『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
幸せとはなんだろう。私は「自分にとって悔いのない状態のこと」だと予想する。だが、幸せの形は人それぞれだ。少しでも「幸せ」というものに近づくために何かできることはあるだろうか。まず、幸せの反対はなんだろう。「不幸」や「不安」だろうか。私は疑問だらけの日々を過ごしているが、こうして疑問に思うことができる何気ない日々も「幸せ」というものなのかもしれない。そんな時私は、この言葉を見つけた。「幸せを追い求めている限り幸せにはなれない。生きる意味を探している限り生きることはできない」その時私は気づいた。幸せは探すものではないことに。語彙力が乏しくまだまだ未熟な私だが、将来どのような日々を過ごしているだろうか。「悔いのない状態」であることを願っています。
「幸せ」
幸せとは
他人の不幸の上に成り立ってるものだろう
そういうもんだって割り切った方が
いきやすいぜ
No.208『幸せとは』
「 幸せとは、それが何か分からないこと 」
だって多分、不幸せを知ってる人は幸せを知ってる。
なぜなら不幸せを知ってる人は幸せを本気で願った人だろうから。
私たちは本当の不幸せが分からないから本当の幸せも分からない。
不幸せを経験せず、幸せが何かを考え続ける、それが幸せじゃないだろうか?
「幸せとは」
人によって、幸せってそれぞれだから、何が幸せかなんて決められない。
同じ出来事でも、それを幸せと思うか、不幸と思うか。
それは人それぞれの受け止め方で、環境やタイミング等によっても違うと思う。
ただ、これだけは言えると思う。
一番の幸せは、幸せを感じられる自分で居られる事だと思う。
どんな出来事でも、それを不幸と感じるか、幸せと感じるかは自分自身だから。
自分の不幸も幸せも、決めるのは他の誰かじゃない。自分しかいないから。
物事に不満を感じて「不幸だ」って嘆くより、どんな事でも受け止めて、その上で「それでも私幸せだよね」って言える事が、そう言える自分で居られる事が、一番幸せだと思う。
色んな事がある。辛い事、苦しい事、受け入れ難い事、信じたくない程の事、不公平な事、納得行かない事、理不尽な事。
これでもか、って程嫌な事が続いて、悪い事ばかりが畳み掛けてくる時もある。
でも、それでも尚、その上で。
目の前の不幸よりちっぽけでもいいから幸せを、現在の不幸より過去や未来の幸せを見て、「それでも私は幸せだ」って言える、そんな心を持っていられる自分で居られれば。
それが一番幸せだと思う。
『幸せとは』
美味しいご飯を食べる時。
何かに没頭している時。
推し活している時。
幸せとは
夕食の後、ごろ寝してテレビ見てる自分は
幸せなんだろう
もう少ししたら片付けます
【幸せとは】
何か大きくてキラキラしたものだと
思っていたよ
だから
知らなかったよ
バカなこと言い合って笑い転げる
君との日常
幸せ。世界が一度は感じる幸せ。
幸せなんて、誰にもこれだと決められない。
それが幸せ
2025/01/04『幸せとは』
人には様々な考えがあって、あるものの見方は人によって変わる。「幸せ」もそう。何を幸せと感じるかは人それぞれだし、他人の感じ方に文句をつける筋合いは他人にはない。
それを留意した上で。僕にとって幸せとは日常。ゲームして勉強してゲームして怒られる。それが幸せ。日常を過ごすことで自分の存在意義を見つけられるから。自分の居場所がはっきりと分かるから。
僕は代々酔いやすい体質である。そして今、車に揺られている。これが示す意味が分かるだろうか。そう、もう限界である。……気持ち悪い。でもそんな日常が幸せ。ということでいつもより少し短いけれど、失礼します。
幸せとは概念
つまり存在しない
存在しないが存在してほしいから生まれた
神様と同じ
だからあまり囚われず、満足する出来事を重ねて行きましょうよ
幸せとは
自分が決めるもの
誰がどう言おうと
自分が幸せと思えば
それが幸せ
隣の人と
違ってもいい
………幸せとは
すごく難しいお題きた〜〜〜
私の幸せとは、お昼まで寝てられること。
まだ冬休みだから出来てることだけど、夜更かししてお昼まで寝てられるのが最近本当に幸せ。寝れるだけでも幸せだけど。
お題l:幸せとは
