『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子どものころは…
親の目を気にしていつもいい子にしていたと思う。
厳しいわけじゃなかったけど、言うことを聞かなかったり、親の意図していることからズレたことをしていると、感情的に怒られた。
だからこそ、私は人の感情を察知することにとても敏感になった。
大人になって保育士になったけど、子どもの気持ちを察することに、子どものころ親から受けたことが、大いに役に立つなんて…
思ってもみなかった。
漫画を読むこと、歌を聞くことが大好きな子どもだった
それは今も同じ
おかあさんあのねわたし
おかあさんだいすきなの
はなしたいこといっぱい
だけどいつもいそがしい
おりょうりにおせんたく
わたしねいつもみてるよ
あそんでもらえるときを
だけどいつもいそがしい
ぎゅっとしてほしいのに
おかあさん おかあさん
おかあさんだいすきだよ
『子供の頃は』
子供の頃は
今私は高校1年生でまだまだ子供だ。
お題が「子供の頃は」なので高校1年生の私を大人とする
私が2歳の頃、子供の頃は喘息が酷かった。
親が煙草をやっていたせいか(父)それとも遺伝かどちらもあると思うがそのせいで息が出来ず、毎日過呼吸になっていた。
3歳でアトピーを発症した。
もう痒くて痒くて、痛くて、ヒリヒリして、夏なんかは特にきつかった。
小学生に上がり近所の大人からの暴言、小石を投げられるなど、少し嫌がらせをされていた。
小さかった私には相当ストレスだったらしく朝起きたら布団が自分の血で埋め尽くされている程血まみれだったらしい。
なんだか振り返ってみると
小学校の先中学でいじめに遭い、いじめられる運命なのか、いじめられたのは必然なのかととても考える。
可哀想な子だ。災難な子だと言われてきたが
それでは私が可哀想だ。子供の頃の私を救うために私は生きてると言ってもいいのかもしれないと考える。
明日も朝起きれることを心から願う。
子供の頃の私がいつか、どうか救われますように。
報われますように。
我儘ばかり
世界は自分中心に回ってると思ってた。
上手くいかなければ泣いて
好きな人が出来ればまるでお嬢様
だが、ある日自分が見てる世界が一転した。
【子供の頃は】
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声が出なくなればいいと思った。
喋れば誰かが悲しむ。
大好きな人も
助けられない
この声は枯れてしまえばいいと.....。
辛いとも言わないし
苦しいとも言わない。
ただ声が枯れてほしいだけ。
悲しい人間というのは、生まれた瞬間から悲しみを持っていたのだろうか。それとも、悲しみは環境や遺伝によって生まれたのだろうか。
私が私である経緯を知りたい。どうして私は私なのか。
異常性癖について私はずっと興味がある。私が子どもの頃変なものばかり好きだったのは、生まれた瞬間からその性質を持っていたからだろうか。それとも環境や遺伝のせいだろうか。
もし環境や遺伝のせいだとしたら、人間は何にでもなれるの?もし生まれ持ったものなら、天使は天使として、悪魔は悪魔として産まれてくるの?私はそうではないと信じたい。
何を書きたいのか、言いたいのか、分からなくなった。
とにかく子供の頃は、変なものばかりが好きだった。
正直、あんまり覚えていない。
通ってきたはずなのに、なんでか忘れてる。
思い出せないのか、思い出したくないのか。
どちらにせよ、戻れないことだけは確かで。
”子供の頃は”ただ大人になりたかっただけなのに。
大人になった今は、ただ終わることだけを目標にしているんだ。
子供の頃は
テーマ:子供の頃は #222
子供の頃は
何でもなれると思っていた。
何でもやれると思っていた。
でも
現実は違って
僕たちの子供の頃
思い描いていたものと
全く違っていて
失望したりする。
でも
だんだん大人になるうちに
人にはやれることと
やれないこと
得意なことと
苦手なことがあることに気がついた。
僕は君と違ってできないことはあるけど
君のできないことができる
僕にしかできないことがある
だからこそいいんだ。
最近そう思える。
もちろん自分の持っているものが
足りないと思うこともある。
憧れたり
