『小さな命』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「小さな命」
命一つ一つが
愛される権利を持っている
ただ、権利を持っているだけで
命全てが愛されるなんて約束はされていない
「小さな命」
儚く弱い小さな生命たちが
やがて大きく強くなり、
愛を育み、小さな命を授かる。
この繋がり、先代達の紡ぎが
この世界の、僕の生命になっている。
なんて神秘的で醜く見えるほど美しいのだろう。
一つ、また一つと命は枯れ、
一つ、また一つと命は生まれる。
今、俺の目の前に居る彼は紡がれた命の一つ。
そして俺も紡がれた命の一つ。
その二つは、どこか似ていて、でも何もかもが違う。
俺たちは命を紡げない。
解ってた。辛かった。
彼は笑ってくれただけだった。
知らないフリをしたかった。
こんな俺が縋りついている彼が不憫で仕方ない。
分かっているつもりなのに。
「何泣いてるの、」
「何でもない…」
「なら泣かないでよ。」
彼は俺の手を取り応えた。
その手は暖かくて、大きくて。
「…本当は、女が、良い、とか思ってんの?」
「は?」
「子供も、結婚も、出来ないよ、こんな俺じゃ」
止まらない。いつの間にか目から涙も溢れていた。
「…ばかかよ、」
彼はふ、と笑うように言う。
「そんなおまえだから、愛したんだろ。」
彼が笑って唇を落とす。
それだけで幸せで。
俺の命の道はここで終わる。でも
どこか、幸せなような。このままでいたい。
#小さな命
子供の頃というのは、男の子は特にそうだが色々な昆虫を手に取り、観察をしたり遊んだりしたのではないだろうか。かく言う私もその一人だ。家の周りや活動範囲内というのは、木々が生い茂り草花が鮮やかに世界を彩っていた。そんな環境で学校帰りや、休日には親に怒られるまで昆虫を追いかけて遊んでいた。ここまでなら可愛い子供をイメージするだろうが、私は違った。ダンゴムシを見つければ焚き火の中に放り込んでみたり、セミを見つければおもちゃの小さな箱の中に押し込んで土に埋めたりした。ダンゴムシを窓のサッシに設置して、そこにチョロQを走らせたりもした。蟻を見つけては蜂蜜やオリゴ糖をかけて反応を面白がったり、モンシロチョウを見つければ片っ端から木の枝で叩き落として土に埋めた。
好奇心や探究心の塊だった私に、いきものの命などという考えはまるでなかった。否、自覚をしていたかったというべきだろうか。近所のケーキ屋の軒先に地域猫用の餌が置かれていたのを見た私は、洗剤を混ぜたり適当なものを混ぜ込んだりした。そこに悪意や殺意、傷つけようなどという考えも気持ちも、想像すらなかった。ただひたすらに思うままに動いていた。家の前を流れる穏やかな川に降りて水生昆虫を探したり、探検をした。丸太が流れ着いているのを見かけたのは、大雨の次の日だった。雨が降ると恐ろしくなるようなうねりを上げて、茶色い濁流となって轟音を響かせる川に自然の怖さを感じたものだ。丸太を観察してみたくて川に降りたが、この時は当時仲のよかった友達と一緒だった。彼と共に、丸太の近くに堆積していた石を避ける。丸太の片方を持ち上げると猫がいた。生きていたのか、既に無くなっていたのか分からない。分からないのは、私がその丸太を何度も猫の上に落としたからだ。息があるのかどうかも確認もしないままに、興味だけでそんなことをしたあとで考えてしまった。私が殺めたのか、既に息絶えてそこにいたのか。川に流されて尽きたのか、やはり私が普段は使わない頭を全力で回転させたが意味の無い事だった。前後の記憶が曖昧で、よく思い出せない。これは今でも思い出せない。
どの様ないきものも尊い命だ。この世に生きる儚い命だ。いつ尽きるとも知れぬ切ない命。例え悪意がなくとも、殺生は許されない。傷つけること、傷つけようとすること、侵害しようとすることは命を軽んじているということである。この地球上に生まれて、ここの役割を果たすために必死に生きる小さな虫たちにも、私たちと同じだけ重く尊い命がそこにある。人間の生死を目にし、耳にした時ショックを受けるように、そんな小さな命も同じように扱わなければならない。人間というのは存在しているだけで地球環境にとっては、害をなすものでしかない。しかし、虫やというのは環境を維持するためにそれぞれの役割を意図せず果たしている。生きることで環境のために貢献している。動物たちもそうだ。しかし人間というのは文明社会を築くために、あらゆるものを侵害し、身勝手に侵略し侵食してきた。今もまたその真っ只中にある。
