『夫婦』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
良い夫婦
今日で結婚してから3年の月日が経った。
夫婦は3年経ったら冷めると言われているが、僕らは今だに仲良しな夫婦だと思う。
今日は結婚記念日で妻にプレゼントとケーキを買おうと僕は軽い足取りで駅前に向かっていた。
夫婦ってなんだろな
2人じゃないと出来ないから夫婦なんだろうとは思うけど
夫婦の正しい形ってなんだろう
ママもパパも
教えてはくれなかった
だけど
『あい』というものがあれば
二人は夫婦になれるらしい
なら、良かった
『夫婦』には『あい』がある
今は無くとも
昔に
確かな痕がある
今日は
十一月二十二日
365回来る日の
一日である
そして
もう終わる日でもある
今日が
『夫婦』の『あい』が
"あった"日になりませんように
【夫婦】
楽しい=幸せ なんだろうか。
わたしは悲しい、人は儚すぎる。
もっと一緒にいたい。たくさん思い出を残したい。幸せでいて欲しい。
時間がない。は言い訳でしょうか。
いつか一緒にいられなくなるのは
悲しいし、恐ろしい事です。
最初から孤独ならばこんな気持ちにも
ならなかったはずです。
それはそれで辛かったでしょうが。
今はひとりじゃないんだという事が
幸せだし、怖い。
(題目しらず)
人生は別に教えてくれるわけじゃない
もし人生から
何か得たものがあったとすればそれは
教えられたからではなく
そこから気付きを得た自分自身がいてくれたから
逆に言うと
教えてくれるわけではないのだから
気付きを得ようという気持ちがなければ
人生から何も学べないということか
ただ、有り難いことに
人生は教えてくれないけど
人は教えてくれる
でも、教えてもらってなお
気付きを得られるかは
自分次第という…
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これはS・キェルケゴール(デンマーク)の『人生は、後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない。人生は、解るべき問題ではなく、経験されるべき現実である。』
という言葉を読んで、「ああ~たしかに。学校の先生みたく、あぁだよ?こうだよ?なんて教えてくれないもんな」と思って書いたんだけど…。
あれ…?
教えるなんて一言も出てきてないな…。
夫婦
フーフー
今日はあったかいシチューでも食べよう
夫婦
11月22日、いい夫婦の日。
語呂合わせだ。
正式な記念日ではない。
祝う夫婦を聞いた事はない。
わざわざ祝うものではないのだろうか。
それとも私の周りにいい夫婦がいないのだろうか。
「夫婦」
その昔聞いた事がある。
古より夫婦とは
必ず仇同士であると。
家柄的な事なのか
魂レベルの話なのかは謎だが。
「夫婦」
もとは他人だったんだよなぁ...
とても信じられない
今では
一番近くに居て
一番信頼できる存在
″夫婦″
この世で一番不思議な関係
すごく素敵な関係(˶˘ᗜ˘)乂(˘ᗜ˘˵)♡
#夫婦
出逢いから二人
恋から愛に変わる時
夫婦という箱の中
流れる時の中で
その愛を試されながら
小さな気づきを拾い集めてゆく
それを見失えば
その愛は相手の姿と共に
心の中で消えてゆく
二人で同じ歩幅で同じ景色を
ゆっくりゆっくり見つめながら
進んで行けたなら
ささやかな幸せのゴールが
いつか見えてくるのだろう
出来立て味噌汁。いつもより上手にできたよ
「ん、美味しい」
エプロン、気が付いてくれるかな?
「それ、新しく買ったの?。可愛いね」
ありがとう。はい、お弁当
「わぁ、いつもありがとう」
食べ終わったら、玄関まで一緒に。
「お仕事、頑張ってね。行ってらっしゃい」
「行ってきます。家事はよろしくね、あなた」
僕たちの、何気ない日常
・夫婦
何もかもを犠牲にして君を優先することは出来ないし、もし僕らが危ない目にあったら君を守れずに呆気なく死ぬと思う。
申し訳ないが君が特別なお姫様に見えることなんて無かったし、逆に僕なんかが王子様にもなれなかった。
でも雪見だいふくを1つあげたり、好きなドラマの感想をいの一番に伝えたり、綺麗な空の写真を撮って送ったり、そんな小さな幸せを分け合えるのは生涯君だけなのは確かだよ。
ウチの両親は喧嘩が多い。母親が金切り声で何かを言い、父親が低い声で威圧する。暴力はないけど、声が怖くて仕方なかった。
なぜ両親は結婚したんだろう。
両親は当時で言う晩婚だった。三十歳を過ぎてから結婚して私が生まれた。両親の生きてきた時代からして、結婚を促されお互い嫌々結ばれたのだろうと考えていた。
「あ、おかえり」
あれから随分大人になった私は、両親が結婚した年齢になっても独身で実家暮らしだ。仕事から帰ると家族みんなバラバラに過ごしている中、今日はリビングのテレビ前に集合していた。
「あ、ほら、軽井沢のこの店。懐かしいわ、まだあるのね」