尊敬したりする気持ちがないわけじゃない。
ただ
誰かを羨むだけじゃなくて
誰かと自分を比較するんじゃなくて
自分を認めて
褒めて
酔うことだっていいことだと思うんだ。
だって
僕も君も
この世界にたった一人しかいないんだから。
爽やかな風
夢中になって
草原を駆けて行く
言葉ではなく
感覚に溺れて
心のままに
―子供の頃は
子供の頃は
今よりずっと
出来ることが少なかった
興味があっても
手を伸ばす勇気が無かった
子供の頃は
今よりずっと
自由に画用紙に絵を描けた
肌色にとらわれることなんてなくて
歌もただ我武者羅で
大人にはない、素直さや
純粋さや飛び込む勇気
思いもよらぬ考えだってあったな
我が子を見ていて
ふとそんなことを思うよ──
(2023.06.23/子供の頃は)
"子供の頃は"可愛かったのに
"子供の頃は"小さかったのに
そう言われる事がある。
それは感動とも嘆きとも取れる言葉だと思う。
もうこんなに大きくなって、という意味か
こんなに大きくなってしまって可愛げが無くなった、という意味か
どちらにせよそれは成長している証であるから悪い事では無いのだけれど。
そもそも子供の頃はみんな無垢で可愛いものであって、子供の頃は物理的にも精神的にも小さいだろう。
なのに何故そんな当たり前の事を言うのかは分からない
しかし、これだけは断言出来る。
その言葉は私の事を小さい頃から知ってくれていて、私を精神的にも物理的にも大人にしてくれた方だけが使える言葉なのだ、ということ。
例え血縁関係がない相手でも、人間はどこかで関わり合い、支えられて生きているものなのだろう。
「子供の頃」
子供の頃と言われても一言で表すことができない。
良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいこともたくさんたくさんあった。
数えきれないくらい嘘をついたし、数えきれないぐらい人からありがとうも言われた。
子供ころは、ばあちゃんやじいちゃんも元気だったけど、今では、立ち上がることすら辛そうに見える。
殺したいと思うほど嫌いな人もできたし、苦しくて狂うほどに好きな人もできた。
好きな子と二人きりになるために、同じ部活も入ったし、同じ趣味を見つけては話しかけた。
そんなあの子も私とは違う人と結婚をしている。
友達や家族と山にも行ってキャンプやバーベキューをして、海にも川に行って泳いだり釣りもした。
満点の星空を眺めて感傷に浸ったこともあるけど、バケツをひっくり返すような雨にうたれながら泣きながら帰ったこともある。
親からしたら私は、頭も悪く要領の悪い子供だったと思う。
それでも、私をここまで育ててくれた。
そして、産まれてきてくれてありがとうと言われたとき感情がぐちゃぐちゃになった。
そんな私が今では親だ。
私が子供だった時よりも、いろんなことをさせてあげたい、いろんなことを学んで経験して挫折して成長して欲しい。
ただただ、健やかに育って欲しいと心から思う。
-父も母もこんな気持ちだったのだろう。
父と母に言いたい、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと。
そして、私の子供にいつか言おうと思う、産まれてきてくれてありがとう愛してると。
子供の頃は
わたしはお姫さまで
ペガサスや動物がお友達で
魔法が使えて
世界の中心にいた。
いつの間に
わたしはお姫さまじゃなくなって
ペガサスや動物たちはいなくなって
魔法の力は消えてしまって
モブキャラクターみたいな気分で
世界を見るようになってしまったのだろう。
子供の頃は…ていえるほど大人ではないけど、小2くらいに戻りたいな、とは思う。小2くらいに戻ったら、まず、推しをチャンネル登録する。推しが実況者だから。そして古参になって、ハッピーライフをおくる。
子供の頃はただ何も考えずに気楽に生きてきた、だけど年齢が上がるにつれてそうもいかなくなってきた。
「どうして人目を気にしなきゃいけないんだろう」自分の好きなこともできなくて
「周りとずれてるな」周りと比べるといつまでも子供のまま成長してなくてどこかズレてて
「いつまでも子供のままがいい」自分の年にあった振る舞いをしないと協調性がないとされる
「なんだか…生きづらいな」
