『夫婦』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「夫婦」
もとは他人だったんだよなぁ...
とても信じられない
今では
一番近くに居て
一番信頼できる存在
″夫婦″
この世で一番不思議な関係
すごく素敵な関係(˶˘ᗜ˘)乂(˘ᗜ˘˵)♡
#夫婦
出逢いから二人
恋から愛に変わる時
夫婦という箱の中
流れる時の中で
その愛を試されながら
小さな気づきを拾い集めてゆく
それを見失えば
その愛は相手の姿と共に
心の中で消えてゆく
二人で同じ歩幅で同じ景色を
ゆっくりゆっくり見つめながら
進んで行けたなら
ささやかな幸せのゴールが
いつか見えてくるのだろう
出来立て味噌汁。いつもより上手にできたよ
「ん、美味しい」
エプロン、気が付いてくれるかな?
「それ、新しく買ったの?。可愛いね」
ありがとう。はい、お弁当
「わぁ、いつもありがとう」
食べ終わったら、玄関まで一緒に。
「お仕事、頑張ってね。行ってらっしゃい」
「行ってきます。家事はよろしくね、あなた」
僕たちの、何気ない日常
・夫婦
何もかもを犠牲にして君を優先することは出来ないし、もし僕らが危ない目にあったら君を守れずに呆気なく死ぬと思う。
申し訳ないが君が特別なお姫様に見えることなんて無かったし、逆に僕なんかが王子様にもなれなかった。
でも雪見だいふくを1つあげたり、好きなドラマの感想をいの一番に伝えたり、綺麗な空の写真を撮って送ったり、そんな小さな幸せを分け合えるのは生涯君だけなのは確かだよ。
ウチの両親は喧嘩が多い。母親が金切り声で何かを言い、父親が低い声で威圧する。暴力はないけど、声が怖くて仕方なかった。
なぜ両親は結婚したんだろう。
両親は当時で言う晩婚だった。三十歳を過ぎてから結婚して私が生まれた。両親の生きてきた時代からして、結婚を促されお互い嫌々結ばれたのだろうと考えていた。
「あ、おかえり」
あれから随分大人になった私は、両親が結婚した年齢になっても独身で実家暮らしだ。仕事から帰ると家族みんなバラバラに過ごしている中、今日はリビングのテレビ前に集合していた。
「あ、ほら、軽井沢のこの店。懐かしいわ、まだあるのね」
母はテレビの旅番組を観ながら声を上げた。そばには珍しく、父が寛いでいる。
その状況が異様な光景に見えた。
自分の部屋へ向かって手早く着替え、もう一度リビングに戻ると、母はソファに座り直していた。父は変わらずテレビ前で横になっている。二人ともテレビの旅番組に夢中なようで、ああだこうだ話し声が聞こえてくる。
「ねぇ、このお店。あの頃流行ってたわよね」
「ああ、行った」
「今もあるのね、今度行ってみようかしら」
「え、お前と行ったんじゃないのか?」
「は? 私アンタと行った覚えないわよ。どこの女と間違えてるわけ?」
「あれ? お前とだと思ってた」
「私は当時の彼氏と行ったわ。アンタとは行ってない」
一触即発のような会話を笑って済ませる両親に、似た者夫婦という言葉が思い浮かんで消えた。二人とも嫌がりそうだ、その言葉。
『夫婦』
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お題をスルーしてしまったとき
『どうすればいいの?』
夫婦
独身の身からすると
気の合う仕事仲間が
うちの主人がね、と話す瞬間
う……
と、引け目を感じてしまうのだ
独り身で子供がいない事を知られると
可哀想
と言われてしまう事もあるし
罪人のように言う人もいる
でも私が感じるのは
旦那さんと共に暮らした夫婦の歴史が眩しくて
