『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は
小学校の夏休み
畳に寝ころがって
呼ばれたらそうめん食べて
気が向いたら宿題して
たまに弟妹つれてセミとりにいって
そんな感じだったな
友達とは放課後毎日遊んだけど
夏休みの間は夏祭りのときに偶然会うだけ
それが良かった
『子供の頃は』
「けんかしちゃった…」
「宿題忘れました」
「赤点だ」
子供の頃は、たくさんの失敗をした
「ごめんね」
「すみません」
「次はしません」
そんな言葉を述べれば、大抵のことは許してもらえた
でも、大人になるとそうはいかない
目立ちすぎず、地味すぎず、かつ人気を集めるように
人からの信頼を、評価を、価値を一番に考え、
常に期待に応える動きをしなければならない
―失敗は許されない、一度も
「子供の頃は」
こんなお題を出されても、まだ未成年でボンクラな僕には書くことはそこまでないんだけどな……
まぁ、小さな頃に比べたら何かに追われる日々っていうのが確実に増えてるなと思う。今は将来に向けた勉強や社会に出たときのマナーを教わったり、部活やら塾やらで休んだり遊んだりすることも少なくなった。社会に出た人達から見たらほんとにちっぽけなことかもしれないけど、それでも大変だなぁ〜って日々思ってる。
小さな時に輝いて憧れていたものも、成長するにつれて真の姿をみる羽目になり、くすんで蔑むようになっていく。でも今はそのおかげで新しい出会いや憧れを持つこともできている。
今と昔、どっちが悪いってこともない。今の自分を何かで比べたいだけなんだと思う。確実に背は伸びてるし頭も良くなっている。子供の頃の無邪気さも大人の冷たい考えも良し悪しがある。
そろそろ僕も社会の一員になるから、どこかで会ったらよろしくお願いします。
子供の頃は
としが離れた
弟を
もっと
可愛がれば
良かった
今
後悔してる
子供の頃は
気づいてなかった
今は感謝しかない
なな🐶
2024年6月23日1569
子供の頃、私は自然に囲まれた田舎町で育ちました。四季折々の美しい風景の中で、毎日が冒険の連続でした。春には桜の花びらが舞い散る中を友達と走り回り、夏には川で泳いだり、セミを捕まえたりして遊びました。秋になると、色とりどりの紅葉が広がる山で栗拾いやキノコ狩りを楽しみ、冬には雪合戦や雪だるま作りに夢中になりました。
学校から帰ると、まずランドセルを家に放り投げて、そのまま外へ飛び出して行きました。どこまでも続く田んぼのあぜ道を歩きながら、虫取り網を振り回し、時には近所の友達と秘密基地を作ったりしました。何も考えずにただ無邪気に遊んでいたあの頃が、とても懐かしく思い出されます。
夜になると、家族で食卓を囲みながら一日の出来事を話し合いました。母の手料理の温かさや、父の優しい笑顔が、私の心に深く刻まれています。子供の頃の記憶は、私にとって宝物のような存在です。あの時感じた喜びや感動が、今でも私の心の中で生き続けています。
大人になった今、子供の頃の純粋な気持ちや無限の可能性を思い出しながら、日々の生活に活かしていきたいと思います。子供の頃の自分に負けないように、毎日を全力で生きていこうと心に誓っています。
子供の頃は
みんなを幸せにする
魔法使いになりたかった
今は君だけの
魔法使いになりたい
子供の頃は
題【子供の頃は】
私が子供の頃は…。
子供だったら、もっと純粋で何でも素直に楽しむことができるのかな?
私は大人になってから、イライラして、楽しまないですぐ、「疲れた」「もうきつい」とか、散々言ってたな。
ごめん。もっと正直に、子供にお手本を見せるべきだったよ。
もしかしたら、子供が大人の私に教えてくれていたのかも?
子供の頃は
絵本のような空想を描いて
カラフルな夢を見ていた
年齢を重ねるごとに
色褪せてはがれ落ちて
魔法はとけてしまった
無邪気に手を振るのは
小さな硝子の僕
欠片を拾い集めたら
あの頃に戻れるだろうか
子供の頃は澄んでいたあの瞳
穢れを知らない純真な心が放つ
不思議な色と耀り
自由を手に入れるために
大人になって知る痛みと快楽
あの頃に見えていた風景が
今は見えない
自由という名の孤独
手に入れたものは何ひとつない
ただ…ひとつの真実は
孤独の中で確かめた君の温もり
もう二度と…離さないと誓う
子供の頃は
スカートはいてました
学校の制服もスカートだったし
社会人になっての数年間は制服がスカートで
それ以降は誰かの結婚式とかではいて
あとは礼服もスカートだけど
とりあえず私服のスカートとか
持って無いので
大人になった今はずっと毎日ズボンです
ズボン
この言い方古いかな
子供の頃は
足が太くなかったんですよね
家族で海に行く旅行が好きだった。父親がサーフィンをしていたのでその影響で自然が好きだった。
キャンプにもよく連れて行ってもらい楽しかった思い出がある。
自分の興味の赴くままに過ごしていたあの時。
自分の気分次第で行動できていたあの時。
私は、オオイヌノフグリが大好きだ。
よく子供の頃は、祖母と家の周りを散歩していた。
春になるとたんぽぽやつくしが、そこらじゅうを埋めつくしていた。
その中でも好きな花が「オオイヌノフグリ」。
花言葉は考えないとして。
単純に、小さくて儚くて。でも確かに咲いていて。
心の底からオオイヌノフグリの魅力に惹かれた。
しかし、大人になった今。
オオイヌノフグリを目にすることが少なくなった。
意識的に道端に咲いている花を見ようとしていないこともあるだろう。
それ以上に、自分の背丈が伸びて目につかなくなったことが要因である。
子供の頃は、綺麗で鮮やかな青色の絨毯に見えていた
オオイヌノフグリ。
オオイヌノフグリの大きさは、子供の頃も、
大人になった今も変わらないというのに。
来年の春は子供に戻って少ししゃがんで見てみようか。
もっと世界が大きく見えるに違いない。
#3 子供の頃は
子供の頃はもっと無邪気だった。
子供の頃はもっと楽しめた。
子供の頃は___
大人になると、子供の頃の気持ちを
忘れて、純粋に楽しめなくなることが多い。
でもそれって、言い訳だよね。
何もかもめんどくさくなって楽しむのを忘れてるだけ
子供の頃は大人に成りたくて。
大人に成ると、子供に成りたくて。
人間って、本当身勝手で。
腐ってて。
純粋無垢だったあの、こころは。
使って。使って。使って。
使い果たして。
弱ってしまった。
そんなこころから。煌めきを絞り出す。
子供の頃は他人の目なんて気にしなかった
他己紹介というのした時ボーっとしてると友達に紹介された
ボーっとして見える自分が嫌で直そうとしたら
他人の目が気になり始めた
先生、他己紹介なんてさせるんじゃねーよ!
