全世界は平和になるのかな?
何年…何十年…何百年…
どのくらい
時間が掛かるのかな??
″愛と平和″
世界のみんなが
笑顔で暮らせる日が
早く来ますように…
愛と平和。
えーー!!!なんでこんなに愛について考えさせるのー!!!!
もう愛とかいいよー!!!!ってなっている現在。21時ちょいすぎ。
お題に愛についてが多かったとかそういうわけじゃなく、プライベートで愛について考える出来事が重なってて、そう思っちゃいました。
このお題を書くのはまだ早い気がするな…フロムを読んでからだな。
ということで一旦保留。