『愛があれば何でもできる?』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
題.愛があれば何でもできる?
愛はきっと有限。お金は無限。
『愛があれば何でもできる?』
マザーテレサの言葉に
「愛とは分け隔てをせず、ただ与えるもの」と、いうのがある。
愛って、『何でもできる?』とか、そういう大袈裟で俗物的なことではないと、思う。
もっと海みたいなものの気がする。
「赤いね」
「…うん」
「特に匂いとかないんだね、生臭いとか。日にちが経ったらすごくなるのかな」
「え?」
「これって水で拭いてから空拭きすればいいのかな?床赤くなっちゃうのかな。木だし、なんか残りそうだよね」
「うん…」
「どう思う?残りそうだよね。俺、頭今あんまり働かないから陽菜に任せていい?俺は、どうしよ、あの、あれする、これお風呂持ってくよ。わかんないけど、なんか漫画で見たよやり方」
ぐだぐだ。
不穏だ。
「陽菜、聞いてる?」
「…っあ、ごめん、めっちゃあの、ごめん。なんだった?」
「だから、陽菜は床拭いてくれる?俺はお風呂持ってくから」
「…え、何がお風呂?」
「だから、陽菜が床を」
頭が、生まれてきて初めてだ。
眠っているのに、ドクドクしてるような、焦っているような。
頭の中がねずみ色の雲で覆われている。
とりあえず動こうとするも、がくんと膝が折れて、情けなく床に手がつく。ぽたりと床に垂れる透明な液体は、私の涙か、汗か、はたまた赤に見えないやつの血か?
そうであれば、私はもう既におかしくなっている。
「陽菜」
晴生が私のように体勢を低くし、私を抱き締めた。晴生の白いジーンズが床の液体を踏み、赤く滲む。その光景に、思わずはっと息ができなくなる。自分がしたことの現状が、今やっと理解できてきているようで。
「陽菜、ね、大丈夫だから」
「……」
「俺が、俺が何とかするから。陽菜は大丈夫。大丈夫だよ」
何も大丈夫じゃないというのに、晴生は泣きながら微笑んでいた。苦しそうな微笑みが胸を苦しくする。
優しい彼が無駄な優しさを行っていることを、早く指摘して、早く彼を解放しなければいけないのに、私は、
「大丈夫。陽菜。俺が頑張って隠すから。明日から、また一緒にゆったり過ごそう」
「……うん」
ありがとう、が口に出なかった。何も、口にできる気がしなかった。
泣きながら横で床を雑巾で擦る彼は、私のために何でもするようだ。
その愚かさにたまらなく胸が締め付けられたのに、私は何も口にできず、行動できず、ずっと頭はねずみ色の雲のままなのだ。
愛のためならなんでもでき、/
愛があれば、何でもできてしまうのかもしれない
でもそれは、本当に愛なのか
相手を想ってのことなのか
エゴを押し付けてしまっていないか
ー愛があれば何でもできるー
愛はキレイなものだと、小さい頃は思っていた。
薄っぺらい愛、狂った愛、叶わない愛、望まない愛、
成長するにつれ、複数の愛が存在すると知った。
「愛してる」が口先だけのものだったとしても、
それが愛だと思えば愛になる。
愛は魔性、人を盲目にする。
『愛があれば何でもできる?』
できるよ
できるに決まってんじゃん
君のためなら何だってする
何でも
だよ
だから
僕以外要らないでしょ?
不確かなものを信用出来てしまう程
僕は馬鹿じゃないよ
愛があっても、何でも はできない
でもちょっと強くはなれる
【愛があれば何でもできる?】
愛があればなんでもできる?
聞き間違いかと疑った。
明らかに面接において不要な質問を眼前の面接官はしてきたのだ。
一対一の面接である。
突然そのようなことを言い出すのだから、私の緊張は一気に弛緩した。
まあ、聞き間違いかもしれない。
「えっと、すいません。もう一度お願いします」
「いいよ。愛があればなんでもできる?」
聞き間違いではなかった。
面接官は満更でも無い表情で、こともなげに言う。
私より二十は上の男である。
丁寧語くらい使えと言いたいところだが、仕方ない考えてみるか。
うむ。
そもそも私は愛を知らない。
生まれてすぐに英才教育が始まった。父も母も厳格な人だった。与えられたのは知識ばかりで愛情は無に等しい。
それゆえ、質問には答えかねる。
そもそも私は、まだ小学六年生である。
小学生にする質問だろうか?
