『小さな命』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
以前のお題:閉ざされた日記を思い出した。
「小さな命」について、まだ気持ちの整理がついていないのだと目尻が熱くなった。
何度も同じことを繰り返しているかもしれないけれど、今回もまた繰り返す。
命を宿すことは奇跡。
無事誕生するのは更なる奇跡。
そしてその命が今生きているのは、
奇跡の連続であると。
小さな命の存在は、とても大きな存在。
自分の人生が一転しても抱きたい存在。
ワタシにとっては。
お題:小さな命
何もできないこいつがいないと、俺は何もできないんだ。こいつがいてくれるから、昔は何もできなかったはずの俺が、こんなふうに生きられるようになったんだよ。
命ってすげぇよな。
そう言ってまだあどけない小さな命を甲斐甲斐しく世話する彼は、とても忙しそうで、とても幸せそうだった。
【小さな命】
いのちに
ちいさい
おおきい
って
あるんだ
しらなかった
きらいだな
ふざけんな
いのちはいのちだろ
2023/02/24 「小さな命」
それは突然の事だった。
君が俯いたまま不安そうに
お腹に手を当て伝えて来た。
「此処に居るの…」
その言葉に僕の時間が止まる。
部屋には静寂な時間が流れる。
話そうと口を開くが言葉にならない。
「迷惑、だよね…」
目の前の君の肩が小さく震える。
「迷惑じゃない!」
僕の言葉に、君は驚いた様に顔を上げる。
自分でも驚くほどの声が出た。
さっきまでは言葉にすらならなかったのに。
「驚かせてゴメン。でも、これだけは言わせて。」
「迷惑なんかじゃない。凄く嬉しい。」
君の目が潤んでる。きっと僕の目も…。
こんなに嬉しいのに涙が出る。
君も僕も泣きながら笑ってる。
「初めまして」
「僕達の元に来てくれてありがとう」
「僕達の可愛いー小さな命ー」
『小さな命』
何も厭わず無邪気に笑って
駆けてく子供を見るたびに
私みたいになる子がひとりも
いないといいなと切に思う
私にとって小さな命というものは沢山ある。
植物や人や犬などの動物だけではなくロボットやテレビ...動くものには全て命はあると思う、だがこれら全ては私にとって大きな命とは思わない。
なぜなら自分の命が1番大切だからだ。そう言われるとみなさんは他のものや人は自分の命と同じぐらい大切だと言えるだろうか?
私は先程も言ったとおり自分以外の命は自分より大きいものでは無いと思っている。
みなさんはこんなニュースを見たことあるだろうか。
今から6年前(2017年)にあった福岡県大川市川口小学校で実際に起こった「ゴールポスト事件」について、その内容としては当時小学4年生の男児が体育の授業中にサッカーのゴールキーパーをしていたところゴールの上部から垂れ下がっていた"ネットの1部"にぶら下がりゴールが倒れ下敷きになり死亡したという内容だ。
この事件を聞き、みなさんはその男児のことを可哀想だと思うだろうか。思う人も思わない人も勿論いるだろうだがそれは本当に可哀想と思っているのだろうか?心のどこかではどうでもいいと思っているのかもしれません
勿論、感じ方は人それぞれです絶対に「可哀想」「可哀想じゃない」と決められてる訳ではありません。
私はこの事件を聞いて可哀想とは思いましたが正直どうでもいいです。自分にとって全く知らない人が亡くなっても自分はその人のために泣きませんし何かしようとも思いません。そのぐらい私にとって亡くなった男の子の命は小さいものなんです。
他の人、ものに対してもそうです。
時計が突然動かなくなって使えなくなってしまった時あなたはその時計に対して悲しいという感情を抱きますか?何回も言いますが感じ方は人それぞれです。
どう思うにもその人が思うことはその人の正しいことです。
なので私は他の命は自分の命より大きいものでは無い小さな命だと思っています。
毎日子どものことで頭が痛い。
子どもは可愛いなんて誰が言った?
