『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「あそこの……あの人、子供っぽくない?」
「わかる。あんな美人に擦り寄るクセに、やることはただ話して引っ付いて…ガキの交流かよ」
通りすがりで見てるだけの人間が、私の友達の悪口を言っている。友達は聞こえてる筈なのに、何でも無いように…いつもと変わらない態度で接してくる。
試しに聞いてみる。
「悪口、嫌じゃないの?」
「んー……そこまで。テメェ等何にも知らねぇじゃんって心の中で言うだけで”いや”が消えるから」
「そうなんだ」
ふふ、君は強いなぁ。
「⸺さん、そろそろお迎えの時間じゃないですか?」
え、あぁ…もうこんな時間。もう少し遊んでいたかったけど、お迎えに行かないと泣かれちゃうもんね。
「そうだね、私の可愛い可愛い長女ちゃんを迎えに行ってあげないと、泣かれちゃうかもしれないし。今日は買い物に付き合ってくれてありがとね、⸺さん!」
「こっちこそありがとう、私の天使ちゃん!」
天使って……私の本性、見抜いてたりするのかな。
私が、人間の革を被った異形の天使だってこと。
【新しい友達、天使ちゃん!】
チャレンジ84(子供のように)
爽やかな秋晴れが続いたと思ったら、この数日は、汗ばむ気温である。参ってしまう。
エアコンをつけるか否か、家内と言い争いになった。たかが、エアコンである。子供のように意地を張るより、相手に合わせたほうが無難だ。家庭の平和のために。
実は先月も、サーティワンとハーゲンダッツ、どちらのアイスが美味しいかについて、家内と口論になった。私はハーゲンダッツが好きだ。家内はサーティワンが良いと言う。些細なことで言い争いになるのは、子供だ、本当に。
変わっていく君の、子供の頃のまま変わらない笑顔が大好きだ
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ-子供のように
子供のようにと聞いて、皆さんはどう感じますか。
このような議題があがった、
ある者は、楽しく遊ぶ子供たち、
ある者は、だらしない大人、と言う。
私は、これを聞いて、考えた、
自由奔放なことをしているのが子供という
ものなのか
だが、ある一つの事例で、それは、否定される、
だって世界には、子供が労働力となっているとこも
あるじゃないか。
つまり、国、地域で、子供の意味は変わる、
私達は、プラスの方向で考えることができるこの国
に生まれたことをもっと、幸せと思うべきである。
子供のように
疲れを知らない
子供のように
時が二人を追い越してゆく
取り戻すことが
できるなら
僕は何を惜しむだろう
布施明さんの
シクラメンのかほり
それを聴いて
疲れを知らない
子供時代を
思い出して泣いていた
元気の手加減を知らず
突然の電池切れの眠り
非道で残極で無邪気だった
子供のように?
失うことを知らぬまま
全力で走り回りたい
抑止力とか考えなくていいよ
みんな子供であればいいんだ
♯子供のように
「子供のように」
子供のように肌がツルツル、モチモチならいいのに…、
と最近すごく感じる。
もう無理だと分かってても、色々抗っている。
化粧品も変えてみた。
一ヶ月後どうなってるかな〜?
変化があるかな〜?
つい最近「わかったさん」を全巻揃えました。うち6冊は、子どもの頃に買ってもらったものです。新たに買ったものと並べると、背表紙の色褪せに気付かされます。
全10巻。どれも過去に何度も図書館で読んだもの。もう一度読みたいというよりは、所有したいという気持ちが強くありました。
ところでこの「わかったさん」、新しいシリーズが始まったことをご存知ですか。わかったさんのあたらしいおかしシリーズ。1作目はスイートポテトです。
おはなしを作っていた故・寺村輝夫さんを原案者とし、絵を担当されていた永井郁子さんが、想いを受け継ぐ形で実現されたそうです。
知ったときは、絶対に買うという使命感めいた感情が湧き上がったものの、未だ手に入れていません。
その行動心理は自分の中でもはっきりしていて、言葉にするならば「がっかりしたくない」です。本の内容にではなく、自分に。
もう楽しめないかもしれない。
既刊を揃えたのは、すべて手元に置くことで、子どもの頃に持っていた、ただただ無邪気に胸躍らせ弾む心を、もう一度取り戻せるような気がしたからです。でも新作は違う。いま、わたしが、初めて対面し、初めて感想を抱く物語なのです。だから怖い。
対象年齢を考えれば当然のことです。わたしはもう、より複雑な物語を理解し、求めるようになっている。それは成長であり、経験によるものであり、ただの経年変化とも言えます。
パティシエになりたかった時期があります。お菓子を作る時間は至福でしたし、何より家族や友人に褒められるのが嬉しくて。生のクッキー生地の卵色、滑らかに照るチョコレート、焼きたてのパウンドケーキから立ち上るほのかに甘い香り。全部好きでした。
