風乃

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暴力はときに、
自分を護るため、誰かを護るため、何かを護るため、
選ばなくてはならない手段の一つであると私は思う。

平和とは、暴力の不在を意味する。
暴力の存在するところに平和はない。
では、暴力の存在するところに愛は無いのか?

愛するものを護るため、
誰かを手にかけたり、闘いに参加したりすることに、
愛は微塵も無いと、そう言えるのだろうか。

愛は、実体の無いものであり、
それを表す態度や行いは、
いくらでも存在し、どんなものにでも変形しうるのだ。
そして、それは本人が思う限りは、
正真正銘、本物の愛なのである。

つまり、愛はときに暴力という形にもなりうるのである。

愛と平和は、安易に結びつけるものではないと私は思う。

そもそも多くの人がこの二つは共にあるべきだと、
そういう考えを持つに至ってしまったのは、
大多数の意見を元に、
愛を定義付けようとしてしまったからである。
愛とは、暴力に結びつくことのない平和なものなのだと。

全然違うのである。
“可変的”である『愛』と“不変的”である『平和』は。

︎︎◌ 愛と平和 ︎︎◌

3/10/2024, 12:46:07 PM