つくづく思うのは
子どもを可愛がれるのは
その子どもの親しか居ないってことだ
小さな命
皆小さな命で生まれる
周りに支えられて
色々な経験をしながら
自分なりに精一杯生きる
そして大きくなっていく
ここまで育てられた命
いつかくる寿命まで
これからも大切に
私は今、小さな命を待っています。
治療を決意したとき
主人はタバコをスッパリやめました。
彼の決意を知りました。
大きな手術を経験したとき
酸素マスクをつけている私の手を彼はギュッと握ってくれました。
彼の優しさを感じました。
テレビの影響を受けて養子縁組の話をしたとき
『僕は2人で楽しく暮らせればそれでいいと思う』
彼の愛の深さに触れました。
あなたが私達のところに来ずとも
あなたのおかげで、すでに沢山の大切なモノを手にすることができています。ありがとう。これにあなたがいたら、いったいどんな未来が待っているのでしょうね。
私は今、あなたという小さな命が
私の体に灯るその日を待っています。
日毎に
優しく
日毎に
美しく
日毎に
遠くなる
あなたとの
日々
日毎に
哀しく
日毎に
寂しく
日毎に
深くなる
わたしの
想い
✩ 日毎に (48)
それも大事だけど自分と他人も大事にしようぜ
(自己を犠牲にしてる人たちと他人をサンドバッグにしてるゴミへ)
有名人が死んでも
一般人が死んでも
同じ『死』であって、
同じ『小さな命』であって、
私たちはその小さな命を守るため
日々鍛錬をしているのです
命を懸け生まれた小さき精霊
皆を笑わせ笑顔にし
少し困らせる精霊
毎日成長し何時しか独り立ちをする。
精霊は独り立ちするまで愛される子もいれば
この世から去る子
親の顔色を伺い育ち言葉を失う子
それぞれの一生を過ごす。
小さき命はそれぞれの生き方で一生をすごし
誰かの手で失われる。
【小さな命】
今年は、1月なのに4月のように暖かい日があった。
その日は、天気もよくて風邪も心地よく春を感じた日だった。
その日、猫と犬は毛が生えかわろうとしていた。それと、3回刺されて嫌いな蜂もでてきた。
色々な生き物が、春が来たと思ったのだろう。
僕は、また寒くなることを知っていたが、教える事は、出来ない。
でも、教えられるとしたら残酷だろう。
犬と猫は、可愛いから教えてあげる。
蜂には、嘘をつくだろう。
たった三度、蜂に刺されただけであっちにも言い分はあるだろう。
しかし、僕は小さな命の死を願っている。
誰にでもひとつだけ
自分にしかできない
使命があるんだよ
どんなときも優しく丁寧にね
いのちの重さはみな同じで
壊れやすいものだから
暗雲が立ち込める時でも
決して忘れてはいけないよ
誰かにそう囁かれて
私は光の中に吸い込まれた
喜びと希望を携えて
我が家の犬は
ときどき「いのち!」と呼ばれる
安心して眠る姿
目ですべてを語るようす
食いしん坊ぶり
柔らかくあたたかな身体をあずけてくれる
この子のなかで
この子を生かしている「いのち」
その存在そのものが尊くたまらないとき
おもわず「いのちちゃん!」と呼びかける
すると
静かな目でわたしを見つめ返し
「あなたもいのちだよ」
そうか
すべては同じに生かされている
(そして「いのちちゃん」はやはり尊い)
「小さな命」
#27
『小さな命』
これから始まる誰も知らない物語
この世に産まれた小さな命
這えば立て 立てば歩めの親心
与えられるものは少しだけど
教えられることは少ないけど
残せるものも大してないし
見届ける時間は限りがあるが
他の誰でもないキミが
他の誰も真似出来ない
キミだけの物語を
描き 紡ぎ 未来に繋げる
唯一無二の命の物語を…
そんな願いを込めて
僕たちは
キミのためだけに
この名前をプレゼントする
こんな風に言うと
なんだか荷が重いって感じるかな?
小さな命
それを聞いて真っ先に思い浮かんだのは、
ペットだった。
忠犬で、
子供でも大人でも誰にでも懐くペットだった。
そのペットを飼っていたのは、年老いた老人だった。
数年後
年老いた老人は、忠犬に餌をやるとき
こんな言葉を呟くようになった。
『お前と俺、どっちが先に死ぬのかな。』
『でも、俺はお前を見届けてから死にたいよ。』
っと。
忠犬は、その言葉を聞くたび
くぅーくぅーと鳴く。
1ヶ月後、老人は〇んだ。
犬は行く先無く、保護施設に預けられた。
施設には、
忠犬と同じく行き場を失った犬が山ほどいた。
この先、日本は少子化がもっと進む。
この話、貴方はどうとらえますか?