母はテレビの旅番組を観ながら声を上げた。そばには珍しく、父が寛いでいる。
その状況が異様な光景に見えた。
自分の部屋へ向かって手早く着替え、もう一度リビングに戻ると、母はソファに座り直していた。父は変わらずテレビ前で横になっている。二人ともテレビの旅番組に夢中なようで、ああだこうだ話し声が聞こえてくる。
「ねぇ、このお店。あの頃流行ってたわよね」
「ああ、行った」
「今もあるのね、今度行ってみようかしら」
「え、お前と行ったんじゃないのか?」
「は? 私アンタと行った覚えないわよ。どこの女と間違えてるわけ?」
「あれ? お前とだと思ってた」
「私は当時の彼氏と行ったわ。アンタとは行ってない」
一触即発のような会話を笑って済ませる両親に、似た者夫婦という言葉が思い浮かんで消えた。二人とも嫌がりそうだ、その言葉。
『夫婦』
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お題をスルーしてしまったとき
『どうすればいいの?』
夫婦
独身の身からすると
気の合う仕事仲間が
うちの主人がね、と話す瞬間
う……
と、引け目を感じてしまうのだ
独り身で子供がいない事を知られると
可哀想
と言われてしまう事もあるし
罪人のように言う人もいる
でも私が感じるのは
旦那さんと共に暮らした夫婦の歴史が眩しくて
尊くて、
他人を愛して譲歩したり、助けあったりしながら
自分達の子供を愛して世話をして、
時には理不尽に耐えたり、
子供や旦那さんや、親戚の為に我慢して、
頑張ってこの人はこうして今存在しているのだな、と
光り輝く人間性の高さを感じて
それに比べて私は人生経験が積めなかったんだ
凄く一般の人達より劣っているのかな……と
劣等感で身の置き所が無くなるのだ
私は男性から求められもせず、子孫を残せなかった。
このまま存在していてもよいのだろうか……。
自分の存在の可否を考える事自体が傲慢なのかもしれない。
寒くて暗い1人の時間はつい、こんな事ばかり考えてしまう。
絵を描いている時は存在していても許される気がする。
この形、この色、雰囲気……これで、いいか、いや違う、しかし何が正解なのだろう、正解など無いのかもしれない……
チマチマチマチマ考えている間は自分の存在に悩まない。
私の存在全てを許してくれる神がいるなら、芸術の神なのだと思う。
神様、私の孤独を生贄にしますからお願いですから良い絵を描かせてください。
担任とマグカップがおそろいで、ハイテンションで話しかけたら『結婚祝いで生徒から奥さんとペアで貰ったんだ』ってニコニコで語り出しちゃった。いい夫すぎるよあなた、、ただそれだと私がなんか場違いすぎて気まずかったわ笑笑笑
夫と私
妻と俺
二人でひとつ
夫とひとつでこんなにも幸せなことはない
俺もそうだよ
二人でひとつ
夫婦とはそういうものだ
いい夫婦とはいうけれど
ずっといい夫婦はなかなかいない
紆余曲折を経ていい夫婦になっていく
互いを思いやり、ねぎらってこそのいい夫婦
『夫婦』
あなたと出会ったのはいつのことだっただろうか、なんて自分に問わなくても、驚くほど鮮明に覚えている。
運命なんて言葉が似合うような、あまりにも特別すぎる出会いだった。
そんな在りし日に想いを馳せながら、純白のタキシードを着て隣に並ぶあなたに瞳を移す。
夢にまで見た結婚式が、今叶っている。
「病めるときも、健やかなるときも、そばにいることを誓いますか」
あなたと瞳を合わせて、ゆっくり微笑む。
「誓います」
夫婦になるんだ、という実感が、やけに胸に響いて、愛おしさが募った。
まだ高校生で結婚未経験なので難しいです…。
人の結婚式に出たこともないんですよ。
推しの結婚式は何回も二次創作で見てきたんですけどね。
結婚に夢を抱いてはいけない。
受験やら就活やらと同じだ。
いくら大きな夢を抱いたところで、自分をいいように見せたところで、いつか来たる新生活は愚痴にまみれている。
人生は映画ではない。
私たち、特に若い者はハッピーエンドのその先を想像しなければならない。
毎日毎日毎日毎日、
同じようなことばかりを繰り返し繰り返さなければならないような生活は今も未来も同じようにある。
しかし、全てが同じわけではないのだ。
なにかは変わっていく。
そこに向けて
今、どうあるべきか。
ふと日常の刹那に考えるクセをつけておくといいのかもしれないし、
考えなくても
毎日毎日毎日毎日、
同じようなことばかり繰り返し繰り返されていく。
【夫婦】
やはり今日が11月22日だからこのお題なのだろう
けれど、私は『夫婦』という文字を見て
うっ……と気まずくなった
それは自分が誰かと『夫婦』になることはないだろうと思っているからだ
大好きな相手はいる
知り合ってかれこれ13年目か?
とても円満だ、信じられないくらいに。
とはいえ、この国の法律が変わってくれないと『夫婦』は無理なのでね……
なんて。
文字書きの書いたことだ、フィクションかもしれないよ?