味見してどんなに自信があっても、ラッピングしたあとはなぜか不安になる。だからこそ「おいしい!」の一言がよく効きました。今考えると、自己肯定感を高め、承認欲求を満たす術のひとつであったのだと思います。
そのあと夢は何度も差し変わり、わたしは今、制服を着て、カウンターに立ち、他人のお金を右から左に動かす仕事をしています。信用だけで成り立つ何千万もの紙幣も、他人のものであれば、コピー用紙の束となんら変わりありません。
わたしは大人になりました。
ただし「つまらない」と形容詞で言い切るには、趣味も娯楽も多く、自分の楽しませ方をよく心得ていて、新たな夢も持っています。失ったもの、取りこぼしたもの、切り捨ててきたものは山とありますが、確かに今が楽しい。
推しもいます。子どもの頃には見向きもしなかったであろう、スコットランド出身の俳優、53歳です。
それでもやっぱり縋りたくなるものが「わかったさん」の中には詰まっている。それは認めざるを得ません。だから怖くて新作を読めない。おかしいでしょう。でも真剣に、そうなんです。
そうは言っても、結局は近いうちに、買っているような気がします。わたし自身があの頃と同じ感性で受け止められなくても、今を生きる子どもたちに届くよう、シリーズを続けるわずかな支援として買うのも、大人のやり方として悪くないかもしれません。スイートポテト好きだし。
もし期待どおりでなくても、そっと閉じて大事にしまっておきます。宝箱だと思えばいい。あるいはタイムカプセル。それもきっと、新しい楽しみになるはずです。いつかまた、クッキーのひとつでも焼いてみようと思える、その日まで。
「子供のように」
いつまでも現実を知りたくない君。自分の妄想空間に囚われてばかり。そして囚われていることすらも自覚は不可能である。はたから見れば愚かで不気味な幼稚な人間。
………続く
お題「子供のように」(雑記・途中投稿)
「こども」を「子供」って表記するの珍しいな。文章書かせるアプリだからそこそこ表記にはこだわっていそうなのに。
小学校の時の教師が変な主張で「障がい者」とか書かせる教師としても糞なタイプだったからか、熟語を漢字かな交じりで表記されるの未だに違和感を覚える。
「障害者の害は害があるという意味です」って「障」だって「差し障りがある」の意味じゃん。熟語としては「害悪」と同じで似た意味を重ねるってだけだし、障害って書こうが障碍って書こうが実態は全く変わらん。(なお障碍って書き換えが一番嫌い)
閑話休題。
子供のようにって言われると、無邪気なとかそんな意味になるのかもしれないけど、無知は罪だよ。悪意がないのは許される理由にはならないんだよ。といつも思う。子供、大っ嫌いです。見ず知らずの子供が特に。
「子供がやった事なんだから」は鷹揚に許す側の発言であって、謝罪すべき親が言う言葉ではないって今の親知らないんだろうけど。躾できない親も開き直る親も大嫌いですよ。子供以上に。
と言いつつ、今通勤電車の沿線に私立小学校があるらしくランドセルで通う小学生がいるんだけど、見るたびに羨ましいなって思っちゃう。両親とも公立学校卒業だからそんな発想が出て来なかっだんだろうけど、小学校教師が上記の通り頭おかしかったからね。教師って子供育てるの下手くそな印象がある。友人のところも勝手に物捨てられたって言っていたし。(結婚して新幹線か飛行機の距離に引っ越しているし。結婚が早かったのも、親との仲が悪かったからではと思っている)
でもネット知識見る限りでは私立でも変な教師いるらしいから、やっぱり子供作るって嫌だなと思う。親のエゴの塊だし、年端も行かない他人の人生振り回すなんて迷惑な事私はしたくない。
今の私に子供の様な瞬間があると
したら、母が作ってくれたレシピ
を完コピし食べた時❗️
子供のように迷子みたいな顔をしていた
誰かいなくてどこに行けばいいか分からなくて
途方に暮れたみたいな顔をして
それでも泣かずに待っていたよ
でも現れなかったよ
何も誰もいなかった
寂しかったなんて言えなかった
助けてなんて言えなかった
ねえ、私はどうすればよかったの
人は子供の頃に楽しかった記憶、満たされなかったことを追いかけ続ける生き物だと思う。
浮わつく心
旺盛な好奇心
無邪気さ
素直さ
大人になっても忘れないように
いつまでも人生の青春を
一件のLINEが届いた。
いつものように広告かなと思いつつも、開いてみると──友人からの遊びの誘いだった。
大人になると、友人を遊びに誘うことは躊躇してしまうことの一つだ。
学生時代と大人では、生活リズムや家庭の事情等が複雑になり、気楽なお誘いは難しくなる。
私自身、何度も遊びに誘おうと思ってタイミングを見ては諦めていたのだが──友人から遊びのお誘いが来るとは。
嬉し過ぎるではないか!