「小さな命」
あの日
無責任にも
天に還した
小さな命は
今どうしてるだろう
生まれ変わって
誰かの愛に包まれ
幸せだといい
そんな
無責任な母の祈り
そんな資格なんて
到底ない
あなたには
憎む権利があるよ
ね、小さな命
俺は、中学の頃いわゆる不良で、自分の命も、他人の命も、愛おしいと感じたことは無かった。
あいつを連れ帰ろうと思ったのは、せめて、今までの分、他の命を大切にしたい、そんな気持ちからだったのかもしれない。
溶けそうなほど暑い真夏の炎天下。
俺は、大学からの帰り道、いつも通る公園の前で、不思議なものを見つけた。
「うわ、なんだ?これ」
ソイツは、眠るみたいに地面に横たわっていた。
一見植物のようにも見える細っこい身体。
教育番組のキャラクターみたいにチープな目ん玉がふたつくっついただけの顔(たぶん)。
猫とも狐ともつかない中途半端な大きさの耳(らしきもの)。
照り返しの強いアスファルトの上でステーキのように焼かれているわけのわからないソイツを、しかし俺は
助けた。
謎の使命感にかられていたのだ。
クーラーをつけ、お皿の上にソイツを寝かせて、水をジャージャーとかけた。
するとソイツは、ピコリと起き上がり、俺の方をキラキラした目で見つめた。
こうしてみると結構可愛いかもしれない。
俺は夏休みをずっとソイツと過ごした。
一緒に過ごすうちに色々とわかってきたこともある。食事は水だけでいいこと、なんとなくどこかで会ったような雰囲気があること、なぜか地震をとても怖がること・・・
ある日、ニュースで南海トラフについて報道されていた。
地震に関することがテレビでやるたびに、ソイツは、じっとテレビに見入っていた。
俺はそのたびに、言い知れぬ不安感を抱いた。
ソイツがやってきて結構経ったある日、もう季節は巡って、春になっていた。
その日、おかしなことが起きた。
俺は起きたら、なぜか実家にいた。
正確には実家のベッドだ。
カレンダーは2011年。
俺は飛び起きて下の階におりると、目を疑った。
母さんと父さんが並んで朝食を食べている。
俺はもしかしたら、まだ夢を見ているのかもしれない。
姉の柚葉は、なぜかいつもはいるのに、食卓にはいなかった。
その日の午後、俺はすべてを思い出した。
急に地響きのようなものが聴こえ、家が縦に横に揺れた。
まるで、巨人に家を振り回されているかのようだった。
揺れが収まった後、俺は姉はどうしたのかをようやく思い出した。
姉はこの日、旅サークルの仲間と宮城県を訪れており、そのまま東日本大地震に巻き込まれて死んだんだった・・・
父さんと母さんが荒れていた俺を心配するなか、姉だけは、俺のことを信用して、『あの子は大丈夫』と笑っていてくれた。
喧嘩して傷だらけで帰ってくると、遅めの夕飯を作ってくれることもあった。
姉貴の作る夕飯はいつも決まって春巻きだった。
そんな心の支えだった姉がいなくなってしまったこともあり、俺はなんとなく、喧嘩とか、そういうものに意味を見出せなくなっていった。
それどころでは無かったからだ。
さよならを言えなかった。
それどころか、俺は、感謝すら照れて、伝えられなかった。
そのとき、遠くで風鈴が揺れるような澄んだ音が聴こえたような気がして、振り向くと俺は、自室にいつの間にか立っていた。
俺はすぐさま、狭い1LDKの家の中を探したが、ソイツの姿は、もうどこにも無かった。
代わりに俺が、見つけたのは、狭いキッチンにラップをかけて残された春巻きだった。
俺はそれを見て、涙と言葉がどちらともなく溢れ出すのを止められなかった。
「ほんとに、ごめん・・・。ありがとう・・・」