これは私、神白夢花が子供の頃に経験した不思議な体験をお話します。
あれは、近所にある桜姫様という出会いの神様を祀っている神社でお祭りをやっていたときでした。そこでは毎年春になると出会いの季節ということもあって桜姫様の名前に由来して桜祭り、春祭りなどと呼ばれている祭りが行われます。
私は、毎年その祭りに行くのが楽しみで桜姫様はどんな姿をしているのか気になっていました。子供ながらに可愛らしい見た目をしているのだろうと思っていたのですが神社の裏で桜色の着物を着た20代くらいの不思議な女性が座り込んでいるのを見かけました。
私は心配になり、その女性に声をかけました。
するとその女性は
「あら、可愛らしい女の子が一人でここに来たの?」
と問いかけてきました。
私は、友達と来たけど途中で逸れてしまったことを伝えました。着物の女性は「ならそのお友達がここに集まってくるまで私が一緒にいてあげるね」と言ってくれたのでその言葉に甘えて一緒にいさせてもらうことにしたんです。
1時間くらいたった頃でしょうか。遠くに友達がいるのが見えたので、私は女性がいたところに目を向けるとなんといなくなっていたのです。
これは後から知ったことですがその桜色の着物を着た女性は恐らく出会いの神様である桜姫様ではないかと神社の神主さんに言われました。話によると桜姫様はまだ出会いのない人の前に現れ、友情や恋愛面などの出会いを促す神様なのだと聞きました。
迷子になっていた私の前に現れたのは、人に化けてお祭りに参加したのはいいものの人の多さに酔ってしまい神社の裏で休んでいたところを私に声をかけられたのだという推察らしいです。
そして、私は今その桜姫様を祀っている神社の見習い巫女をやっています。また会える日が来たならば、あのときの思い出話などをしたいと思っています。
子供の頃は、していいこととしちゃいけないことの区別が全然つかなかった。色んな大人に迷惑をかけたし、同年代の子供には白い目で見られてた。
失敗を繰り返していると、流石に頭の悪い私でもこの現状がまずいことがわかった。
だから何もしないことにした。区別がつかないのなら、最初から区別しなければいいんだと。最初はそれでも良かった。でも、もう少し大人になって気づいた。
あー、あれってただの現実逃避だったんだなって。
頭を使うことから逃げてただけだった。
今も私は何もできない。
次は、どこに逃げるんだろう。
子供の頃は
私の子供の頃は他人の目を気にしてる子だった。
親を喜ばせたり、
仲間はずれにならないように、
人に好かれるために頑張ってた。
でも疲れて引きこもり。
こんなに最悪な人生はなかなかない。
よく頑張って生きてる方だと思う。
こんなに身体中に傷があるのに生きてるなんて。
貴重な生き物だと思う。
私を解剖してうつ病治療の発展に役立ててほしい。
子供の頃は…と言えるほど時間は進んでないけど
たまに小さい頃に戻りたくなる。
小さい頃といっても小学生くらいのとき。
あの頃は授業が終わったらすぐに家に帰って、
ただいまと同時に必需品の3DSを持って
行ってきますをしていた。
10人くらいで集まって一緒に通信して、交換して。
鬼を倒すためにみんなで協力もしたりして。
今じゃきっと作れない思い出がたくさんある。
それがなんだかちょっぴり寂しい。
それから中学高校と進んで行って
今ではすっかり開かれることのなくなった3DS。
正直どこにあるのかも分からないし
充電器もカセットも見当たらない。
綺麗な思い出を綺麗なまま取っておくのって
案外難しいのかもしれない。
子供の頃は、末っ子に生まれた事で
親や姉達に甘えて育ち、ワガママを
いっぱい言って育った
成長するにあたって、少しずつ変わった
けれど、家族の間ではまだまだ素直に
なれなず、気分屋のまま
もう少し、大人にならねば(笑)
僕は夢見がちな子供じゃなかった
友達がプロ野球の選手になりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか言ってるのを聞いて、心の中で「そんなのムリに決まってるじゃん」ってバカにしてた
かわいげのないガキだよね
だけど今は違う
本気で叶えたい夢があるんだ
笑わないで聞いてくれる?
僕は、君の心を手に入れたい
絶対に叶えてみせる、なんて言ったら引く?