【今、不幸ではないですか?】
(創作)
お金と顔ほど結論の出ない真理はないと思う。そして幸せとも切っても切れない永遠の問題。
富豪が「お金と幸せは関係ない」と言っても嫌味にしか聞こえないし、逆に貧乏人が「お金より大事なものがある」と言っても負け惜しみにしか聞こえないだろう。
顔もそう。
美人や美形が「大事なのは心の綺麗さだよ」なんて言えば憎悪が湧くし、不細工が「人間は顔じゃない」と言うと憐れまれる。
間違ったことは言ってない。でも「間違ってはない」ことは誰も救わない。
お金があっても幸せになれないことがある。顔が良かったことで辛い目に遭うこともあることを私たちは本当は心の奥底でうっすら知っているし、それに安堵している嫌な自分もちゃんと自覚している。
この二つは必ずしも幸せの“担保“になるとは限らない。借金になることすらある。
理不尽、不公平、不平等、宝の持ち腐れ、
意味わかんない。でもどこか清々する。その「幸せ」を使いこなせなかった人を。
生きているうちに幸せをゲットしにいくことが幸せなのか、生きているうちにもう幸せを知らずうちに手にしていることが幸せなのか、
それとも幸せはそもそも「不幸の予告準備」なのだろうか。
もしかしたら幸せはなんなのか、と考えられる時間があることが一番幸せなのかもしれない。
『幸せとは』
誰にも掴めない、白昼夢のような陽炎。
手を伸ばすほど遠い、蜃気楼のような幻。
手にしている時は気付けない、当たり前という名の奇跡。
幸せとは
(お題更新のため本稿を下書きとして保管)
2024.1.5 藍
ふかふかの布団。
42度のお風呂。
炊きたてのご飯。
丁寧に淹れた珈琲。
ソファーで眺めるドラマ。
コンソメパンチ。
コタツで食べるアイス。
喃語で話しかけてくる息子。
毎日の小さな幸せ。
『幸せとは』
目前の敵を倒すこと。それがお国のためになると考えて生きてきた。相手の息の根を止めるときに喜びを覚えてからは躊躇が無くなり、さらに多くの敵を倒せるようになった。仲間からは気味悪がられたが、今となっては変えようのない自分の性になってしまった。
湿度の高い密林に暑さが加わり、部隊の仲間の数が半分にも満たなくなったころに戦争に終わりが告げられる。祖国に帰ってきたときに空襲と新型爆弾で多くの国民が亡き者にされたと知り、何万という人間を顔も見ずに殺す手段を取って戦争を終わらせられたことにとてつもなく腹が立った。自分がそれだけの敵を倒せたなら、その喜びは如何ばかりだろうか。銃剣を握りしめられたなら良かったが手元にそれはなく、軍刀すらもない。自分の幸せはこの国のどこにもなく、今や誰にも許されない。それを形作ったのはこの国であるというのに。
ふふ、と笑いが漏れた。
幸せとはラカンの言う対象aに
折り合いを付けること何じゃないかな?
抽象度の高い概念って何か深淵なものとして
価値があると漠然と感じるけど
それをあえて一旦おいといて
より具体的なものに目を向ける方が
なんかいい気がするよ たぶんだけどね
一瞬の喜び
或いは占いの上位
或いは幸せを知らない事
幸せとは
学生時代に聴いた言葉で、未だ印象的なものがある。
学期末ごとに控えた試験さえなければ、聞き流すことも多く、板書を追うばかりだった倫理の授業でのこと。
先述の通り、さして興味も薄く聴いていたものだから、一体誰の名言だったのか。偉人の名前をとんと思い出せないのがお恥ずかしい。
それでも、分かりやすく噛み砕いて教えてくれた恩師の言葉の一節だけは今も覚えている。
人生とは、例えるなら錆び付いた指輪である。
錆が多く、辛く苦しいことが多くとも、一瞬でも光り輝く、宝石のような幸せな時間があるのであれば、その人生は輪を巡って、何度でも繰り返す価値のある有意義なものである。
かれこれ十年以上も前のことなので、恩師の言葉も、そもそもの偉人の言葉としても、ニュアンスや意味までもが曲がってしまっているかもしれない。
そうだとしても、
困難にあるとき。
悩み立ち止まるとき。
度々思い返すもののなかに、この言葉がある。
学生の頃はここまで記憶に残るとは夢にも思わなかった。
きっとこれからもこの言葉を思い出し、また道しるべを貰うのだろう。
願わくば。忘れてしまったかの偉人の名を、いつかまた知りたいものである。
(2024.01.04 title:003 幸せとは)