受ける中学校を間違えたか?
無論、小学生の私に恋人といえる者もいない。
愛など知る由もないのだ。
しかし結論は出ていた。
愛などなくてもなんでもできる。
私は現時点で大学数学を解けるほどの天才小学生である。
勉強だけじゃない。この前の運動会で赤組を優勝に導いたのは私のおかげだと自負している。
だから、答えは――。
「え、あ、ごめんね。泣かせるつもりではなかったんだよ。ただ、君があまりに賢い答えをするから、つい気になってしまって」
私は泣いていた。
それが恥ずかしくて、逃げるように席を立ち、教室を後にした。
校門を出ると、父と母がいた。
二人は優しい口調で何があったのか訊いてきた。
偽りなく、事実を話した。
怒られると思った。
けれど、二人から出た回答は予想に反したものだった。そしてすぐに二人の体温に包まれた。
私は愛されていた。
今の私なら、なんでもできそうな気がする。
愛があればなんでもできる。そう思えた。
〜愛があればなんでもできる?〜
恋をしてわたしは、弱くなった
夜は長くって 退屈で
みんなキラキラ見えて
わたしはなれなくて
いつだって羨んでる 苛立っている
わたしを、そしてあなたすら 壊したくなる
いつか 恋が愛になれたなら
泣いてばかりの弱さもかなぐり捨てて
抱きしめたい
自信なさげに揺れているその瞳を
そのために生きてる 今
その時までどうか、そばにいてほしい
愛が有れば何でも出来る?どんな痛みも、どんな苦しみも乗り越えられる?──そんなはずがあるものか。彼を失った胃を捩じ切られるような痛みも、喉を締め上げられるような苦しみも、代替の愛が与えられたところで癒えはしないのだ。愛を求めて得た痛みを愛で癒そうとも、その後には必ず痛みがやってくる。私達は終わりの無い苦しみの果てを目指して日々を歩んでいくのだ。これからもずっと。
ニューロマンサー
画面に表示された貴方の虚像を追っている
電子の海へとダイブする
貴方を探して
内在する虚構のどこかに貴方がいるのなら
私は追い続ける
ニューラルネットワークの光
貴方との記憶のメモリーを辿る
マトリックスの世界
胡蝶の夢
円環の廃墟
私は貴方に辿り着く
何もかもが新鮮になっていく…
「愛があれば何でもできる?」
「何でもできる?」
疑問符がついてる時点で
「愛があれば」を否定してるよね
愛があれば?
可笑しいね。何でもできるわけない。
愛の数だけ憎しみがある
憎しみは時に人を殺す
愛するがゆえ?
どれだけ正当化しようと殺人に変わりはない
愛は確かに人を救うでしょう
家族 友人 恋人 他人さえ
しかし、愛し尊重するより
愛が人を狂わせることを人間(わたしたち)は知っている
#愛があればなんでもできる?
30愛があれば何でもできる?
だんな様には毎日「好きです」って言ってほしい。
それは祖母が結婚するときに出したほとんど唯一の条件だったそうだ。
祖父はそれを最後まで守った。98歳。結婚してから70年だから、だいたい25500回くらい。大喧嘩で冷戦状態のときも、歯がなくなって発音がおぼつかなくなってからも。安保反対デモに出た帰りも、オイルショックでトイレの紙がなくて困ってるときでも。一日一回、きっちりと。十年くらい前からは、お仏壇に向かって。ここ一年くらいは、ベッドの上で。三日前からは、ほとんど意識がなくなっても。
そしてたぶん、今日が最後になると言われていた。もううつらうつらしているだけで、ほとんど目も開けない祖父が、何か言おうとしている。
ほとんど聞き取れないけど、たぶん最後の「好きです」なのだろう。返事をしたら本当に終わりになってしまう気がして、私も父もおばさんたちも、ただ黙っていた。祖父がちいさく微笑んだ気がした。
愛があればなんでもできる時もあればできない時もあると思う。
人生愛だけでは何もできない時もあると思う。
愛があれば何でも出来る、何て言う下らない精神論がある。嗚呼確かに、愛と言うものを免罪符に叫べばこの世界ではなんだって許されてしまうのだろう。
世界を滅ぼすほどの強大な力を持った魔王を庇っても、自分がいる限り悪さはさせない何て言って置けば許されるし、愛する人のためにと語れば幾らでも人を殺したっていい。
そんなはずがないだろう。愛のためにと起こしたことがすべて許されると言うのなら、その過程で踏みにじられた愛にだって行動する権利があるはずだ。
恋人を魔王に殺された魔法使いにも、邪神を愛したカルト教団の生け贄にされた無辜の民にも、ただ一人でいることを愛していただけの悪魔にだって、その愛を貫いて生きる権利があったはずだ。
被害者たちは仕方のない犠牲? 愛のための礎? そんなもの誰が認めてやるものか。
故に、我々は声をあげた。手を広げ、足を伸ばした。我々が踏みにじられたことは愛の前では些細なことだと言うのならば、我々の愛でお前達が踏みにじられることも仕方のないことなのだろう?