テンションが上がると、何故か心は子どもの頃のような感覚に戻っていく。
何をするのも楽しいと思えたあの頃の感覚だ。
大人になっても案外覚えているんだなぁと、しみじみ思う。
その一方で、いつも胸にあった重苦しさが消えて、気楽な感覚になっていることにも気が付く。
これはきっと、友人によって好奇心の塊だった当時の自分がインストールされたからだ。
「遊びに行こう」
紡いだ言葉に当時の自分が重なっていく。
──きっとこの遊びは、楽しいものになる──
そんな確信を持って、LINEを送信した。
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子どものように
【子どものように】
身体がおおきくなった今でも、不安になったりプレッシャーを感じると私の手を握ったり、明け方に布団にもぐりこんできたりする甘えたがりの我が子
温かな体温、静かな寝息、まだまだ子どものやわらかい頬にふれながら、きっとこんなふうに母親に甘えてきたんだろうな私も、と思う
ベランダで月を眺めながら煙草を燻らせていたあの頃を思う 寄る辺のない自由さと自分への嘲笑とつきまとう孤独感は、煙草と同じくらいニガくて煙草と同じくらい癖になって、まるで悪い情夫のように離れられなかったものだけど
今はもう要らないかな
ベランダで飲むのは、大きなマグカップのカフェオレ、暖かいストールとセーターで
この子が、あたたかな世界で生きてくれることを祈る
この子をとり巻く世界が、いつもこの子に優しくあるように、子どものように祈る
**『湖に囁く声』**
静かな湖のほとりに、悠也は一人座っていた。日が沈むと、湖は穏やかな静寂に包まれ、彼の心もまた同じように波立つことなく沈黙していた。風が水面を撫でるたびに、かすかな波紋が広がっていく。その中に、彼は自分自身の影を見ていた。
「他の子供たちのように、無邪気な笑顔でいられたらよかったな…」
心の中で、幼い頃の自分が囁いた。彼は、かつての友人たちと遊んでいたあの頃を思い出した。皆が笑い合い、走り回り、何もかもが楽しかったはずだった。しかし、悠也はどこかその輪に完全に溶け込むことができなかった。無邪気な笑顔でいることができなかったのだ。
湖の水面に映る自分の顔は、無表情だった。笑いたくても笑えなかった、あの頃と同じだった。
「どうして俺は、他の子供たちのように笑えなかったんだろう?」
風が静かに吹き、彼の問いに応えるかのように湖が揺れた。ふと、どこからか優しい声が聞こえてきた。
「1人は苦しいか?」
悠也は驚いて周りを見回したが、誰もいない。ただ湖のさざ波だけが静かに音を立てている。まるで湖そのものが彼に話しかけているようだった。
「1人は…確かに苦しいよ。でも、それが俺には普通だったんだ。無邪気に笑えなくても、誰かと一緒じゃなくても、それが俺の生き方だった。」
再び風が湖を撫で、さざ波はさらに広がる。
「無邪気な笑顔を持たないことは悪いことではない。君はただ、世界を違う目で見ていただけなんだよ。」湖が囁く。
「違う目…?」
「そう、子供の頃から君は、他の人が見逃すものに気づいていた。だから、笑えなかったのではなく、より深い何かを感じていたんだろう。それは、君の強さでもある。」
悠也はしばらく沈黙した。幼い頃、他の子供たちがただ無邪気に笑い合っている中で、自分が感じていた小さな違和感。それは、今思えば、物事の裏側にある感情や意味に敏感だったからかもしれないと、彼は気づき始めた。
「じゃあ、この孤独も、苦しみも、意味があるってことか?」
湖は静かに揺れ続け、答える代わりに、夕焼けの光が水面に反射して美しいオレンジ色の光を放った。
「子供の頃、笑うことができなかったのは、それが君の選んだ道だった。無邪気な笑顔だけが幸せの形ではない。それでも、もし君が笑いたいと思うなら、いつでもその瞬間は訪れるだろう。無理に笑う必要はない。ただ、その時が来たら、子供のように、心から笑っていいんだ。」
悠也は少しずつ自分の中の孤独が薄れていくのを感じた。今の自分はあの頃の自分とは違う。だが、それで良かったのだ。無邪気な笑顔がなかったからこそ、今ここにいる自分があるのだと理解した。
彼はふと、微笑んだ。無理にではなく、自然と。まるで、湖と自分が繋がった瞬間のようだった。
無垢な言葉は、人を傷つける。
清廉な言葉は、人の心を救済する。
純真であり続ける限り、
人は天使であり、悪魔である。
子とは、元来そうあるべきなのだ。
子供のような、純粋な気持ちのままでいれたらいいのに。そしたら、こんなに悩まずにいられるのに。
子どものようにないたあの日
彼の胸の中で わんわん泣いた
別れるのが悲しくて 行ってほしくなくて
私が落ち着くまでずっと 困った顔で見守っててくれてたね 背中に手置きながら
あの手のぬくもりがまた優しくて温かくて
涙が溢れて止まらなかった
離れてもまたあえると思っていたのに
その日は来なくて
永遠のバイバイになってしまった
きょうもそこから私のこと見てくれていますか?
私は今日も笑うからね。
見ててね。