尊くて、
他人を愛して譲歩したり、助けあったりしながら
自分達の子供を愛して世話をして、
時には理不尽に耐えたり、
子供や旦那さんや、親戚の為に我慢して、
頑張ってこの人はこうして今存在しているのだな、と
光り輝く人間性の高さを感じて
それに比べて私は人生経験が積めなかったんだ
凄く一般の人達より劣っているのかな……と
劣等感で身の置き所が無くなるのだ
私は男性から求められもせず、子孫を残せなかった。
このまま存在していてもよいのだろうか……。
自分の存在の可否を考える事自体が傲慢なのかもしれない。
寒くて暗い1人の時間はつい、こんな事ばかり考えてしまう。
絵を描いている時は存在していても許される気がする。
この形、この色、雰囲気……これで、いいか、いや違う、しかし何が正解なのだろう、正解など無いのかもしれない……
チマチマチマチマ考えている間は自分の存在に悩まない。
私の存在全てを許してくれる神がいるなら、芸術の神なのだと思う。
神様、私の孤独を生贄にしますからお願いですから良い絵を描かせてください。
担任とマグカップがおそろいで、ハイテンションで話しかけたら『結婚祝いで生徒から奥さんとペアで貰ったんだ』ってニコニコで語り出しちゃった。いい夫すぎるよあなた、、ただそれだと私がなんか場違いすぎて気まずかったわ笑笑笑
夫と私
妻と俺
二人でひとつ
夫とひとつでこんなにも幸せなことはない
俺もそうだよ
二人でひとつ
夫婦とはそういうものだ
いい夫婦とはいうけれど
ずっといい夫婦はなかなかいない
紆余曲折を経ていい夫婦になっていく
互いを思いやり、ねぎらってこそのいい夫婦
『夫婦』
あなたと出会ったのはいつのことだっただろうか、なんて自分に問わなくても、驚くほど鮮明に覚えている。
運命なんて言葉が似合うような、あまりにも特別すぎる出会いだった。
そんな在りし日に想いを馳せながら、純白のタキシードを着て隣に並ぶあなたに瞳を移す。
夢にまで見た結婚式が、今叶っている。
「病めるときも、健やかなるときも、そばにいることを誓いますか」
あなたと瞳を合わせて、ゆっくり微笑む。
「誓います」
夫婦になるんだ、という実感が、やけに胸に響いて、愛おしさが募った。
まだ高校生で結婚未経験なので難しいです…。
人の結婚式に出たこともないんですよ。
推しの結婚式は何回も二次創作で見てきたんですけどね。
結婚に夢を抱いてはいけない。
受験やら就活やらと同じだ。
いくら大きな夢を抱いたところで、自分をいいように見せたところで、いつか来たる新生活は愚痴にまみれている。
人生は映画ではない。
私たち、特に若い者はハッピーエンドのその先を想像しなければならない。
毎日毎日毎日毎日、
同じようなことばかりを繰り返し繰り返さなければならないような生活は今も未来も同じようにある。
しかし、全てが同じわけではないのだ。
なにかは変わっていく。
そこに向けて
今、どうあるべきか。
ふと日常の刹那に考えるクセをつけておくといいのかもしれないし、
考えなくても
毎日毎日毎日毎日、
同じようなことばかり繰り返し繰り返されていく。
【夫婦】
やはり今日が11月22日だからこのお題なのだろう
けれど、私は『夫婦』という文字を見て
うっ……と気まずくなった
それは自分が誰かと『夫婦』になることはないだろうと思っているからだ
大好きな相手はいる
知り合ってかれこれ13年目か?
とても円満だ、信じられないくらいに。
とはいえ、この国の法律が変わってくれないと『夫婦』は無理なのでね……
なんて。
文字書きの書いたことだ、フィクションかもしれないよ?