では存分に、我々の愛を思い知ってもらうとしよう。
蒼穹の空の下、幼稚園の運動会は大盛況だ。
ラスト競技を迎える。
クラス対抗、親子リレーだ。
「僕のパパはヒーローだもんね!格好良いんだ!」
そんなこと言われたらさ、パパ…
負けられねぇだろ!
黄色いバトンを担い、脚は地面を蹴った。
#愛があれば何でもできる?
愛
ワカラナイ
な
いめーじとしては
あったかくて
つめたい
ふわふわで
とげとげ
あるようで
ない
知りたいようで
そのままでいい
どう?
そんでもって
何ができんダロ
#愛で。。なんだっけ
「『何でもできる』の『何でも』にどういう制限を仕込むか、登場人物にどこまでのスペックを付与するかで、結構変わってくるんじゃね?」
俺は「実現可能不可能は別として、恋で頭がいっぱいなやつは、愛の下に何でもやろうとする」学派。
異論は認める。某所在住物書きはそう付け足し、朝から食っているカップアイスにスプーンをさした。
「『愛を理由に法を外れることも実行できますか』とか、『愛を理由に自分の命を危険にさらすことも実行できますか』とか、その辺がメジャーどころ?
一部の親御さんは『子供のためなら』の愛情から、後者を実際に実行しちまうこともあるらしいな?」
愛ねぇ。物書きは首筋をかき、深く考え込んで……
――――――
「『あいがあれば』? ふざけるな」
雪国の田舎出身な先輩が溶けた。
「あいがあれば、ひもまたすずし、か?あいがあれば、とーきょーのきおんを、さげられるか?」
東京の、今日の最高気温は30℃予報。朝の時点でもう20℃を超えた。明日は最高32℃予想らしい。
「やってみせろ。できやしない。あいがなんだ」
真夏もほぼ35℃以下、冬は最「高」気温氷点下。そこから上京してきた先輩は、東京に来てもう長い筈なのに、毎年毎年4月の20℃、5月6月の夏日で、暑さに負けて溶けてエアコンが効き始めるまで机に頬つけて死んでる。
「だまされるものか。あいなど、あってもなつは、すずしくできない……」
さっきから愛に恨みをぶつけてるのは、隣部署の体育会系なタイイク課長が「お客様への愛があれば」とケアレスミス注意の朝会スピーチしてるからだと思う。
「何でもできる」がどうとかも言ってた。
いつもバリバリ仕事して、ゴマスリ係長からの仕事の押し付けもパッパとさばいて、真面目で感情ちょっと平坦な先輩が、でろるんと、チカラなく頬も指先も重力に任せてる。
それはウチの風物詩で、「春も終わるなぁ」、としんみりし始める目印だった。
「あのね先輩。『愛があれば何でもできる』って、そういうハナシじゃないと思う」
「いいや。『なんでも』、できるハズだ。なんでもできるなら、あいがあれば、おんだんかだって」
「行間読むって大事だと思うよ先輩。あと新人ちゃんが持ってきた情報だけど、ウチのフロアのエアコン不具合か何かで調整入るって。動くの数時間後だって」
「おのれタイイク」
「いや隣の課長関係無いし。……アイス買ってくるけど、先輩いつものやつ?」
「たすかる。ありがたい。たのんだ」
愛よりアイス。アイスは夏日を救う。
なんか、ささやき程度の小さい声で、アイスと私への感謝を述べてる先輩。
東京の明日は、今日より暑い。エアコンの調整が万が一今日で終わらなかったら、先輩はきっと、明日無理矢理にでも在宅ワークに切り替えるか、
クーラーボックスかポータブル冷凍庫に、低糖質アイスと冷茶をぎっしり詰めて職場に来る。と思う。