人間は、生かされていることを忘れてはならない。植物や虫、動物の存在あって人間という脆弱で傲慢な生き物は生きながらえている。私は、この愚かで矮小な人間の先頭にいる。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。奪った虫の命やあの日の猫のことを思う、後悔や罪悪感で押しつぶされそうになる。もしもあの時、猫と命を奪っていなかったとしても、その亡骸をぞんざいに扱ったことに違いはない。か弱く儚いいきものの尊厳を踏みにじったことの事実は、たとえ私がどれだけ自責しようと変わらない。私は実に愚かで稚拙な人間だ。
仏教には地獄という考え方がある。私のように弄ぶように命を奪うことを繰り返した人間は、間違いなく地獄に堕ちる。死後、この魂は地獄で自らが犯した罪の重さと愚かさに苛まれ押し潰され続けるのだ。この先、どれだけ善行に励もうがそんなことは関係の無いことだ。たとえ虫のような小さな生き物だろうと、人間と同じたった一つの命なのだ。子供の頃に、自らの行いを恥じ、自覚したときから私は私が殺めてしまった虫たちのことを忘れたことは無い。
小学生の時に大切な友人を病気で失った私は、命の儚さ切なさ、重みをよく分かっていたはずだ。それにもかかわらず人間以外には、とても酷いことをしてきた。なんて醜い人間なんだ私は。この話を読んだ人は私のことを嫌うだろう。私のことを愚かで傲慢で、身勝手で馬鹿な人間だと罵るだろう。しかし、私にはそれだけの原因がある。理由と事実があるのだ。軽蔑してくれたっていい。どのように償っていいのかなど、分かるはずがない。ありえない数の命を奪ったのだ。人にやさしく、親切に接して尽くしたところで何にもならない。いつも思い出しては苦しくなる。辛くなる。
嗚呼、私はなんて馬鹿なのだろう。
以前のお題:閉ざされた日記を思い出した。
「小さな命」について、まだ気持ちの整理がついていないのだと目尻が熱くなった。
何度も同じことを繰り返しているかもしれないけれど、今回もまた繰り返す。
命を宿すことは奇跡。
無事誕生するのは更なる奇跡。
そしてその命が今生きているのは、
奇跡の連続であると。
小さな命の存在は、とても大きな存在。
自分の人生が一転しても抱きたい存在。
ワタシにとっては。
お題:小さな命
何もできないこいつがいないと、俺は何もできないんだ。こいつがいてくれるから、昔は何もできなかったはずの俺が、こんなふうに生きられるようになったんだよ。
命ってすげぇよな。
そう言ってまだあどけない小さな命を甲斐甲斐しく世話する彼は、とても忙しそうで、とても幸せそうだった。
【小さな命】
いのちに
ちいさい
おおきい
って
あるんだ
しらなかった
きらいだな
ふざけんな
いのちはいのちだろ
2023/02/24 「小さな命」
それは突然の事だった。
君が俯いたまま不安そうに
お腹に手を当て伝えて来た。
「此処に居るの…」
その言葉に僕の時間が止まる。
部屋には静寂な時間が流れる。
話そうと口を開くが言葉にならない。
「迷惑、だよね…」
目の前の君の肩が小さく震える。
「迷惑じゃない!」
僕の言葉に、君は驚いた様に顔を上げる。
自分でも驚くほどの声が出た。
さっきまでは言葉にすらならなかったのに。
「驚かせてゴメン。でも、これだけは言わせて。」
「迷惑なんかじゃない。凄く嬉しい。」
君の目が潤んでる。きっと僕の目も…。
こんなに嬉しいのに涙が出る。
君も僕も泣きながら笑ってる。
「初めまして」
「僕達の元に来てくれてありがとう」
「僕達の可愛いー小さな命ー」
『小さな命』
何も厭わず無邪気に笑って
駆けてく子供を見るたびに
私みたいになる子がひとりも
いないといいなと切に思う
私にとって小さな命というものは沢山ある。
植物や人や犬などの動物だけではなくロボットやテレビ...動くものには全て命はあると思う、だがこれら全ては私にとって大きな命とは思わない。
なぜなら自分の命が1番大切だからだ。そう言われるとみなさんは他のものや人は自分の命と同じぐらい大切だと言えるだろうか?