子供の頃は良かったなぁ……
なんでって、分かるでしょ?
公園で遊ぶのに禁止なんてなかったのに、今じゃ、ボールはダメ、うるさい声もダメってさじゃあ何して遊べって言うんだろうね、
それに、子供の頃はなんも気にしなかったもん、税も安かったし、勉強なんて難しくもない……
怒られまくったけど、そのおかげで常識のある人間に慣れたとは思うよ、それも楽しかったなぁって…
今じゃさ、怒られることに怯えて、失敗することに怯えて、人前に立つことに怯えて、正しいって言うことすら出来ずに怯えて、1人になることも怯えて、勉強が出来ないことにも怯えて、これが成長だ?
おかしな話だよ
ねぇ?大人たちはどうして怒るの?間違ったことをしたなら怒らなきゃいけないけどさ、公園で遊んでるだけでも怒られなきゃダメなの?失敗したら怒るのはなんで?
あれやりなさい、これやりなさいって
子供の頃は自分に従って、自分の好きなように、1人でも、友達とでも…自由だったなぁ
【子供の頃は】
子供の頃は。子供の頃はできたこと。なんだろう。それは、簡単なこと。
親に守られ、甘えることだ。親は子を守る。甘えさせてくれる。だが、大人になった今、自立しなければいけない。自分の身は自分で守らなければならない。親もいつかはいなくなる。だから、子供の頃は、親に甘えることが大切なのだ。
「子供の頃は」
何もかもが楽しかった。
何もかもが怖くなかった。
いつからこんなに
怖くなったんだろう。
未来はあるか?
「子供の頃は……」なんて言ってしまってはキリがないから、今ここにあるちょっとしたいいところを見つけられる大人になりたい。
日常&子供の頃は
6畳の和室と、窓から見える小さな庭だけが、わたしの世界の全てだ。
井の中の蛙。それがわたし。
部屋を出るなと厳命されているので、わたしの日常は大変つまらない。
わたしの部屋にやって来るのは、わたしの世話兼監視のための乳母と、時々兄。
本当は兄に会っては行けないみたいだが、兄は気にせずやってくる。
兄の来訪をいつも待っていた。
乳母はいい顔をしないけど、わたしは兄が来てくれないと暇で死にそうだから毎日来て欲しかった。
学校に通い始めると兄はあまり部屋にやってこなくなった。
わたしはもちろん何もせずに部屋にいろと言われているので、家の外どころか部屋の外にも出れない。
時々聞こえてくる、子供と思われる楽しそうな笑い声が、羨ましすぎる。ずるい。私もその会話に混ざりたい。そう思って妄想するも、どうしても外の子たちに混ざる自分が思い浮かばない。妄想の中くらい、わたしも友達が欲しいのに。
嫉妬心と諦めの、単調な日々。
そんな日常が、塀の上に現れた男の子によって変わった。
「頭がおかしくなるとまぼろしって本当に見るんだ」と感心してたら、「俺はまぼろしじゃねーよ」と返された。
兄よりも声が低くて、乱暴な言葉使いに驚いた。
びっくりしすぎて、そのまま倒れた。
体が熱いと思ったら熱があったみたいで、目が覚めた時には布団の中にいた。
さっきの男の子は、たぶん幻覚。
熱があったからだ。
「今日は元気そうだな」
「……わたし、今日も熱あるのかも。まぼろしが見える」
「だから俺はまぼろしじゃねーし」
倒れた日から三日たった今日。
男の子はまたやってきた。突然倒れたわたしの様子を見に来たらしい。
「ねぇ、せっかくだから何か話してよ」
「なにかって、なんだよ」
「楽しいとか、面白いこととか?」
「ないな」
「なんでないの?」
「じゃあ、お前はなんか楽しいことあったかよ」
「ない」
「そういうことだ。毎日同じことして、つまらねぇよ」
彼は定期的にやって来て、彼と話す時間だけは楽しい時間だった。
これが子供の頃のわたしの日常。