「いい夫婦の日だそうですわ」
『いいわねー、仲のいい夫婦の方は』
「ええ、私たちとは無縁の存在…」
『そうですわ。何光年も離れていらっしゃるわ…』
陽だまりの中。私はお友達と世間話をしているわ。
『あら、もうこんな時間なのね。帰らなくちゃ、主人に怒られちゃうわ』
「まぁ…お大事に。では、ごきげんよう」
『ええ!ごきげんよう。』
…そう言う私も、帰らなければ主人に怒鳴られてしまうわ。ご近所様にも迷惑をかけないよう、急いで帰りましょ…
あぁ、私は主人のため、主人のためと、いつも私の時間を費やしてきたけど、それはなんの意味があるのかしら。
知らないわ。ただ、もしかしたら、その先にはなにかあるかもしれない。それを目指して今日も、主人に叩かれ殴られ蹴られ、罵られ犯され…
地獄の日々を、これからもまた進んでいくんだわ。
今日のお題
╭━━━━━━━━━━━━━━╮
夫婦
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「夫婦」
に、なれる日って、
来るのかなあって、思う。
今日は、良い夫婦の日。だから何をするって訳じゃあない。一番身近な夫婦は親だけど、だから何をするって訳でもない。母の日、父の日はする(かなぁ?)。
良い夫婦とはどういう夫婦だろうか。仲の良い夫婦。喧嘩の少ない夫婦。長続きする夫婦。色々ありそうだけれど、「良い」という言葉自体が曖昧だから、人によって基準は違う。親曰く、長続きするには干渉しないことが大切。まだ二十年にもいかない夫婦だけど。熟年離婚とか、あるからなあ。見た感じ「まだ」大丈夫そう。でも、確かに有言実行。趣味も仕事も違うからあまり干渉していない。だから、喧嘩したり、お互いがぎくしゃくすることもない。なるほど、干渉しない、か。
ひとまず今日は良い夫婦の日。妻または夫に優しくしてあげましょう。
優しい人と付き合ったとしても
いい夫婦になれるとは限らないよね
「夫婦」
恋人と夫婦って何が違うんだろう?
―恋人
一緒にいるとドキドキしてときめく。
少し会えないと不安になる。
共に幸せになる。
―夫婦
一緒にいると安心してほっとする。
ずっと長くいると不満が募る。
共に幸せを創る。
こう考えると結構違うかも。
結婚ってやっぱり人生の中で大きな出来事なのかな?
高校生だからあんまり実感がわかないけど、恋人も夫婦も、同じ熱量の愛を互いに伝え合える対等な関係の人がいいなぁ。
それがたぶん1番難しいんだけどね。
夫婦
親子とか家族みたいな、ある種言葉では説明の付かない、縁と呼ばれるようなもので結ばれた関係が昔から苦手だった。
だって、それは血が繋がっているという理由だけで生活を共にしてはいるが、私が好んで選んだ人たちではないのだから。
気が合わなくたって当然だし、半ば仕方がないと諦めてもいた。
一方、夫婦はどうだろう?
これは、紛れもなく私自身が好んで選んだ関係性の人だ。
なのにあろうことか、血縁の相手よりもさらにタチが悪いではないか。
それに、自分が産んだはずの子どもたちだってそうだ。
私には子どもが三人いるのだが、三人が三人、誰一人、私の思うようには育たなかった。
似て欲しいところは似ず、似て欲しくないところばかりが継承された。
でも、きっと子どもとはそういうものなのだろう。
思うままそのまま、それぞれが自分たちの道を進んで行くのがあるべき姿なのだと。
かつての自分がそうであったように。
さて、残ったのは夫だ。
彼のことは、分かっているようで分からない。
知っているようで何一つ知らない。
分かったような、知ったような気になっていた時期もあるにはあったが、今は何周か回ったのち、何度目かの分からないというフェーズに突入している。
夫とはきっと、そんなよく知らない、分からない存在の人のことを言うのだろう、と最近は思うようになった。
お題
夫婦
夫婦ってなに
いろんな言葉で表されるそれが
私にはよくわからなかったけれど
いいも悪いもわからなかったから
ただしあわせであってくれたら
いいなと思ったのは嘘ではない
〈夫婦〉
通りを歩いていたら、目の前から老夫婦が手を繋いで歩いて来た。
こんな素敵な夫婦がいるのかと思わず声をかけそうになったが、ぐっと理性が発動し、通り過ぎた。
振り返ると、何やら話をしているようで、互いの顔を見合って、笑い合っていた。
手は繋いだままだった。