私は先程も言ったとおり自分以外の命は自分より大きいものでは無いと思っている。
みなさんはこんなニュースを見たことあるだろうか。
今から6年前(2017年)にあった福岡県大川市川口小学校で実際に起こった「ゴールポスト事件」について、その内容としては当時小学4年生の男児が体育の授業中にサッカーのゴールキーパーをしていたところゴールの上部から垂れ下がっていた"ネットの1部"にぶら下がりゴールが倒れ下敷きになり死亡したという内容だ。
この事件を聞き、みなさんはその男児のことを可哀想だと思うだろうか。思う人も思わない人も勿論いるだろうだがそれは本当に可哀想と思っているのだろうか?心のどこかではどうでもいいと思っているのかもしれません
勿論、感じ方は人それぞれです絶対に「可哀想」「可哀想じゃない」と決められてる訳ではありません。
私はこの事件を聞いて可哀想とは思いましたが正直どうでもいいです。自分にとって全く知らない人が亡くなっても自分はその人のために泣きませんし何かしようとも思いません。そのぐらい私にとって亡くなった男の子の命は小さいものなんです。
他の人、ものに対してもそうです。
時計が突然動かなくなって使えなくなってしまった時あなたはその時計に対して悲しいという感情を抱きますか?何回も言いますが感じ方は人それぞれです。
どう思うにもその人が思うことはその人の正しいことです。
なので私は他の命は自分の命より大きいものでは無い小さな命だと思っています。
毎日子どものことで頭が痛い。
子どもは可愛いなんて誰が言った?
つくづく思うのは
子どもを可愛がれるのは
その子どもの親しか居ないってことだ
小さな命
皆小さな命で生まれる
周りに支えられて
色々な経験をしながら
自分なりに精一杯生きる
そして大きくなっていく
ここまで育てられた命
いつかくる寿命まで
これからも大切に
私は今、小さな命を待っています。
治療を決意したとき
主人はタバコをスッパリやめました。
彼の決意を知りました。
大きな手術を経験したとき
酸素マスクをつけている私の手を彼はギュッと握ってくれました。
彼の優しさを感じました。
テレビの影響を受けて養子縁組の話をしたとき
『僕は2人で楽しく暮らせればそれでいいと思う』
彼の愛の深さに触れました。
あなたが私達のところに来ずとも
あなたのおかげで、すでに沢山の大切なモノを手にすることができています。ありがとう。これにあなたがいたら、いったいどんな未来が待っているのでしょうね。
私は今、あなたという小さな命が
私の体に灯るその日を待っています。
日毎に
優しく
日毎に
美しく
日毎に
遠くなる
あなたとの
日々
日毎に
哀しく
日毎に
寂しく
日毎に
深くなる
わたしの
想い
✩ 日毎に (48)
それも大事だけど自分と他人も大事にしようぜ
(自己を犠牲にしてる人たちと他人をサンドバッグにしてるゴミへ)
有名人が死んでも
一般人が死んでも
同じ『死』であって、
同じ『小さな命』であって、
私たちはその小さな命を守るため
日々鍛錬をしているのです
命を懸け生まれた小さき精霊
皆を笑わせ笑顔にし
少し困らせる精霊
毎日成長し何時しか独り立ちをする。
精霊は独り立ちするまで愛される子もいれば
この世から去る子
親の顔色を伺い育ち言葉を失う子
それぞれの一生を過ごす。
小さき命はそれぞれの生き方で一生をすごし
誰かの手で失われる。
【小さな命】
今年は、1月なのに4月のように暖かい日があった。
その日は、天気もよくて風邪も心地よく春を感じた日だった。
その日、猫と犬は毛が生えかわろうとしていた。それと、3回刺されて嫌いな蜂もでてきた。
色々な生き物が、春が来たと思ったのだろう。
僕は、また寒くなることを知っていたが、教える事は、出来ない。
でも、教えられるとしたら残酷だろう。
犬と猫は、可愛いから教えてあげる。
蜂には、嘘をつくだろう。
たった三度、蜂に刺されただけであっちにも言い分はあるだろう。
しかし、僕は小さな命の死を願っている。
誰にでもひとつだけ
自分にしかできない
使命があるんだよ
どんなときも優しく丁寧にね
いのちの重さはみな同じで
壊れやすいものだから
暗雲が立ち込める時でも
決して忘れてはいけないよ
誰かにそう囁かれて
私は光の中に吸い込まれた
喜びと希望を携えて
我が家の犬は
ときどき「いのち!」と呼ばれる
安心して眠る姿
目ですべてを語るようす
食いしん坊ぶり
柔らかくあたたかな身体をあずけてくれる
この子のなかで
この子を生かしている「いのち」
その存在そのものが尊くたまらないとき
おもわず「いのちちゃん!」と呼びかける
すると
静かな目でわたしを見つめ返し
「あなたもいのちだよ」
そうか
すべては同じに生かされている
(そして「いのちちゃん」はやはり尊い)
「小さな命」
#27